「恐れ」とは神に対する最大の否定の一つ

  • 2019.12.30 Monday
  • 00:01

 

 


   我々の中には健康な者もいれば、体が不自由あるいは病気の者もいるのはなぜですか?
.
   健康であることを後ろめたく思うことはない。すべてのことには理由がある。あなた方は過去世において、不完全な否定された肉体に固有の運命があることを学んだ。あなたは、神の宇宙においてもすべてのものが、平等に分配されていないと恐れるのだろうか?
.
   何人かは遺伝的な要因を選択する。それはあたかも南に面していて後ろに湖のある家を買うようにだ。彼らは放出パルプのように、ある特定の病気に対して開かれているような肉体を選ぶ。人生の中でいくつかの要素が積もり積もって、ある時点でこれ以上先へ進むことを拒むようになった時、肉体がそのように反応するよう設計されている。
.
   狂気の人々はその狂気を意識的にコントロールしているのですか?
.
   そうではない。だが霊的には狂気に対してコントロールを持っている。人が、「自分の狂気をコントロールしながら起こしている」と言うことは、惨酷な宣言をすることになる。そしてこのように信じている一派がある。それは真実であり、狂気とは人間が対処できない状況や、トラウマに出会った時にくだす賢明な決定である。よって狂気とは、まことにヒーリング(癒し)なのである。
.
   問題の核心である本人の魂はそのことに気づいており、魂はこの人生においてひたすら成長することに専心している。しかも自分自身のためだけではなく、他の人間の学びの経験に貢献するために、そうすることがしばしばある。
.

「癌」がもたらすメッセージ
.
   もし「癌」という言葉を洗濯して、それを陽に当てて乾かし、白く晒してきれいにすることができれば、癌はずっと少なくなり、それで死ぬ人間も減るだろう。なぜなら魂は(癌に代わる他の怖れの象徴を見つけ)、何か他の方法を選ぶはずだからである。
.
   癌の問題は「恐れ」の問題である。癌はあなた方に「恐れ」というメッセージを持って来る。そして恐れは、あなた方の世界にはびこっている問題である。よってこの病気は、恐れ(に向き合うもの)としてきちんと取り扱わねばならない。
.
   そうでない時、たとえ癌が治ったとしても(それに代わる)他の病気が出て来るだろう。人々は「恐れ」をこそ克服しなければならない。なぜならそれは神の現実に対する最大の否定の一つだからである。
.
   癒せない病気はないと聞きましたが、それを信じて健康を取り戻すにはどうすればよいでしょうか?
.
   誰かが「癒せないものはない」と言った時、そこには「私の条件では」という強調がつく。ここには意志の問題がある。すべての病気に本当に治癒があるのだろうか。私は「ある」と言おう。それも、あなたが充分に賢明であって、死もまた治癒であり癒しだと見做すことができればの話であるが。
.
   肉体は無限の知恵を持っているので、バランスを取るには何が必要かを知っている。自分の肉体によく耳を傾けさえするならば、自分の症状をよく診断して、あなた方は自分自身の医者になることができる。
.
   言っておこう。魂が肉体を離れる準備ができている時には、たとえあなたが強健な運動選手のように歩き回っていても突然、心臓が止まるということがある。だから魂が肉体を離れる準備ができていない時には、あなたの肉体は自らを癒すだろう。
.
   あなた方は人間が持つ自由な意識の力を認めなければならない。それは意志ではなく、自由に解き放たれている意識である。それは自らの肉体を再建し、癒す力を持っている。
.
   あなた方の中には、人生においてヒーラーになる人がいる。だが覚えておいて欲しいのは、癒されるのを望まない魂もあるということだ。「あなたは必ず癒される」。ヒーリングの時にはよくそのように言われる。でも本当は、無理に癒されてはならない。それは癒されたいと彼らが望んだ時だけである。
.
   あなたはそれに対して(良いことなのにと思っていても)とやかくは言えない。よって自分の意志を押しつけてはならない。ただ愛を与えなさい。魂は愛を受け取り、一番よい使い方のできるところに使うだろう。
.
   人は手を当てることで他人を癒せますか?
.
   二人以上の人が真理と光の名において集まる時、その結びつきを通して愛の力が入ってきて、病んでいる人の肉体とエネルギーのシステムを化学的に変化させる。それは二人だけで充分である。愛と開かれた心と信頼を持って素晴らしい状況を作り出すには、その二人と、あと”聖なる霊”の存在が必要である。
.
   遠隔治療はできるのですか?
.
   誰かに癒しを送りたいなら、それは祈りであるべきだ。彼らが病気を受け入れ、その中に含まれている智慧に耳を傾けるようにと。
.
   進化した形の究極の癒しは、あと二千年ほどはこの次元の人間世界には入って来ないだろう。その中には、苦しむ体を純粋な水で手当てする方法も含まれる。この治療法の効果が現れるかどうかは「信頼」にかかっている。
.
.
                                                           
エマヌエルのメッセージ
  

   


.

病気とは意識が認めたくなかったものが身体化したもの

  • 2019.12.28 Saturday
  • 00:00

 

 

 

   いつも外的に活動しているあなたの魂に、病気というものが否応なくもたらす静かな時間や、自分を省みる時間には多くの収穫がある。そうした時間は、物質的存在の土くれの中に霊の風を吹き込んで、土でできた肉体を黄金に変える錬金術のために使われる。
.
   病気は魂からのメッセージであり、教えである。そしてレッスンを学び終えた後は、病気はもう存在しなくなる。病気とは、魂の混乱が物理的に外に現れたものであり、それが意識にとって明確に解るようになったものである。
.
   病気のすべての部分があなたである。だからあなたの体に聞きなさい。体は何と言っているだろうか? 体のその部分になってみるとよい。抵抗しているその部分の声が聴けたなら、成熟した心はこう言うだろう。「他のやり方を探そう」と。
.
   その点で、あなた方は文字通り、自分の中の異常なエネルギーを、それが精神的なものであれ、肉体的、感情的なものであれ、それを抱擁しただ受け入れることによって、そのエネルギーを一掃し取り除くことを始める。そうして後、変容が始まる。
.
   苦痛は、あなたが学ぶ用意が出来た時に、あなたに話しかけるだろう。感情的な苦痛は何かを告げている。肉体的な苦痛は、また別のことを告げる。このように肉体のその場所は非常に雄弁である。
.
   人生におけるどのようなことにも偶然に起きるものはない。苦しんでいる時にこの言葉を聞くのは辛いことだと解っているが、真理は真理である。あなた方は正当で整合性のある宇宙に生きている。それを忘れず、肝に命じなさい。
.
   病気は、まず最初は霊的必要性から、また感情の混乱から、あるいは心の不自然さから、最初に非物理的次元に存在し始める。最初から物理的なものであることはない。肉体は反応器であり、肉体はストレスに対して振動する。肉体は内的な混乱が外に現れたものである。
.
   肉体がトラウマの大洪水に打ちひしがれて、ギュッと収縮すると、体のある部分に対してエネルギーが行かなくなる。このようにして物理的な現れの場がセットされる。それが、あなた方の現実では体の不調として現れる。
.
   病気は表面的な症状によって分類されているが、原因は全く違う。つまり同じ病気が二つのまったく異なる理由で、二人の違う人に現れることもある。それは個々の肉体が統合されていない部分を、外に表して見せるやり方である。
.
   病気の中にはカルマによるものもありますか?
.
   カルマとストレスは同じものである。それはこの人生におけるあなたの魂の設計図に従って、自分自身の葛藤の領域に不調をもたらすやり方である。それはカルマと言えないことはないが、カルマとは物事をはっきりさせるというよりは、むしろ多くの幻想を生む言葉である。
.
   何が病気を引き起こしたかという、その真実が理解出来た時には癒しは瞬時に起きる。なので病気とは例外なく、意識が認めたくなかったものを身体化して現わすものである。生きる力や魂の意識が肉体を流れているので、その生命の力に抵抗して肉体の部位が、魂の必要性に応じて人生のある時点で不調を起こす。
.
   どのような否定であれ、それはいつか必ず肉体に現れる。それも、人が肉体を持っている理由の一つである。このようにして人は、精神レベルでも感情レベルでも、自分が見たくないものと向き合うことになる。

.
   病んでいる肉体はあなたの敵ではなく、忠実な友である。それは魂によってプログラムされ、正確な時に正確な方法で反応することになっている。だから肉体の声に耳を傾けなさい。
.
   エイズは神の送った疫病ですか?
.
   おお親愛なる人たちよ、神がそのような病を送ったのではないかとは、何と恐ろしい考えだろう。自分たちのことを棚に上げ、責任を神に押し付けるのだとすれば、どうしてこの苦しみを癒すことができるだろうか。それはまったく違う。自分の人生の中にある自動的機構(運命のようなもの)に気づいた者には、それは神が原因ではないことがよく解るだろう。
.
   慈愛あふれる神は、個人に対してであれ、グループや社会に対して、誰に対してでも、病気を送ったりはしない。それはたとえ鼻風邪のようなものでさえがそうではない。それは自分が罰せられるにふさわしい人間だと思っているから、そうした考え方をするわけで、もしそのように信じているのなら、人生において何が欠けていたのか自分の心に聴いてみる必要がある。
.
   あなたには何か罪悪感があるのか? 神に罰せられる(バチが当たる)にふさわしい人間だという考えに自分を同一化したところに、まさにあなたの問題がある。ゆえに問題は病気そのものにあるのではなく、あなたの意識という心にこそある。
.
.
                                                                     
エマヌエルのメッセージ
   
      

   


 

動物たちの意識も進化して大いなる叡智に入る

  • 2019.12.26 Thursday
  • 00:03

 

 

 

  ヒトラーやスターリンのような魂には何が起きますか?
.
   あなたが「ヒトラーやスターリンのような魂」と言う時、私が言っておきたいことは、あなた方は彼らの魂を何も知ってはいないということである。あなたはヒトラーやスターリンのような人間のことを言っているのかもしれないが、彼らもまた本来の全体としての”聖なる存在”は、そのようなものではないということだ。
.
   人間の意識には報いや正義を求める要求がある。だが人間の心が理解できないことは数多くある。あなた方は、苦しみを作り出したように見える人間を、無理やり許したり、愛したりすることはできない。あなた方が今いる観点からは、彼らがしたことは許し難いことであろう。
.
   だが、魂において大きな成長をする必要がある。それはこの二人だけではなく、誰もが残忍で、他人を迫害し、殺戮し、利己的で野心に燃え、冷酷な人間の要素を持っているということである。あなた方個々の中にもその一部がある。それは程度の問題である。
.
   憎しみのあるところ、人種差別、性差別、あらゆる差別のあるところ、すなわち「私はあなた方とは違い、より優れている」という声のするところには、その小さな一部分がある。そうした声の聞こえるところでは、あなた方は外の世界でヒトラーとして感じたものに向き合っている。
.
   覚えておきなさい。ここ、この次元は学びの教室であり、中には耳にしっかりと入れて、見て、理解してもらう必要のために、大空に大きく書き記さなければならないような教訓もあるということである。
.
   すべての意識はより静的で単純な物質から、より流動的で複雑なものへと進化していくのですか?
.
   離れていく道を選択した者は、戻って来る道をも選択している。そこには多くのレベルの体験が含まれている。魂である意識が自らを現わす時、それは物質的にはあなた方の地上の、多くの異なった気づきのレベルといったものを形成する。しかしそれは常に、”一なるもの”という源への回帰の旅である。
.
   意識の小さな一部が、自らを岩や草の葉として創造することが一番快いと感じたとしても、それはその意識がその形に限定されているということではない。それはただその意識の特定一部が表面上、動的でない物質的現実とつかのまの関係を持つ体験をすることによって、自分の必要性をもっともよく満たせるということに過ぎない。同じように意識は自らを、人間存在を含む多くの他のレベルで創造することもある。
.
   大地や、鳥の歌や花の美しさをあなたが尊重するようになり、彼らとの一体感を感じるならば、あなたのしていることは、凍りついた意識の一部を解き放ち、あなたの本質である愛の光に再び合体するということである。
.
   地上のすべてのものとの一体感を感じるのは、さまざまな経験を通じて進化していったあらゆる部分を、あなたが自分の中に呼び戻しているというよい印である。それを続けていくと、この地上のすべてがあなたの存在と一つであると解ってくる。そしてそれは、文字通りそうなのだ。
.
   動物も進化しているのですか? 彼らが人間になることはありますか?
.
   もちろんである。意識は、何であれ自分自身の在り方からものを創り出す。意識が広がると、それは成長して現在の理解範囲を超え、より大いなる叡智に入って行く。進化に終わりはない。あなたは遥かに輝かしく、美しく、今よりも遥かに知恵ある存在へと進化して行く。
.
   転生における自分の人生のカリキュラムを、日程よりも早く卒業することはできますか?
.

   飛び越してもよいステップというものはない。段階は有機的なものなので、それは出来ない。(クリアできていない部分があると)恐怖や疑いと信頼の欠如とが潜む穴があって、そこからそれらが再び一斉に、あなたの前に飛び出して来るかもしれない。あなたはそれを望まないだろう。
.
   あなた方は道を見出し、最後までそれをたどって行く。しかもそこはそれほど恐ろしい場所ではない。あなた方は美しいものと醜いもの、愛と憎悪、そして光と闇を見るためにこの次元へ来たのではなかったのか? だから、そこから逃げてはいけない。あなた方の仕事はそれを変化させることであって、避けることではないからである。
.
   我々が永遠であるのなら、時間はどんな意味を持っていますか?
.
   あなた方は時間について話し、私は永遠について話している。だが実際には両方が同じことを、意識の違う観点から話しているに過ぎない。時間とは、この次元の学びの学校における教育のための装置である。よって時間は物質的現実にとって必要な構成要素である。
.
   なぜならそれは構造を感じさせ、あなた方はそれによって教室で起きることに焦点を合わせ、そこと関わることができる。必要な部分に注意を集中させるために準備されたものはすべて、学びの装置と呼ぶことができる。あなた方がここを卒業した後には、もはや時間は必要ではないが、それまでは必要な装置である。
.
   自分を物質的な肉体から解き放ちなさい。そうすればあなた方は時間の外に出ることができて、なおかつ存在し続けていることに気づくだろう。あなた方が今いるところにおいては、直線的な時間があなたの環境の一部である。だがこの世界のそうした設定の時間感覚の外に出ると、時間は直線的ではなくなり、ただ在るようになる。そして万物のすべての存在と一つとなる。
.
   そうなるとあなたは時間がないとはもう言わず、時間というものを「前進する」「後退する」といった概念の束縛から、また永遠に存在すること以外の、いかなる現実からも解き放つことだろう。
.
.
                                                 
               エマヌエルのメッセージ

自らの神性を理解し体験した後、この惑星には戻らない

  • 2019.12.24 Tuesday
  • 00:10

 

 

 

   なぜ、多くの魂の集団が、大虐殺や大事故を経験するために転生することを決めるのでしょうか?
.
   魂を転生へと送り出す扉は、多くの目的を満たすことができる。その経験は自分だけでなく、他人を教化することができる。ある人生が両方の教化という目的を満たすように設計されると、その大義と使命は大いなるものとなる。そのような時には、より高い叡智が「今こそこれが必要だ」と言うことがある。
.
   他人のために自分を犠牲にし、しかもそれが個人的に成長する素晴らしい機会となることがある。もちろん道は選択されたものであり、誰もが偶然にその道へはまり込んだわけではない。どの魂も生まれる前に、自分に何が必要で、それが可能なある種の環境で他人の成長に寄与し、自分もそれによってどれだけ成長できるかを自覚している。
.
   魂の転生はみんなが一斉に、あるいは各人別々に始まったのですか?
.
   個々別々に始まった。永遠で限りなく拡大していく神の”一体性”においては、すべてのものが一度に爆発するように転生に突入することはできない。それぞれの魂がそれぞれの求める道において、自分だけの予定表を持っている。個々の意識は拡大し、探究し、分割し、成長するが、その一瞬一瞬にいつ本来の場所へ戻るかを知っている。
.
   魂の数は有限ですか? 新しい魂はどこから来るのですか?
.
   魂は無限である。魂という意識が自分を表現する時、自らを分割し、さらにそれを分割する。分割がある時点に達し、それ以上の成長が見込めないと思う時、あるいは分割することでこれ以上の意識の拡大はもうできないと思う時、魂は統合を始める。よって最終的にはただ一つの魂になるだろう。
.
   どのあたりまで進歩すれば、魂はこの惑星に戻らなくなるのでしょうか?
.
   最終的には、あなたが完全かつ充分に、自らの神性を理解し、体験した時である。
.
   我々はこの次元と並行する世界で、同時に別の生を生きているというのは事実ですか?
.

   もちろん事実である。それも多くの人生を生きている。
.
   今まで経験したすべての転生は、今同時に存在するのですか?
.
   それを生きた魂の意識の中心において、その通りである。あなたの本質は光の存在なので、光の中心から見ればすべてのものが今もある。だが光が物質世界に入ると、その世界において時間の流れ(過去や現在)というものがあるように見える。
.
   カルマの意味は何ですか?
.
   私がカルマと言う時、それは変容すべき物質を指しているに過ぎない。カルマとは、帳尻を合わせてバランスを取る裁きではない。どの人間にも神の意志に抵抗する小さな部分がある。そうでなければ、人間が経験を積む必要はどこにもない。カルマとは学びのやり方なのである。
.
   カルマとは、あなた方にとってまだ真実となっていない自らの部分を見つけるために、この人生で選んだ居住環境のセットともいえる。あなたは自分の人生におけるすべての創造者である。つまり、あなたが呼び寄せないことは一つも起きては来ないということだ。
.
   本来、賢明で目覚めた魂の内なる望みは、内部で真実と思われることを外に現わし、触れることの出来る形に作り出すことにある。そのようにして、自らの持つ信念を経験したいからである。その結果、その経験を通して変容が起きる。
.
   もし我々が過ちを犯したり、冷酷なことをしてしまったら、それに対する償いをしなければなりませんか?
.
   まず忘れてはならない目的は、あなたがここにいるのは、償いをするためでもなければ、償ってもらうためでもなく、成長するためである。成長しようという意志があれば、カルマによって作られた絆(きずな)は解けてしまう。こうして神の意識という経済学において、負債はもはや存在しなくなったわけだ。
.
   あなた方が庭に種を蒔くと、長い時間の後それが芽を出して花開く。種が蒔かれた時、その種子は存在に気づいてもらうために、芽を出し花を開く必要があるという場合がある。なので意識して深い気づきを持ち、憶えているならばそれらの種子を移植して育てたり、また取り去ることもできる。
.
   現在のあなたの身の周りの世界に、もし望ましくない作物が実っていたならば、それは過去の判断の誤りが、光の中に見えるようになったということなので喜こびなさい。そのおかげでより賢明な選択ができるからである。
.
   あなた方はカルマの構造に縛られた中にいるが、それでも内なる叡智の中により深く入っていくならば、カルマの拘束力は薄れ、速やかに変化する。カルマのワークショップ(体験型講座)は広大なものに見えるが、どんな魂も自分が達成できる以上の仕事を自分に与えることはない。
.
   カルマの使命は、自己を許すことと自己に気づくことにある。あなたが過ちを犯したり、道を外れたりするのは、自ら意志して善を否定するからではなく、ただ恐れと無知から起きてくる。そして安全などないところに、安全を探し求める時に起きる。あなたは混乱し、神との意識的なつながりから離れてしまう。
.
   人間としての経験の迷宮を通じて、そこに戻る道を見出しなさい。そうすれば扉は開いていて、光がそこにあるのが判るだろう。人が互いを傷つけ合うような、内なる神を否定するような行為を進んでする時、魂はそれに気づいている。だからいずれ、どのような方法によってであれ、自身のその行為の意味を理解する。
.
   カルマのワークショップを終えるためには、数回の転生が必要かもしれず、あるいは一瞬のことかもしれない。この次元を超越するほど、カルマの現実を充分に体験した後も、自分が急激には変化できないことを知り、あなたは落胆するかもしれない。それでもあなたは依然として素敵なあなたであり、私はそれを素晴らしく、快いことと思う。
.
   あなたが傷つけ、軽蔑し、疑い、断罪し、疚(やま)しく感じている自分は、あなたとともに故郷を出て来た、当の自分自身である。
.
.
                                                                      
エマヌエルのメッセージ


   

自分の魂の必要性がこの次元への転生を選択した

  • 2019.12.22 Sunday
  • 00:01

 

 

 

   あなたはいついかなる瞬間にも心を開くことができる。カルマの構造とは、それを進んで受け取ろうと魂が望んだ瞬間に、完全に克服される。
.
   この世界全体は、多少のふらつきはあるにせよ、空間の中を整然と回転しながら進んでいく幻影である。あなた方はよい生徒なので、この幻影を受け入れ、ここへ来て学ぶことを受け入れた。
.
   あなたはこの幻影の中に留まり、この次元へ来た目的が達成されるまでは、(物質次元の)幻影を信じることを約束した。だから目的を達成した後にはそれを手放すことができる。
.
   私は何を言おうとしているのか? それはあなた方は誰もが契約書にサインしてここへ転生して来たということである。契約書には、「私はこの次元のゲームに参加し、すべてのルールに従う」と書いてある。
.
   学ぶためにそれは必要なことである。しかも物質的な人間の世界という教室であれば、なおのこと学ぶことは難しい。それは、あなたが先生を先生と認めず、黒板は何かを書くためにあり、教えられることには価値があると認めない場合には、尚更である。
.
   なので私がここへ来たのは、反抗を勧めるためではなく、あなたのしていることは価値があること、学んでいるのは必要なことだと保証するためである。でも、これらの一切は単に、つかの間の幻影に過ぎない。あなた方の大いなる部分はここ、光の真理の世界に存在している。あなた方はいつか、この故郷に戻るだろう。それを約束しよう。
.
   我々はなぜ人間の姿になり、それを何度も繰り返すのですか?
.
   あなた方が人間という制限された物質的存在形態をとるのは、あなた方の意識が、物事を制限された形で受け取る必要がある、ということを示している。あなた方が進歩すればヴィジョンは広がり、宇宙的な真理をより多く受け入れられるようになる。それはすでにあなた方の内にあり、まだ発見されていないだけである。
.
   転生のサイクルは巡り巡って、やがて努力と経験を通して、あなたの抵抗は透明になり、すり減って、抵抗の中に穴が開くようになる。あなたはもはやそこに、(抵抗という)布地が存在することを信じない。その時あなたは制限と疑いに満ちた頭脳を、心に向けて奉仕させるようになるだろう。
.
   自分自身を探し求めるすべての魂は、さまざまな形の混乱に陥るとしても、それは光の道である。それはたとえ、恐ろしい闇の領域を通り抜けるように見えるとしてもそうである。この旅の目的は真理を見出し、真理へと戻り、より賢くなり、準備を整えて真理に仕え、最後には真理そのもになることにある。
.
   転生そのものは、魂の持つ願望の宣言であり、再び光と一つになりたいという願いである。あなた方の気づきが深まれば、原因から結果が出るまでの時間は短くなり、ついにはバランスをとるプロセスは一瞬にして起きるようになる。その時にはもう、原因や結果というものはない。そこにはただ真理があるばかりである。
.
   我々の転生はどのように決められるのですか?
.
   魂が再び、人間として転生したいと考えるほどに、充分な気づきを持ち始めた時、多くの転生の輪が設定される。転生の前には、その魂の必要性と願望のあらゆる面が深く考慮される。誰が考慮するのだろうか。それは魂自身と彼をサポートする霊的存在である教師やその仲間、そして愛する者たちである。
.
   人間としての人生の目的は、学んで成長することにあり、魂のあらゆる部分の設計は、(本人の承諾の下)大いなる創造性とともに、人間として誕生する時に実体化する。
.
   それは時代という時間的要素、文化的な環境、性別、人種、選ばれた家族、本人の能力にも及び、肉体的、精神的能力、そして感情的能力などが前もって決められる。それは(好みの)ピザを注文する時のようにではなく、魂の設計図という青写真を引く時のようにである。
.
   転生は直線的時間に沿って起きるのですか?
.
   あなた方のいる次元ではそうだが、私のいるところでは違う。意識というものは、自分自身を創造せずにはいられない。それはあなたの本質がそうであるゆえに、広がり、創造していく。あなたは生まれる前であれ、肉体的にであれ、死後の世界においてであれ、自分自身を創造しているのは常にあなたである。
.
   転生後の生の状況は、学ぶための最適な環境を作り出すべく設計されている。幼児期のすべての環境は、その肉体も含めて教育の道具である。転生のパターンに誤りはない。それはたとえ、罪のない人に不幸が降りかかるようにあなた方には見えるとしても、そこには誤りというものはない。計画は完璧である。設計は緻密なものだ。そしてすべてのリアリティ(現実)の本質は愛である。
.
   我々はなぜ過去世の記憶がまったくないのでしょうか?
.
   それを過去世とはあなた方が考えないだけで、実は誰もがその記憶を持っている。心の奥深くでは、以前ここにいたことに気づいていない人は一人もいない。あなた方はすでに、すべてを体験している。それを思い出すためだけにここにいる。
.
   魂はこの次元の人間として生まれる以外、他の転生の道を選択できるのですか?
.
   あなたに物質的なこの次元の体験が必要とされている限り、魂はそこに降りて来る。でもそれは小学校の教室ではない。あなたは地球にたどり着く前に、別の教室をこなして来た。
.
   魂が、転生こそもっとも有効な方法であると誤解すると、この次元は選択の次元となる。人間世界の二元性の中にあっても、あなたはそこが選択のために設計された場所だと解るだろう。魂はこの次元世界にやって来るためには、選択の能力がなければならず、転生のサイクルを終えた魂は、究極の選択が為された地点にたどり着いたことになる。
.
   急ぐ必要はない。あなたは永遠である。今回の人生で何かを忘れたとしても、時間はたっぷりとある。あなたがもはやこの肉体に留まりたくないと感じたら、そのことについてよく吟味しなさい。嫌悪や不安なしに愛を持って故郷に帰るべきだからである。だが少しでも不満足な部分があると、それは未来に先送りされてしまう。
.
   最後の転生は綺麗で落ち着いたものになるだろう。ほどけたすべての紐は結ばれ、すべての隅々のゴミが掃き出される。すべてのものは畳まれ、片付けられる。
.
.
                                                        
 エマヌエルのメッセージ

   


 

神の愛とともにこの次元の豊かさを受け取る

  • 2019.12.20 Friday
  • 00:01

 

 

   あなた方の創造の喜びは、人類に対するものだけに限定すべきではない。たとえば意識が自分の一部分を、あなたの世界において他の生き物の形で創り出す時、そこには素晴らしい喜びがある。自分の意識から美しい花を創り出せたら、あなたはどんなにかうれしいだろう。しなやかな猫や、巨大な象を創り出せたらどれほど楽しいだろう。
.
   私が言っているのは単なる空想ではない。私は意識が自己というものを創り出し、探究してみるやり方について説明している。よって宇宙の意識の中に、自分自身を花として体験したいと望む部分があれば、それによって花が進化していくことになる。
.
   あなた方が今は人間の姿を選択しているので、自分が人間以外の意識を持っていると考えるのは困難であり、かつ自分の一部を”人間より劣った”存在として創造し、選ぶのは難しいだろう。だから私はそうしたあなた方の価値感はさて置き、あなた方の想像力にまかせよう。
.
   もしあなたが、それが存在すると信じるならば、恩寵に満ちた安らぎの庭園を創り出すことができる。そして自分に必要だと信じるならば、あなたは耐え難いほどの苦しみを、自分自身に与えるために創り出すこともできる。
.
   それは頭で考えて行なわれるのではない。誰も進んで苦しみたい人などいない。しかし世代から世代へと保存され、受け継がれて来た価値観という信念体系が存在する。家族の一番の年長者に、一族に伝わる迷信や信念について尋ねるのは興味深いことだろう。自分がこれまで、どのような信念構造の中で生きてきたかを検証すれば、見えて来るものがあるだろう。
.
   物質的なものを得ようと努力するのは、我々の霊的な目的への妨げとなるのでしょうか?
.

   あなた方が、物質的なものを「物質化した意識」と見なすならばそのようなことはない。物質世界においては食物や衣類が必要であり、あなたは美しくて居心地の良い理想的な家が欲しいだろう。
.
   それらのものは自己愛に属するものである。それが自己愛であると自らに真に認めるならば、あなたはそれらを持つべきではないとは思わないだろう。自己愛はあなたの両手を開いて与えるだけでなく、受け取らせてくれる。しかもそれらは他から奪ってくるのではない。宇宙は無限である。万人にあらゆるものを与えても、なおかつ余剰がある。
.
   すでに存在する豊かさから受け取るにはどうしたらいいのだろうか。
   自分が豊かさに値するためにはどうしたらいいのだろうか。
   これは難しいと思うだろうか?。ただ待ちなさい。あなたが受け取るやり方を学んだ時、物質的に必要なものはすべてあなたのものになるだろう。
.
   金銭に対する罪悪感から脱し、それを聖なる宇宙の一部として、地上の物質的現実の一部として受け入れるならば、金銭というものには、あなたが与えただけの力しかないことが解るはずである。地上ではそれは必要なものである。あなた方はみんな金銭というものを、あまりに堅苦しく考えている。
.
   この物質次元での「成功」を私は求めていません。なぜなら今、私はここに存在することの中に喜びを見出すべきだと感じるからです。なので自分自身のために何かを求めることに抵抗があります。こうした考え方について何かありますか?
.
   もちろん大いにある。それは霊的な修行につきものである一つの思い込みである。それは「すべてを得るためには何も欲しがってはならない」というものだ。この言葉を文脈通りに取れば、「欲しがる」ということは貪欲さを指している。
.
   しかしこの世界の豊かさを味わいたい、それを愛とともに受け取りたいという欲求がある時には、それを得てはいけない理由はまったくない。世界の豊かさと神の愛の豊かさとの間に、(区別と)分離があると信じるならば葛藤が生じるばかりである。
.
   肉体を持っていた時、あなたは何をして生計を立てていたのですか?
.
   私のこの次元への最後の転生の時は、あなたによく似ていた。ただ一つの違いと言えば、私には一かけらの罪悪感も後悔も怖れもなく、自分の心の欲するところに従って生きた。私は教師になった。そして世界中を回り、誰もが私に愛を込めて触れられるようにしてあげて、私もできる限り愛を返した。
.
   もう一つ言っておこう。私は豊かだった。それは富としっかり結合された貨幣の数においてではなく、別の意味で豊かだった。そしてただの一日も食べ物や寝る所に困ったことはなく、必ず素晴らしい場所があった。私には家があり、仕事もあった。そして、私は統合された存在であった。
.
   あなた方親愛なる魂たちは、エデンという楽園に入る時、恐る恐る歩いていく。それは、そこがあなた方の本当の故郷であることを知らないからである。完全な成就という考えが意識に入るようになると、大きな恐れが生じてくる。なぜならあなた方は(かつて手にしていたものを)探し求めることを生き甲斐として来たので、見出すことが脅威となるからである。
.
   それは実に、人間のすべての経験の中で最も難しいことである。それは自分の自己や生、光、真実、そして神を自分のものとすることにある。生きて行く道すがら、機会があるたびに、できる限り多くの(真理という)光を取り入れなさい。そして出来る限り多くの喜びと楽しみを見つけなさい。
.
   誰かに迷惑をかけるものは喜びとはならず、誰かの邪魔をすることは、自分の苦しみとなる。そうではなく、本当の喜びのあるところを生きなさい。自分を認め、愛する喜びであり、互いを優しさと思いやりを持って眺める喜びであり、それらは本当の永続的な喜びである。肉体の物質性もまた楽しめる。愛があるならば、性的存在であることも楽しめる。
.
   もしあなたが喜びに対して幻想という観点から判断をくだし、裁くなら喜びは失われる。そうするとあなたはより長く、この学びの教室に留まることになる。それは真実である。なぜなら苦しむことで、光の国に至ることはできないからだ。喜びこそがその道であり、あなた方にはその違いが判っている。
.
   間違えた時は誰にもそれが解る。そして病気になる。愚かなことをし、破滅的行動を取るようになる。それで、自分が自分を裏切っていたことが解る。喜びが消えたら、その瞬間に行動をやめ、こう言いなさい。「私は何を忘れたのだろう?」と。
.
   自分の内なる中心に焦点を合わせれば、答えはこうなるだろう。「そうだ。(私は神から生まれた神の子であり)、自分が神であることを忘れていた!」と。そして、あなたは人間としての経験の中にその発見を持ち帰り、再び踊れるようになるだろう。霊である我々も一緒に踊るだろう。
.
   そうすれば、神の救済の計画を達成する仕事は、非常に速やかに進む。なぜなら神は愛であり、楽しみは愛であり、真実は愛だからだ。そしてすべては光である。私の言葉を信じる信じないにかかわらず、いずれそれが真実であることが解るだろう。それも近い内に。
.
   なぜなら、あなた方はこの人生を通して成長し、いずれ歳を取って死んでいく。そうしたあなたに対して、こうした喜ばしい、励ましの言葉は他に考えつかない。なぜならもしあなたがこの次元の幻想の中に留まり、それが自分の望みなのだと考えている瞬間にさえ、実はあなたがどれほど不幸であるかは口では言えないからである。
.
   仕事が終るまで、学ぶべきことを学ぶまで、あなたはここに留まるだろう。それから我々はみな、再び別の次元で、神の名において創造を始めるだろう。神の祝福がありますように。
.
.
                                                                        
エマヌエルのメッセージ

   


 

出来事の真の意味に目覚める

  • 2019.12.18 Wednesday
  • 00:01

 

 

 

   歓喜とはあなたの内なる神が立ち上がることである。そして武者ぶるいをして微笑し始める。喜んでいる時、あなたは内なる神を称えている。あなたは自らの生の祝宴を称えているのだ。
.
   生きることには喜び以上のものがあるのは確かだが、喜びは軽視されるべきものではない。確かに生きることには喜び以上のものがある。そこには限りない多くのものがある。それは成長の過程に、探索の過程、奉仕と愛の過程にと、決して終わりがない。
.
   物質世界の喜びは、霊的世界の喜びでもある。すべては一つであるゆえに、人間らしい喜びは、あなたを神への愛から引き離すことはない。愛は愛である。よって、もしあなたが人間の祝福に耐えられないのなら、永遠の”一なるもの”の祝福にどうして耐えられようか。
.
   もしあなたが岩の意識を調べてみるなら、そこに大いなる喜びがあるのが解るだろう。それは”一なるもの”とともにある心の安らぎであり、岩であることの喜びをあなたは見つけるだろう。岩はその存在の自然な流れの中で無上の喜びを感じている。無上の喜びである法悦は、一とか五とかの割合では到底計れず、それはまさに法悦なのである。
.
   なぜ、あなた方はみな(このような自然界にある)喜びや優しさを疑っているのだろうか。ここもまた神の世界ではないのだろうか。喜びとはまさに生の自然な一部に他ならない。あなた方人類は常にせかされ、強迫された中にあるので、精妙な喜びを感じる時間を、自分に与えることができないでいる。
.
   こうして、大いなる喜びと美しさが、気づかれることなく通り過ぎて行く。もし注意深く目覚めて生を生きるなら、生はあなたの憧れ求める豊かさと栄養とを与えてくれるだろう。人生と自分自身に対する約束を、日に何度も新たにすることを自分に許しなさい。
.
   あなた方は生きることの暖かさと優しさを求めているが、それを得ると、自分が活動的ではなくなると感じている。つまり、神を思い出させるものは、常に外の厳しい現実の中になければならないとあなたは考えているのだ。
.
   そうであれば、もしあなたがどこかに見出した美を信じられないとすれば、どうして心を開いて、永遠の美である神との”一体感”を信じることができるだろうか? 永遠の意識的存在(である人間)を、深刻な思想と考えるよりも、穏やかな笑い声と考えたほうが、個々の魂の求めには相応しいのではないだろうか。
.
   生きることが思惟(深刻な思考)にいろどられているのは、あなたが永遠の喜びと結ばれていない時に起きてくる。だが深刻に思い詰めても何の役にも立たない。あなたは笑わなくてはいけない。あなた方はそれぞれの仕方で遊ぶ必要がある。
.
   それは一瞬一瞬を喜びに満ちて生きるということであり、子どもらしい無邪気な性質は神の性質でもある。愚かなことやおかしなこと、踊りや愛、降参や放棄、軽やかさなどは、脈打ちながら成長している人間の一部であり、それはまたあなた方の世界への祝福でもある。
.
   神は苦悩や苦痛を編み出さなかった。それを編み出したのはあなた方の抵抗であり、それが苦悩と苦痛を編み出した。神の意志とは、平和と歓喜、健康と豊かさで世界を輝かせることだ。そしてここが、ほんの一時の短い間だけの滞在地であるという目覚めた意識で、世界を輝かせることにある。
.
   喜びは学びであり、喜びは苦痛なき体験である。自分が意識的存在として永遠に存在し、霊である私たちも存在しており、神も存在することを何の疑問もなく信じられるならば、あなたを取り巻く生きる環境は目に見えて明るくなっていく。
.
   そうなると、あなたはいかなる闇も歪みも、創り出したり呼び寄せたりしない。それはあなた方の地理上の世界に、「エデン」(楽園)と呼ばれる世界が生まれるという意味ではなく、あなた方が出来事の真の意味に目覚めるようになるということを指している。
.
   あなた方が物質的肉体に住む限り、物質世界の制約も受けるが、体験はまったく異なったものになるだろう。まず苦痛がなくなり、妥協もなくなる。だがそれは「自分は永遠の存在だから、苦しみなど何でもない」ということとは違う。それはまったく違う。
.
   あなた方は比喩的、観念的に、そしてまさに文字通りの意味で「苦しみ」を体験しなくなる。だがこのことは苦しみを合理化することではない。合理化には罠がある。そうではなく、それは真理に全的に飲み込まれることである。
.
   あなた方は苦しみと喜びを、過去の人間たちからの教えという望遠鏡を通して眺めるので、疑いなき喜びの体験の中に苦悩が溶解してしまうような、そんな喜びの状態で生きられるなど信じられない。だが真実は、喜びは苦悩の実体を変化させるということだ。
.

人間に本来備わる視覚化の力
.
   視覚化という行為が持つ大いなる力に気づく必要がある。ヴィジョンとは霊的なリアリティであり、この世にあるあらゆるものは、最初に霊の世界に存在していた。まず思念が生まれ、そしてより密度の濃い物質的存在となった。
.
   あなたが自分の先入観を検証するならば、その先入観は誤解であったことが解るだろう。そうすれば、あなた方の気づきの範囲は広がる。たとえば壁はもはや(単なる物質的固体の)壁ではなく、(それを成す原子、素粒子の集合体であり)、動き、振動する意識となる。
.
   視覚化され得るものは、あなた方の物質的リアリティにおいて実現できる。自分には何の力も選択する力もないという感じに襲われたら、ただちにあらゆるものに対する判断を停止しなさい。なぜならそれはあなたが作り出したトリック(欺き)であり、自分の人生に責任がないフリをすることで、人生の喜びをも避けようとするものである。
.
   そうではなく、あなたが真に求めるものを視覚化しなさい。試してみなさい。だが友よ、注意しなさい。なぜなら、もしあなたが何気なく何かを視覚化し、確信を持ってそうしたのならいいが、自分がそれを望んでいるのかどうか確かではなくとも、それは実現してしまうということだ。
.
   これは魔法でも偽りの希望でもない。それがあなた方という(意識的存在に本質的に備わる力であり)、創造的衝動の持つ力の実体である。なので、できる限り自分自身に対する気づきを発達させることが大切である。そうすれば(ぼんやりと考えたことや、望んでいない状況が現実化されることはなく)、自分で選択しないことが否応なく人生に起きて来ることはない。
.
   あなたは自分の人生を自分で創り上げている。あなたを取り巻く外界のいかなるものも、あなたと無縁ではない。人間の念という意識の表れの計り知れぬ喜びとは、周りを見回し、あたかも単なる外側の環境のように見えるものの中に、魂(の現れ)そのものと思われるものを見出すことにある。
.
   物質的な環境をシンボルとして、また肉体を魂の延長として見て、あなたの存在が言葉に変容したものとして眺めなさい。あなたの人生があなたの主人ではない。それはあなたが創り上げた人生であり、あなたが生んだ子どもである。
.
.
                                                     
エマヌエルのメッセージ

   


 

私たちは経験を求めてこの次元へやって来た

  • 2019.12.16 Monday
  • 00:00

 

 

 

   いわゆる(キリスト教の聖書に出てくる)エデンの園にひそむ蛇とは、性愛ではなく「疑い」である。あなたは自分を、物質的リアリティの中で動く霊的な存在であることを疑っているだろうか? もちろん疑っている。でもそれがこの次元特有の、普遍的な誤りであることを私は確言する。
.
   あなた方のまとう肉体のこの組成のゆえに、しばしば無価値感や有限性を感じ、時には絶望や不毛さを感じるはずである。しかしそのゆえにこの物理的次元の構造の中で、あなた方の大いなる進歩が達成される。そしてこれが、この次元への輪廻転生の目的である。
.
   物質的肉体がある限り「疑い」がある。だが「疑うこと」をつまらぬものと見下してはいけない。それが人間の在り方であり、疑うことがなくなったら、あなたは人間でいる必要もなくなる。あなたの一歩一歩が目的地までの完璧な道の上にあり、誤りなく導かれていることを知りなさい。
.
   それはあなた方が脇道と見なすかもしれないものであっても、実際には脇道などではなく、あらゆる可能性の内でも最上のものである。疑いの洞窟に入って行くことによってのみ、真理と光を見つけることができる。
.
   魂の進化の途上では、大いなる一歩が起こる時というのは、非常に危うい時期でもある。例えを上げてみよう。あなたが梯子(はしご)のある段から足を持ち上げ、上の段に足をかけようとする時、その一瞬、どこにも足を置くところがない。
.
   全神経を集中し、あなたのすべての現実が、その上げた足裏にかかっていることを意識する時、あなたは恐怖に襲われるだろう。しかも梯子を掴んでいる手や、下の段に残している片足も、あなたの目には入らないからである。
.
   執着を離れる方法を教えてください。
.

   それは自分が何に執着していると感じるか次第である。執着というものは悪いものではない。それがあなたを制限しない限りは。執着は否定的な意味では、自分自身を物理的、肉体的現実と同一視させ、次のように言わせる。「ここにいれば私は安全だ。ここにいれば力があるし、これからもここに留まろう」と。
.
   だが物質的なものにも美しさがある。そして美しいものには喜びがある。その喜びは、その物体そのものにあるのではない。喜びはそれを愛(め)でるあなたにある。そしてあなたに喜びと楽しみを教えてくれるものには、どのようなものであれ価値がある。
.
   もし執着を去ることがこの世の定めなら、”一体感”もまた、あなたの物理的次元の学校からは失われてしまうだろう。そうなればどうやってあなたは”一体感”を学べるのだろうか。それは体験して学ぶ必要のあるものである。
.
   そうでなければ、あなたに必要な”一体感”の学びをあなたがどこで避け、”一体感”を邪魔しようとしているのか、理解するきっかけを得ることも出来ないだろう。求めあい、憧れあい、互いを必要とし合うことがなければ、人間の共同体は失われてしまうだろう。
.
   霊的存在である私たちの抱く、好ましい夢の一つは、すべての魂とすべての心、そしてすべての手が互いに向かって伸び、触れ合おうとする瞬間を思い描くことである。その時、執着を去る必要はなくなり、まばゆい光だけがあるだろう。あなたを勇気づけるために付け加えておくと、こうした理解と受容はあなた方の世界で、もうすでに始まろうとしている。
.
   苦しい状況に打ちのめされることなく、それを体験するにはどうすればよいでしょうか?
.
   それらをあなたが受ける授業と見なし、罰とは見なしてはいけない。友よ、自分の人生を信じなさい。あなたの生があなたをどれほど遠く、道を外れた辺境にまで連れて行くかに見えても、その旅はあなたに必要なものである。
.
   あなた方は広大な経験の地平を通過するためにここへやって来た。それは真理がどこにあるかを確かめ、歪みがその地平のどこにあるかを確かめるためである。それが解れば、あなた方は中心である源の魂の自己へと、今より遥かに力に満ちて賢くなって帰ってゆけるだろう。
.
   人生の途上でどのようなゴールが見出されるとしても、本来の目的は常に、魂の進歩とともに”内なる自己”および”内なる神”と一つになることにある。心を安らかに光と信頼の中、人生を歩みなさい。
.
   あるはずのないものは、あなたのところへやっては来ない。魂を脅かすような出来事は何一つ、あなたの人生には起こらない。実に人生におけるすべての経験は魂の目覚めを促してくれる。ゆえに魂の成長のプロセスに、役立たないものは何一つない。
.
   根源的な信頼ができるようになるまでには常に、いつも何かやり残したことがあり、何かが中途半端であるという気持ちがある。そうした気持ちが、何かが成就された喜びの瞬間にも顔を出し、叫びたてる。「お前はまだこれを忘れているぞ。お前が完璧だなんてとんでもない」と。そしてあなたの喜びはガラガラと崩れる。
.
.
                                                                  
エマヌエルのメッセージ

 

 

 

 

「怖れ」は自らの神性を忘れることで起きて来る

  • 2019.12.14 Saturday
  • 00:04

 


   あなた方を分離するのは「自らを特別な存在」とする意識である。だが「独自さ」というユニークさは、あなた方を互いに溶かし合わせ、それでいながら他の誰にもできないことをあなたにさせてくれる。こうした人間の経験の層を少しずつ剥がしていけば、自分自身と恋に落ちることができるだろう。
.
   虚栄心とは、自己との快い関係を打ち立てたいという必要から出て来る。虚栄心に対し、辛抱強く、優しくしてあげなさい。そして一旦自分自身を敬うことを身につけたら、あなた方には完全にそうする値打ちがあるのだが、あなたはより深いところに進むことができる。少なくともあなたは、自分を守る防御の殻を見出したからだ。
.
   ただし虚栄心の下には、罠が潜んでいるかもしれない。あなたはそれをよく知っている。でもあなたが罠にかからないで済むように、その罠を指摘しておこう。表面的にのみ自分を愛した場合、そのことに虚しさを感じると、じわじわと疑いが湧き起こる。つまり真の自分の姿は、誰にも理解されていないのではないか?、人には自分が装うことにした自分の仮面しか見えていないのではないか?と。
.
   虚栄心(という偽り)が自分にとって罠になることが解ったら、あなた方はそれを捨て始めるだろう。なぜならそれはもう、あなたの役に立たないからである。だがその価値を疑ってはいけない。それはあなたが真に求めるものが誤った表れ方をしただけに過ぎないからだ。だがあなたが立ち上がって周りを見渡すなら、あなたの世界にはすべてがあることが解るだろう。
.
   怒りは霊的に人を引き下げるものです。怒りを処理するには実際どうしたらいいのでしょうか?
.

   まず、怒りを霊的に引き下げるものと呼ぶことを止めることである。あなたが感情を自然に現わすことができるという事実は喜びであり、素晴らしい賜物である。何とたくさんの人間が、自己コントロールを失わないためには、非常に強烈な感情をさえ、知性というフィルターを通さねばならないと信じていることだろうか。これはまったく苦しい状況である。
.
   あなた方の感情の自発性をほめなさい。それは霊的に人を引き下げるものではなく、次のように示している。つまり、怒りがこのように噴出できるのであれば、そのようにあなたの心も開くことができるし、その結果、神の言葉が聞こえてくるだろうということである。
.
   怒りは防御の手段である。怒りは経験するだけで充分である。怒りにはそれ以上の処理をする必要はない。怒りの下には常に恐怖があり、恐怖の下には常に願望がある。
.
   恐れとは、カルマ的な状況の中での、主(おも)な要石(かなめいし)の一つである。それは永遠の愛を信じていないことを表している。それはあなた自身に対する不信である。それは真理と光と愛の、極端に堕落した形である。あなた方の世界は今まさにそれに取り掛かろうとしている。それは大いに歪められた真理の光と、愛との癒しに向けてである。
.
   恐れとは、暗い場所で急速にはびこる意識のキノコである。それは神の言葉と光とを締め出すもっとも強力な扉である。恐れとは門を守るドラゴンだ。それは光の拒否であり、光の拒否は神への抵抗である。それこそが、あなた方を神から隔てている誤りなのである。
.
   本当は私たちは何を恐れているのでしょうか?
.
   あなた方は辱(はずかし)められることを恐れている。そして誤りを犯すことを恐れている。あなた方は自分の知っていることを人間としての経験の中に持ち込んだ時、それが分解してしまいはしないかと恐れている。あなた方は真理を信頼するのを恐れている。あなた方はこの不完全な世界において、愛することを恐れている。
.
   あなた方は祈りと瞑想と、順序立った思考によって、恐れを追い払うことができる。親が子どもの理不尽な行動を受け入れるように、自分の無知と抵抗を受け入れなさい。闇があなたに何を言おうとしているのかを理解しなさい。間違えやすい思考のプロセスが、あなた方の中に入って来ることを受け入れたなら、それを自分の屋根の下に持ち込み、光に変えることができる。
.
   賢明な耳を持って恐れに耳を傾けなさい。あなた方が人生で恐れているものは何だろうか? あなたは自分自身の中の何を恐れているのか? 恐れに挑戦し、恐れがあなたに何を言おうとしているのか尋ねなさい。
.
   あなたが目を開き、心を開いて、勇気を自由にほとばしらせて恐れの中に入って行くと、恐れとは「から」の部屋に過ぎないことがわかるだろう。恐れの強さとは、それを避けようとするあなたの強さと同じである。
.
   恐れを見ることに抵抗すればするほど、恐れを受け入れて抱擁することに抵抗すればするほど、あなた方は恐れに大きな力を与えてしまう。恐れとは未知であり想像力でしかないが、それは現実ではない。
.
   宇宙には何も怖れるものはない。あなた方の今の発達レベルにとっては、根本的な真理であり必要である死でさえが、その中には何も怖れるものはない。神の実在の真実と永遠の現実の中に憩いなさい。
.
   その中にはあなた方の地球上を歩く誰よりも、深い計画と賢明な意識、そして力強く愛する心があることを知りなさい。私はあなた方が永遠に安全であるということを知りつつ、あなた方を祝福しよう。
.
   恐れを破壊するのではなく、その性質を知り、恐れは愛の力より劣った力と見なすことが大切である。恐れはトリックであり見せかけであり、まやかしに過ぎない。それは幻想である。
.
   あなた方の世界では、技に長けたマジシャンたちが幅を効かせている。彼らの袖の下を、背後のテーブルの下をよく見なさい。マジシャンの真の姿を見破りなさい。「恐れ」というマジシャンもそうであり、彼らは詐欺師に過ぎない。
.
   恐れとは、鏡をのぞいて自分に向かってしかめ面をするようなものだ。未知のものへの恐れとは、忘れることから来ている。なぜなら(本来神から生まれた)「魂」にとって、「未知」などというものはないからである。つまり自分自身の本来の神性を忘れて思い出せない時、自然に恐れや抵抗というものが起きて来る。
.
   あなたは安全だ。あなたは安全。あなたはどこまでも守られている。愛する者たちよ、私はあなた方に宇宙の愛に満ちた優しさを、バランスを、公平さを、喜びを、そして美しさを体験させてあげられたらと思う。そうすればあなたはこの後、肉体を離れる時まで、一秒たりとも恐れを感じ得ることはないだろう。そしてこれは真実である。
.
.
                                           
                     エマヌエルのメッセージ

  


   

軽蔑すべきものの中に歪められた本来の神性さを見る

  • 2019.12.12 Thursday
  • 00:05

 

 


         生命の食物連鎖において下位にあるものの苦痛が、私には受け入れ難いのですが。
.
   彼らの運命について、考えすぎるという罠に陥ったものにとっては葛藤が起きるだろう。だとしてもそれらの小動物の意識においては、過去も未来もなければ、「こうであるべし」「こうであるべからず」もない。(彼らの生命もまた永遠であり、彼らもまた人間と同じく、神の生命エネルギーの現れであり)彼らはただ存在するからである。
.
   ですが小鳥のヒナが巣から落ちた場合、その鳥に救いはあるのでしょうか?
   猫が忍び寄って、ヒナを殺すとしたら、鳥に救いはあるのでしょうか?

.
   愛が救いである。愛は鳥だけでなく、猫をも救うだろう。あなた方が捕食者というレッテルを貼ったものの中に、残忍さ、怒り、冷酷などを見て取るときは、それはただ自分の意識の反映を見ているに過ぎない。
.
   (猫と鳥だけでなく)二つの意識が合い寄って、互いの関わりを成就する時には、その行為の背後に愛やバランス、理性、目的を見ることができる。(彼らもまた人間と同じく関わりを通して自らを与え、体験を通して進化する存在である)そうした気づきにより学んでいくことで、あなた方はもう自分を苦しめる幻影に悩まされることはなくなるだろう。
.
   あなた方が、盲目的にではなく、気づきを次第に深めていき、人間の置かれているこの環境を受け入れるならば、あなた方はそこに自分の光の反映の多くを見るようになる。そしていつか、人間社会に何かが起きていても、あなた方はそれを燃え上がる光と見て自由になることができるだろう。
.
   鳥が自ら巣から落ちて猫に自分を贈物として与えることはあり得ますか?
.

   それは自らへの贈物としてである。万物の神はその意識において、鳥の巣からの落下とヒナの死を、(彼らが出て来た本来の源へ戻るという)喜ばしい再合一として、光が故郷へ帰る姿として捉える。
.    
        あなた方が一番高い山に上り、自分たちの世界を眺めるとしたら、そこには闇よりもはるかに多くの光があり、憎悪よりも多くの愛があり、暴力よりも多くの優しさがあることが解るだろう。それらの否定的な部分のほうがより少ないだけに、明確に目立つだけなのである。
.
   その部分は救いを求めている。それは迷子になって怯えている子どものようなものだ。他にどうしてよいか解らないので、喚いたり叫んだり、殴りかかったりしているに過ぎない。恐れることはない。彼らのために祈りなさい。万人のために祈りなさい。
.
   この次元において歓喜を体験することはできますか? それと対になる落ち込みを経験せずにですが。
.

   あなた方が、落ち込みも喜びも一つものだと見做すことが出来た時、それができるだろう。
.
   苦痛の体験の中に別のリアリティ(現実)を見るには、(光への)信仰の飛躍が必要である。なぜなら苦痛と闇は、非常に説得力が強いものであるからだ。あなたは痛んだり叫んだりする物質的肉体を持っている。そして自分を引き裂くような感情も持っている。
.
   だが、そうした苦悩の際には是非、それを経験しているのは誰なのかと自分に尋ねなさい。今自分が経験していることを感じながら、その中に呑み込まれず、それを観察している(内なる)者がいる。それが、”光”をもたらす者になるだろう。
.
   あなた方の宇宙の概念の中には、宇宙の安定性があるからこそ、個々の混沌が生まれる余地もあるのだと気づきなさい。
.
   暴力を変容させ、歪んだエネルギーを本来の美しい光のエネルギーに戻すためには、暴力として現れているそのままに見るのではなく、それが最後に変化していくべき、本来の光の力として見ることが必要である。それは繊細で微妙な仕事である。
.
   ここにはあなた方皆にあてはまる鍵がある。それはもっとも軽蔑すべきものの中にも、歪められてしまった神聖な性質を見るということである。暴力が悪意ある攻撃へとねじ曲げられる以前に、それは神聖な本来の状態においてどのようであるのだろうか。
.
   それは自ら立つ力であり、話す力、そして光への深い信仰を証しする力である。暴力とは外から見ている形である。だが真実よりは歪みの方を見ている。暴力の中には勇気がある。それを一瞬でも忘れてはいけない。
.
   それは「そうすべし」「そうすべきでない」という枠の外に踏み出すことである。それは「私は存在するから注目せよ」と告げている。その言葉を霊的な教えとして聴けば、暴力を自分の中で変容させ、世界の中で変容させる手段を見つけるだろう。
.
   殺人、暴力、残虐、悪意、邪悪は、すべて存在する。それは学校に上がる前の幼稚園レベル程度の者にとってさえ耐え難いものであり、それを見れば苦しくなり、その苦しみが苦しみを生み出す。恐怖を恐れてはいけない。暴力に暴力で報いてはいけない。苦痛を見ても苦しまないように。
.
   もしそうでないならあなた方は、避けようとしている相手を不滅にすることになる。それらの事柄に対して判断をする時、あなた方は神のリアリティを、あなた方人間の理解の範囲にまで狭め、引き下ろしてしまうからである。
.
   あなた方のいるところから見れば、正義と邪悪が見え、私のいるところから見ると真実が見える。人間の世界では多くの者が、殺人者たちが死後の世界で彼らが振るった暴力の償いに、どんな罰を受けるのだろうかと心待ちにしている。だとしても、あなた方は彼らを裁くことはできない。あなた方はただ祝福し、祈り、心を開いて信じることしかない。
.
   私たちが最後にはみな一つの魂に戻るとしたら、私はあのヒトラーとともに全体の一部になるのでしょうか?
.
   あなたとヒトラーが一つになる準備ができた時には、あらゆる憎悪は光と真実に変化するだろう。あなた方の世界は光の曲がっている場所である。だとしても光はそこにあるはずであり、そうでなければそもそも世界はまったく存在していない。
.
.
                                                                     
エマヌエルのメッセージ


 

calendar

S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< December 2019 >>

selected entries

archives

recent comment

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM