あらゆるものは生命の意識を広げるために存在する

  • 2019.11.30 Saturday
  • 00:01

 

 

 

   瞑想とは、あなたの奥深くに眠る宝、つまり自己を愛するという宝を解き放つための道である。瞑想をする時に、自分の不完全さを否応なく見なければならないという困難に出会うこともある。だがそれは過渡的な状態である。それは生命の力が石化してしまっている領域である。
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   この力が解放されると、それは再び祝福に満ちて喜びとともに流れるようになる。あなたの内なる存在に耳を傾けなさい。それはあなたの意識的な心よりも賢明である。
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   瞑想についていえば、どのような状況であろうと構わない。音楽を聴きながら、静かな散歩であれ、おいしい食事のひと時、部屋を照らし出す炎の灯り、ろうそくの灯り、愛する人と手をたずさえながら。どのようなことであれ、あなたの存在の喜びの中心に、錨(いかり)を下ろすことであれば、そして知性がもたらす雑音を無視できるようなことであれば。
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   形にこだわり過ぎる人がいる。瞑想の形は、この地上を歩く人の数と同じだけ存在する。誰でも、自らの内なる静けさの中に、内なる真実の中に、自分にできるやり方で入っていくべきである。内なるこの光は、あなたが生まれながらに持っているものだ。それはあなたの存在のエッセンスと魂の叡智への鍵である。
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   瞑想を行なう時には、その静かな時間を「開いた扉」と見なしなさい。その扉を通って、あなたはより明るい光の中へ、自己と現実についてのより拡大された知覚の中へ入っていく。定義とは、物事を明快にするためのものであり、それに捉われるためにあるのではない。それを忘れてはいけない。
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   自らが広がり始める入口にくると、知性的な心がついていけなくなる時がくる。それをコントロールしていなければならないと思うと、この意識の拡大が目指しているものを制限してしまうことになる。
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   最終的に、あなたが知的な心を超えてその彼方へと進む時、あなたは魂の心(ソウルマインド)に触れることになる。魂の心は、瞑想で広がった意識に対して、形と実体と、意味と関係性を与えることができる。
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   あなたは自分の最も深い部分において、憧れたり、求めたり、ただ”在る”部分にに触れることによって祈る。その部分に自らを語らせなさい。それは言葉よりもむしろ、言葉にならない言葉である。
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   憧れそのものが生命の祈りだ。「神よ、再びあなたと一つとなるために、故郷に帰りたいのです」。祈りにやり方はない。祈りはただ存在する。それはあなたの内なる”一なるもの”の部分である。それは故郷への道の一部だ。だからあなたの好きな方法で祈りなさい。
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   祈りとは、あなたが故郷と結ばれていることを確認するようなものである。自分の故郷が存在することを確かめるためだけに。祈りとはそのようなものであり、それは故郷への電話である。
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   あらゆるレベルの理解と教えを、あなたはこの世界で利用することができる。この世界は、あなた自身が惹かれるものに、耳を傾けることのできる場所である。それに惹かれることがなくなってきたら、別の形の教えを探しなさい。
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   あらゆる国にいて、あらゆる信仰の中にいるまことの霊的な教師は、人類の意識を、個人的にも集合的にも、一人ひとりの「内なる神」へと導いてゆくという、大いなる目的のために働いている。
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   あなたの心を、神的なものの導きにゆだねなさい。だがそれは川の流れに漂う一枚の木の葉のように受動的にではなく、川の流れをリードする水先案内人のように喜ばしい深さを保ち、流れにのって速やかに流れていきながら、なおかつ自分の舟に責任を持っていることである。
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   あなたは自分の心、自分の愛、これが自分だという感じをしっかり経験して初めて、広がった直観知に触れることができる。そうでないとあなたは直観を得ようとして自分の心を失うことになりかねない。あなたがその力を得て深めていったとしても、愛をなおざりにするとしたら、あなたはいったい、何を手に入れたことになるのか?
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   あなたが本来の自分の心を保っているなら、何も失うものはない。だが心を失ってしまったら、いったい何を得られるというのだろうか?
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   人生におけるあらゆるものは、生命の意識を広げるという目的のために存在している。自分のどのような小さな一部でも、失なうということはない。その小さな部分を少しずつ光に変えていきながら、やがて全存在が光となる。
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   だがこれは非常にゆっくりとしたプロセスである。あなたという意識はひと月前と同じところに立っていると感じるかもしれないが、そうではない。あなたはひと月分の意識的経験を積み、そして以前よりも目覚めた存在になっている。
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   私がこれを言うのは、あなたが失望しないためである。努力を怠ることを勧めているのではない。努力に対して意識的であればあるほど、成長は早くなる。
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エマヌエルのメッセージ

  


 

「内なる神」への信仰こそが究極の宗教

  • 2019.11.28 Thursday
  • 00:09

 

   あなた方は自分の歩く道を一つの手段としてではなく、究極のシンボル(象徴)だと思い込みがちである。だから実際に、自らの内なる聖所へ降りて行こうとすることはなく、人類はすでに存在する現実からシンボルをつくり出そうとする。
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   それは本能の為せる欲求ではあるが、それによって人は誤った道に迷い込むこととなり結局、探し求めること自体が目的であると信じ込むことで終わってしまう。
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   いかなる儀式も道ではない。それは道が存在することを思い出させてくれるだけである。何であれ、儀式があなたに囁きかけるならば耳を傾けなさい。儀式がもはやあなたに何も語らなくなったなら、別の儀式を探せばよい。だがそれも、あなたがまだ儀式を求めていればの話ではあるが。
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   一つ練習を教えよう。愛を持って「すべてのもの」をあなたの一部とみてほしい。そうすると、すべてがあなたの一部であれば、どうしてもあなた自身も愛さなければならなくなるだろう。
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   たとえば花を見て、愛を持って花に触れてほしい。目で見るだけでなく体験してほしい。その香りを呼吸し、その美しさを見なさい。それはあなたの一部であなたそのものである。その優しさに触れなさい。それはあなたの優しさである。
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   その根の力を感じなさい。それはあなたの力であり、あなたがこの世界に根を張る力である。この花がすでにあなたの一部でなかったなら、あなたはこれを見ることはなかっただろう。煎じ詰めれば、あなたの最高の教師とは「いかに心を開いて生きるか」ということにある。
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   人生のあらゆる瞬間が、あなたが生きるという仕事である。あなたがもっとも上手く出来ることは何だろうか? あなたがもっとも達成感を覚えることは何? そこにあなたの仕事がある。あなたの心が案内人となって、それをあなたの自己実現へと、神の救済の計画の中で、あなたが果たすべき役割へと導いていく。
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   神の国にはゴールを指し示す道しるべはない。あるのはただ”いまここに在ること”のみである。しかし”ここに在ること”とは、あなた方が思うような静的なものではない。それは実に信じ難いほどの創造性であり、成長であり、運動である。
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   神のこの宇宙に不変なもの、つまり変化しないものは何もない。あえて言うならば、神の意識そのものでさえが不変ではない。ここは永遠に学びが存在する宇宙であり、これは思うに何と素晴らしいことではないだろうか?
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   もっとも小さな変容とは、静かな湖の水面に落ちた小石のようなものである。そのさざ波は静かに果てしなく広がってゆく。
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   あなたのもっとも大切な教師を見逃してはいけない。それはあなたの内なる直感と叡智である。
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   教えるとは、常に思い出させること、灰に埋もれた熾火(おきび)を掻き立てることである。意識の中にまどろんでいる者に、能動的に焦点を合わせるようにさせることである。なぜならまったくの白紙に対して教えることはできないからだ。
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   あなた方は誰もがチャネル(通路)である。誰もが自分の心の声に対して開かれている。そうでなければ、ここにはいないだろう。あなたは自分自身の人生体験という深い井戸から、冷たく澄んだ水、愛、知識、知恵の水をくみ上げて、他の人々に与える。
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   あなたが真実である程度に応じて、またあなたが天の光の中にいる程度に応じて、愛と光と神とがあなたから輝き出る。だが、忘れないでほしい。教師が学ぶことをやめる時は、教えることもやめる時である。その時人は頑なになり、凝り固まり、それ自体が一つの道しるべとなり得るとしても、もはや教師ではなくなる。
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   師が弟子であり、弟子が師であるという考えは新しいものではない。そのことは、あらゆる世代の賢明な魂たちが語ってきた。教えることから多くの学びを得ることができる。だから教師は成長しようと思うならば、弟子であり続けねばならない。
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   すべての宗教の源の部分は、神から霊感を受けたものであり、やがて知性によって把握されて限定され、歪められ、ほとんど破壊されたものも多い。私は宗教に反対するものではないが、その用いられ方には疑問を否めない。
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   万人の中の「内なる神」を信じることが、究極の宗教である。よって、そこに達するための道は問題とはならない。宗教は(未だそれを必要とする人のために)敬われるべきである。でも宗教の中に、人が自らの内に備わる力よりも、大いなる力を求めて崇拝してはいけない。
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   宗教的な教義(特にキリスト教的なこと)は教えられ、世界中に広がった。それは何世紀もの長期間に渡り(宣教師によって)伝えられて来た。しかし、今やすでに人類の意識は宗教を超えて成長、変化しているにもかかわらず、教義そのものは成長や変化を拒否している点を、問題にしなければならない状況にある。
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   最終的な判断は、常にあなた自身がすることである。個々の人間に存在する内なる神は、常に生き生きと息づいている。人間の経験を認めない、宗教的な道を未だ信奉する者たちは、人間性の中には神性がないと思っている。彼らが神を捉えるイメージの中には、暖かさや共感や力強さが含まれない。
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   それらのものは、自らの中に「内なる神」を求める人ならば体験することのできるものである。あなたの愛と共感を、自らの人間性を拒む者たちに与えなさい。なぜなら、(「内なる神」を受け入れられない)彼らの道はいばらの道だからである。

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   もしあなたが、澄んだきれいな水を満たした水差しであるならば、あなたの人生に入って来る他の人たちのために、喜こんで水を注いであげようと思うだろう。でも、もしあなたが空の水差しならば、実際には与えるという行為の振りをすることしかできない。だがそれはまったく与えることではない。しかもその与え方のフリは要求がましい。なぜそうなるかといえば、あなた自身の必要が満たされていないからである。
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   目的が素晴らしく気高いものであれば、それをする自己も素晴らしくなければならない。自己犠牲は過大評価されている。誰も他人のために犠牲になる必要はない。そこには非常に微妙な誤った思い込みがある。犠牲が苦しいものであれば、それをする時にはどうしても、気の進まなさが付きまとう。

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   あなたが満たされていれば、与えることは喜びであるだろう。それが愛なのである。
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エマヌエルのメッセージ

   


  


 

恐れずに「心を開く」

  • 2019.11.26 Tuesday
  • 00:08

   


   

   愛は宇宙的なコミニュケーションである。それは宇宙をつくり、宇宙を動かしているエネルギーである。神は愛のエネルギーそのものであり、すべての物質はこのエネルギーによって創られた。聴く耳があれば分るはずで、万人に囁きかける自然の愛がある。木の葉は愛によって木と結ばれている。
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   愛は世界を転回させることができて、実際にそうなっている。あなた方の惑星を回転させているものが愛でなくて何だろう。あなた方の太陽の炎を構成し、人間の肉体の細胞を形づくり、天の星をつくり、心の中の意識をなしているのは、すべて愛である。
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   存在するのは愛だけである。仮面や見せかけに惑わされてはいけない。愛は宇宙を繋ぎ合わせる膠(にかわ)である。魂のもっとも切なる望みとは、自分を愛せるようになることである。そうすれば自分が一つになり、その中では苦しみのもとである自身に対する価値判断が取り除かれる。
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   真の自己愛は利己的ではない。真の愛は高ぶらない。愛と同情は、まず自己に対して充分に注がれていなければならない。そうでなければ、他人に対して注ぐことはできない。自分を愛さないでいて、どうして神の愛を感じることができようか。その二つ、つまり自分と神は一つであり、同じものではないか。
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   自分自身を完全に受け入れるまでは、あなた方は扉を閉め切っており、望んでいる広い空間に出て行くことはできない。この広い空間は、心を通じて入ってくる。自分自身に優しくありなさい。
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   愛は練習を必要とはしない。愛はただ存在する。”在ること”を練習することはできない。でも愛するという決断をすることは練習できる。愛への道は、愛がないということはどのようなことかを経験することで見出せる。
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   それはあたかも光への道が、闇に気づくことによって見出せるのと同じである。あなた方には最高の選択をしてほしい。愛は技術としてマスターするものではない。それはただ、受け入れられるものである。
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   愛はさまざまな入れ物に入ってやって来る。それは芸術家の豊かな表現や、殉職者の素晴らしい自己犠牲から、指導者の断固たる決定の中にも存在する。両親の触れてくる手の中に、道を横切る子どもの手を引く小さなことでさえが、立派な愛の行為である。
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   親切と愛のあらゆる行為は、あなた方の世界における神の真実に、光と力を増し加える。愛という概念を、あなた方の物質的世界にもたらすこと、そしてできる限り豊かに愛を生きることは、輪廻転生を決めたあなたの内なる神の使命に応えることである。
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   あなた方の世界の人はみな、愛が満たされることを望んでいる。それは神の愛の代用品ではない。それは宇宙的な計画が物質的な形を取った場合の、人間を養い、活力を与え、自由にするという面を持つ。
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   神への愛と伴侶への愛との間で、愛が引き裂かれることはない。私は、そんな葛藤はないと言おう。肉体的な次元であなたが受け取り、養い育てる愛は、実はあなたの霊的な成長に役立つものだ。あなたが愛を求めるのは、花が太陽を求めるようなものである。そして、あなたにはそれを得る権利がある。
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   死後も愛は存続するのでしょうか?
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   愛は永遠であり、あらゆる時空間の見せかけの障壁を通り抜ける。愛は断ち切ることのできない絆である。あなた方の意識は肉体を通り抜け、非肉体的なものにまで達し、また戻って来る。それはあなた方が日々の仕事に、忙しく立ち働いている間でさえもだ。
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   あなた方の中に愛があり、神のもとに戻りたいという望みがある。故郷への帰還の秘跡とは、この生においてリアリティが絶えず新たにされることにある。あなたの心が、あなたを故郷へ連れて帰るのだ。
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   あなた方の文化は非合理性を嫌うことから、頭脳が先に立って心がそれに従ってゆくべきと考えられている。この誤った考えを逆にし、自分の心を自分の魂のエネルギー、毎瞬の自発性へと転じて、人生への愛を取り戻してほしい。
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   世界は合理的である必要はない。世界はただ体験されるべきものである。合理性とは頭脳が求めるものであり、頭脳は心にこのように言う。「ここは私が支配する。おまえは愚かで何も知らないから」と。
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   思考とは、あなたを戸口にまで連れて行く道具でしかない。そこから先は、その道具を置いて進まねばならない。
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   愛する者たちへの心配をどうすればやめられるでしょうか?
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   それぞれの魂が本来持つ、完璧な叡智を信じることによってである。不安とは、社会的に許容されている型にはまりこんだ、不信という名の別の名前である。
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   もしあなたが、「私は子どもたちのことが心配だ」と言えば、「それは当然だ」と他の人たちは言うだろう。そしてあなた方を良い両親だと思うだろう。では、もしあなた方が「実は私は、子どもたちが持つ本来の神の計画を信じていない」と言えば、みんなの反応はどうだろうか?
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   心を閉ざすために、あなた方が何世紀もの間使ってきたやり方を握り閉める手を緩め、すべてを手放しなさい。心の自然な状態とは心を開け放ち、オープンであることだ。求めるものに対し、自分がどれほど抵抗しているかをよく見なさい。
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   どうすれば自分の道を見つけられるんだろう? どうしたら心を開けるんだろう? どうすれば内なる神に触れられるのか? どうしたら私とともにある霊の言葉が聴けるんだろう? どうしたら愛することを学べるのか? どうすれば真の私になれるのか?
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   その答えとは、本当の自分ではない自分をやめることにある。たとえどんなに安全だという保証があろうとも、人間界にいる者たちの心はどれ一つとして、すぐに開かれることはない。それらはすべて、恐れが原因である。
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エマヌエルのメッセージ


 

内なる「神の意志」

  • 2019.11.24 Sunday
  • 00:03

 

 


    あなたが心から「私は神の意志を知ることを選択する」と言う時、それが自由意志の最も基本的な使い方である。つまり、選択の自由がなければ、神の意志を知ることはできない。自分を明け渡す時、そこには強制はない。
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   解放へ向けて努力する時、解放はより困難になる。なぜなら、それは意志によって行われるものではないからだ。それは自己放棄から達成される。あなた自身の真実に、本来のあなたの統合性に場所を譲りなさい。
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   あらゆるものを取り去り、成就することができるのもあなただけである。放棄の姿勢が深まれば、ひとりでに大きな救いが達成される。放棄することによって、あなたは自分の人生を完全に支配できるのが解るだろう。放棄は選択であり、それは完全な個人的な選択である。
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   神以外のものに対しては、誰も完全に自らを明け渡すことはできない。他のすべての放棄は象徴に過ぎないからだ。放棄はもっとも利己的な行為とも言えるだろう。なぜならそれは、完全な成就への道だからである。
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   人間の意志が「神の意志」と同調する時、それはまったく努力のいらない在り方となる。あなたの内なる知恵は安らぎを見出し、自分に対するコントロールに力むこともなくなる。
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   内なる「神の意志」が存在することを知る為には、内なる多くの声に耳を傾けなければならない。それは恐怖の声や怒りの声、矛盾の声、頑なな声、ありとあらゆる幻想に満ちた(エゴの)声にである。
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   それらの声が馴染み深いものになってきた時、あなたの内なる知恵の優しさや柔和さ、光の暖かさがもっとよく聞こえてくるだろう。それは内なる叡智の上に重ね合わされた他の声々とは、不協和音のように噛み合わない。それが「神の意志」である。
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   それぞれの魂にとっての最後のレッスンは、自分の心の中に現れる「神の意志」に対して、自己を明け渡すことである。疾風に逆らうことはない。風に自分を明け渡し、その一部になればよい。
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   一人ひとりの魂と宇宙の魂、すなわち源である神との関係は、種々のエネルギーがその源である神の宇宙エネルギーと結びついているのと、まったく同じ関係にある。あなたは、永遠に循環し続けるその力の一部である。
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   転生するたびにあなたは、自分を”一なるもの(ワンネス)”から隔てている誤解を脱ぎ捨てていく。あなた方を隔て、分離させるのはこの混乱だけであり、あなた方は今、(出て来たところへ)戻る道を見出そうとしている。
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   人間の神性とは、肉体を成すすべての細胞であり、あなたというすべての意識であり、人間にまつわるもののすべて、そしてそれを超えた無数の神のエネルギーの現れである。
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   まことに人類とは驚くべき現れだ。あなた方はいろいろ考えて想像し、自分がよりよくもっと完全にならなければ、内なる神を見出すことなど叶うわけがないと、厳しく決めつける必要はない。それが(あなたを隔てる)大きな制限となっていることが解るだろうか。
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  エマヌエル? あなたはどのようにして神を知る存在となれたのですか?
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   私自身も、あなた方が今経験しているような、ありとあらゆる人間の在り方を通り抜けて来た。私もまた”一なるもの”から離れたことで、自分自身の意識を見出し、その意識を持ち帰り、神の光に増し加えようとした。
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   その途中で、あなた方と同じように本来の目的を忘れ、神からまったく隔てられたように見えるこの世界にはまり込んでしまった。そして神から離れているという恐ろしい事実を信じ込んだ時、辺りは真っ暗闇に思えた。
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   けれども、やがて憧れと苦痛が増してゆき、あなた方が今しているように、私もひるがえって光を求め始めた。光がないことで苦痛を覚えるのなら、どこかに光があるに違いないからである。もしこの闇が私の真実の故郷であるのなら、私はそこで安らいでいるに違いないはずだから。
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   それで、あなた方と同じように私も道を転じ、山を登り、流れを渡り、モスクや寺院や教会で祈り、教師の教えに耳を傾け、よろめき、また歩き続けた。そしてついに進化の時が訪れた。私は心から真に、「私と神は一つだ」と言うことができて、転生の輪から脱することができたのだった。
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   神から離れることで、愛を求める旅が始まる。神から離れることで個別化された意識は、人間界の物質的経験を通じて自分自身を完全に知り、より大いなる光と理解を持って”一なるもの”に帰ってゆく。それにより”一なるもの”に経験というリアリティが増し加わることになる。
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   なぜならすべては絶え間なく拡大し、創造され続けているからである。至高の源は遍在する。しかし個別化され分離した経験がなければ、どこか欠けたところがあり、虚しさがある。(そうでなければ)経験し、表現しながらこの旋転する宇宙、すなわち永遠の創造の一部になろうとする、意識のない全体性のみが存在するだけだろう。
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   あなた方はもっとも深い意味での「創造者」になろうとしている。あなた方は創造の行為において、神の創造に加わろうとしている。実は、”堕落”などというものは本来存在しない。”堕落”は、人間としての経験を象徴したものである。
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   象徴としての堕落の意味は、我々が個別化した大元の目的を忘れ、魂の意図したことを忘れて、多様性の中に道を見失うことである。だが、そもそも人間がどうして神を離れることなどできるだろうか? 人の本質はすなわち”神”であるのに。
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   ”堕落”を光へ至るための素晴らしい地図として生かすことである。あなたは転生するたびに、引き返すことのできる地点を見出す。あなたが抱く違和感は、大元からの分離であり、大元を忘却していることの印である。
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   すべては息づき、脈動している。宇宙も銀河も地球も、肉体を形作る分子でさえも。神からの分離と帰還、それは宇宙の創造的な鼓動なのである。
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エマヌエルのメッセージ

  


 

生まれながらに持つ存在の「核」

  • 2019.11.22 Friday
  • 00:16

 

 

  

   人間の魂を見る時、私には光が見える。それは純粋で、非常に美しい光で広がっている。人間を見る時、まさにその魂がさまざまなにぶい光に覆われて、歪み苦しんでいるのがわかる。それはにぶい色彩によって輝きが侵されており、不透明に限定されている。
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   しかしその光彩の内側には、どの魂にもまことの神の光が宿っている。私が愛を持ってあなたを見る時、あなたが愛を持って他人を見る時と同じように、光をはっきりと見ることができる。
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   疑いと恐れの色がどのようなものか知りたいだろうか? 一番暗い色とは、神の否定、憎しみ(愛の不在)であり、それは黒いうえにも真っ黒な色である。それは単に幻想に過ぎないが、時に非常に暗くて濃い幻想である。
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   恐れは、鬱屈した灰色をした感情として見えるだけでなく、それが怒りと結びつく時には、硫黄の混じったどぎつく不快な黄色の悲鳴のよう(なオーラ)に見える。
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   激情は、どのような形であれ、さまざまな種類の赤色に見える。知性はしばしば黄色であり、肯定的な目標に向かっている場合はバターのように輝く黄色に見える。知性が心を無視する時は、濁った暗い黄色(のオーラ)となる。
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   緑は癒しの色だ。それは肉体の中で起きる癒しでもあり、他人を癒したいという望みでもある。その場合は、人間の愛である柔らかいピンク色と混ざり合っている。
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   神の愛は白く輝く。銀色はコミュニケーションや言語の色。それは真実を話す時にはまばゆく輝き、閃光を放つ。真実を否定し嘘が混ざる時、表面だけを取り繕う時、それは鋼(はがね)のような暗い灰色(のオーラ)となる。
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   青は、高まった霊性や互いの間の共感と結びつく時、もっともまばゆく輝く。あなたが本来の自分自身と直接に、また真実をもって結びつく時、すみずみまで鮮やかで美しい濃い青色を示し、あなたの内面に湧き起こる深い感情を表す。
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   ラベンダーや紫は霊の色である。指導霊は最初に現れる時、その色をまとっていることが多い。
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   黄金色は神の愛を現わす。神の愛に携わる仕事に身を捧げ、打ち込む時、あなたを通じて世界に与えられる色である。
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   これらのことすべてを、あなた方はすでに気づいているはずである。あなた方が過去の人生で出会った人たちを包む色(オーラ)を実際に見ていた時、その経験を思い出せるように私は話している。

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   そうした人々は、あなたが言葉で理解するより前に、もっと明確に(オーラを通して)メッセージを発していたのである。よって私には、あなたの全身はまるで虹のように見える。
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   あなたと神は一つである。心と頭脳、魂と肉体が最終的に一つになる時、あなたは完璧な整合性を持つだろう。あなたはその時、輪廻転生のサイクルから解き放たれる。究極の自己を知るとは、神を知ることである。
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   なぜならあなたと神は一つであり、そのことを見出し、再発見するために、あなたは数限りない過去世を旅して来たからである。
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   信仰とは頭でするものではなく、それは感じるものである。信じる必要はなく、信じる意志があればよい。なぜならそれは、あなたの在り方の一部であるから。
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   真に神を知るためには、自分を知らなければならない。今のところは、神をより高い真理として、またより広い現実、自然の秩序として、また聖なる安全と愛として考えることもできる。つまりそれは、慈しみ深く、優しく愛に満ちた永遠の現実のことである。
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   神を、そのような人間の姿で思い描いても結構だが、いったん自分自身の核を見出し、自分の光を見定めることが出来た時、神が実は誰であるかが解るはずである。
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   頭で神を理解することはできないが、心はすでに知っている。頭の役目は、心の命令を果たすことである。個々の人生における最大の戦いは、知性と心の戦いである。それは、心が「その通り」と言っても、知性が「理解できないから信じられない」と言う場合である。
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   心とは、万人の中にある誤ることのない磁針である。だから頭よりも心のほうが魂をずっとよく理解する。本来、頭は心の望みに仕えるものであるが、そうでない時、頭は歪んだ主人となるだろう。
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   あなたにとって唯一正しい道は、あなたの内にあってすでに定められた道である。この道を見出すために、心の囁きに耳を傾けることが大切である。そのための方法は他にはまったくない。
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   ほんの小さな頭脳が、恐れのために頑なで支配的になろうとする時、あなたの内なる深い部分は、永遠に冒されることのない安全と、すでに神と一体であるという真理をあなたに囁く。だから心の言葉に耳を傾けなさい。そこにこそ、あなたの光と真実がある。その時、あなたの意志と神の意志は一つものである。
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   だがこれは耳には快いが、それを信じるのは難しい。あなたが自らの心を信頼し始めると、何かが喜びと満足をもたらす。その時、それは内なる神の意志が、あなたの心を通して語っていると解るようになる。
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   生まれながらにして、あなたという存在の中には「神の核」がある。その核が語りかけているということを信頼しなさい。心の囁きが導く道は、内なる神があなたを導く道である。あなたの意識に神への思いが上るたび、未だ神の意志を疑うザラザラした抵抗が、魂から洗い流される。
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   海辺の砂粒を数えるほどに途方もなく、あなたは過去世においてだけでなく、この現世でも神との一体を実感したいと、何度それを望んだことかを知っているだろうか?
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 エマニュエルのメッセージ


 


 

誰もが「天から堕ちた天使」

  • 2019.11.20 Wednesday
  • 00:09

 

 

   

   過ぎゆくものであれ永遠のものであれ、すべては美しい。すでに光に照らされたものだけを見たいと思い、この世の闇に今なお沈んでいるものを見ることを避けたいと望む人がいる。生とは浄化されなくてもそのままで美しい。人間を解剖し、すべての要素に分解してみるとよい。そうすれば、どの部分にも謝罪すべき不完全なものはないと解るだろう。
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   あらゆるものに生命があり、あらゆるものに意識がある。意識が草の葉のレベルに達したなら、意識は草の葉の中にある。意識が成長して、草の葉以上に目覚めたレベルになれば、意識はより目覚めた状態の形で現れる。
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   光と闇の戦いは、あなたの中にこそある。あなたは自分の人生を支配している。あなたがここにいるのは、自分の中の光である部分を見て、まだ闇に沈んでいる残りの部分や、光に抵抗する部分を発見するためである。
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   この世には犠牲というものはない。自分が否定的なものの犠牲になっていると人は思いがちであるが、否定的なものとは実際には、カルマの構造の一部として、当の本人が持っているもののことである。
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   闇もまた選択である。私たちが今話しているのは、光の不在ではなく、光の否定についてである。なので万物に神が遍在するという観念は、理解し難いというものではない。
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   悟りとは何か。それはすべてであり、無である。これを別の言葉で言い換えてみると、たとえば「悟りとはすべてを知らされること」と表現すれば、悟りを限定することになる。では「悟りとはすべてを愛すること」と言えば、愛を限定することになる。悟りに始まりや終わりは存在しない。人間の語彙は、限定に満ち満ちている。
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   だからこのように言おう。悟りとは、永遠の中のこの一瞬に知性を働かせることなくして、しかも万物を意識しつつ在ること。それはまったき平安であって、不安の存在など気づくこともないと。それはまったき愛であって、憎しみの存在など気づくこともない。
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   それは終わりなきすべてであって、終わりという幻想を忘れ去った状態であると。それは祝福であり、祝福の存在しなかった記憶すら存在しない。それが、ただ”在ること”だから。
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   それは肉体もなく、個性もなく、衣服も、障害も、恐怖も、限定も制限もなく、自己という意識すらもないあなた自身であって、ただ永遠の光を限りなく感受し続ける存在である。それを表現するについては、今この時点ではこのようにだけ言えるばかりだ。だがすべてが一つであるという意味は、互いに溶け合うという意味であって、個の抹消ではない。
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   神への否定が何層にも重なって、魂を物質的な形に閉じ込めているが、外科手術のように一瞬にして、この層を剥ぎ取ることはできない。そのためには経験を通じて、少しずつ「内なる抵抗」をそぎ落としていくことが必要である。
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   不幸にして、多くの経験は苦痛に満ちた否定的なものである。しかしそれでもある地点に達すると、そこからの学びは光と喜びの中で行われるようになる。
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   真理と責任を回避しようという根深い欲求がある時は、喜びは学びの機会としてではなく、逃避として使われる。そうなれば当然、自分が苦しんでいるのは自分のせいではなく、自分の責任ではないと言うだろう。だが苦しみがなければ、そもそも責任という問題も当人の頭に浮かんでは来ないのだ。
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   辛抱強くありなさい。そして人間のサイクルに存在する(抵抗という)防御の層が、一枚一枚はがれていくにまかせなさい。そうすれば、苦難と考えられていたものは、学びの機会であることがわかるだろう。
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   永遠の真実に対する愛こそが、多くの転生を通じて、あなたを究極のゴールに導いてゆく命綱である。その糸はなんと繊細で、なおかつ強靭であることか。このように、それぞれの転生で織りなされたタペストリーは広がってゆき、やがてあなたの待ち望んだ時に転生のサイクルが終る。そしてあなたの魂の望みにしたがい、より高い意識レベルへと近づいていく。
.
   最終的に、すべてのものが再び神と一つになり、そのことに完全に明確に目覚める時、あなたは人生を振り返り、「愚かだった」とは決して言わないだろう。そうではなく、このように言うだろう。「あれは愛が自らを知ろうとしていたのだ」と。
.
   霊においては、あなたの存在のエッセンスは愛である。あなたの心の中にあって、神の意識そのものであるような優しさと穏やかさ、それがあなたの真の姿である。他の人に愛とともに触れる時、あなたは神のわざを行なっている。万人の中に、「天から堕ちた天使」を見なさい。
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   あなたがその全貌に、とうてい気づくことのない大いなる計画がある。あなたは本来の自分自身になることによって、またベストを尽くすことによって、心の促しに従うことによってのみ、その計画に貢献できる。
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   これは神の救済の計画である。それは魂という意識の存在だけでなく、地球そのものを救う計画である。時は近づいており、これまでの果てしない努力が頂点に達する時、それがこの惑星に新たな光のレベルが到来する時である。
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   この惑星はまだしばらく、否定的な見解あるいは肯定的な見解の、選択の機会を提供する学びの教室であり続けるだろう。だが光はさらに豊かになり、この光に対する気づきも増してゆく。

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   愛が栄える時、優しさが力であり、またそれが力であると認められる時、そして神が再び、それぞれの人間の意識の中心に置かれる時、バランスが戻って来るだろう。。
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                    エマニュエルのメッセージ

   


 

内なる神に対する「抵抗」とは何か

  • 2019.11.18 Monday
  • 00:04

 

 

  

   あなたは自らの人生だけでなく、あなたの惑星の創造者でもある。ここは選択の惑星地球であり、あなたはここで闇と光を同時に見て、そして選択の自由を持っている。あなたが気づきを高めていくことは、この惑星の癒しにとって必要不可欠な部分である。
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   あなたの世界は物理的危機に瀕している。だが危機とは何だろうか? それは学びのプロセスである。あなたの同胞である人類を信頼しなさい。彼らは学ぶ力を持っている。
.
   あなた本来の本質において、あなたはすでに完璧である。より広い、すべてを包み込む現実においては、現在肉体を持つ魂たちは、今も安全に均衡と真実と合一の”神の法則”に結び付けられている。
.                
   再び”一なるもの(ワンネス)”に回帰しようとする進化の過程において、あなたは自分が何者なのかを思い出すために、この意識のレベルに立ち止まった。もしそのためでなかったならば、あなたが再び肉体に入る理由はなかった。
.
   それは発見したものの外面的な広がりの中で目的地を忘れ、道に迷い、罠にかかり、故郷へ戻る道もなく、切り離されていたように感じていた、あなた自身の一部に思い出させるためである。
.
   日々の生活において自分に尋ねてみるとよい。「私は何を忘れているのか?」と。苦しんでいる時、「私の覚えていないことは何か?」と。 為すすべを失った時、「私は真実の自己をどこに置いて来たのか?」と。
.
   諸君、これは必要なステップだ。まさにここは偉大なすばらしい教室である。ここにこそあなたの意識は属している。そうでなければ、あなたは今ここにいないだろう。そして私はあなた方を故郷に導くためにここにいる。
.               
   ここは幻影について学ぶ教室である。一過性の物事に永遠の意味づけを与えてはいけない。あなたが学ぶべきことを学べば、幻影は離れ去って行く。だが教科書を置いて行く時は、次の授業の人たちが使えるように、出来る限り良い状態で置いてゆこう。この幻影の目的を知ることが、それを尊重することにつながる。すべてはいずれよくなるのだから。
.
   光の方に向かおうとする望みが高まるにつれて、魂は自分のどこに抵抗が残っているかを知り、その抵抗を探究する責任を引き受ける。神の法則は、まだ目覚めていない者たちに、自ら持てあますような多くの選択や多くの責任が与えられないように配慮している。
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   ”類は友を呼ぶ”法則によってその意識レベルの中に、それに対応する形で人間の物質的な現実が現わされる。
.
   誰でも入学したばかりの一年生で突然卒業することはできず、少しずつ進むしかない。意識は自らを探り、創造しながら、ゆっくりと目覚めの階梯を上がって行く。
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   深い闇と無知の底にいる者が、肉体を離れたからといって、突然まばゆい光と全的な責任の中に飛び出すことはない。もしそうであれば、意識が自らの現実を創り出すという神の契約に反することになる。
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   真実にはさまざまなレベルがある。どの真実も、あなたが全的に目覚めるための役に立つ。それぞれの認識のレベルに応じて、糸をたどって行くとよい。逆の状況と見えるものが並存しているのを見ても、心を乱すことはない。いずれこの二元性は、全体にとって欠かせない部分であることが解ってくる。

.

   しかし、この幻影の中にこそ、あなたの真実の種子が潜んでいる。あなたが人生の苦痛について探究し、それを自らが創り出したものとして受け入れるならば、あなたはその幻影、すなわちあなたの中の闇に真っ直ぐ向き合って行くことになる。

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   その闇を理解し、その闇に対する完全な責任を負う時、あなたはその領域のもつれを解きほぐし、それを生の流れの中へ、真実の中へと戻す力を得る。

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   (自らを知るという)あなたの真実があなたの力である。真実を見出すことほど、あなた方を自由にするものはない。死の恐怖からの自由、不信、制限からの自由、本来のあなたになるための自由、それらはあなたが自身を探究し、正直になることによって得ることのできる賜物である。

.

   自分の真実こそ自分の力であり、救いであり、成就、目的、行くべき道であるという単純な事実を学ぶまでは、人生は非常に困難な学びに思われる。人生は本来、楽しく豊かな庭園になり得るものだと、心から信じられるまでは(そうはならない)。

.

   喜びとは、宇宙にこだまする音である。あなたのすべての苦しみが、まさに誤解に過ぎなかったと解る時、あなたはその音を聞くだろう。そしてまことにあらゆる混沌とは、つまり人間の環境というものは、良くも悪くもすでに手にしている”一なるもの(内なる神)”を、なおも外側に探し求める魂の意識が、幻想として創り出すものに過ぎない。

.

   自由とは幻想ではない。自由とは本来の在り方であり、自由とはあなたの生まれながらの権利であり、あなたの故郷そのものである。

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   太陽を横切って歩む影を喜んで受け入れなさい。もしこの世界が完璧な処であるならば、(学びを必要としている)魂は、いったいどこの学校へ行けばいいのだろうか。

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   この世界に存在するさまざまな制限を知って涙を流すことはない。それらの制限には意味があり、不完全な世界においてこそ、学びの機会があるのではないか。生きる力が制限されがちではあっても、そのために苦しみ嘆く必要はない。

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   この世界を、魂が自ら選んでやって来た仮の場所と見做しなさい。なぜなら誰もが、自らの環境の微小な細部に至るまで、自分の学びのための機会として選択したからである。

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   すべては神から生まれたものであり、すべての意識はいずれ、自らが神と一体であることを知るだろう。意識の流れは自然に光へと向かうものだから。”一なるもの(ワンネス)”に対する唯一の抵抗は、あなたの意識の中にしか存在しない。よって、そこにこそ苦悩があり、苦闘がある。

.

   いったん気づきが広がるならば、それは収縮することはない。歪められることはあっても、縮むことはあり得ない。あなたの内なる抵抗によって、人生に現れてくるさまざまな経験は、自らの真実と光へ向かうために起きてくる。その目的はあなたの抵抗が生み出す障害が持つ苦しさを知らせることで、あなたに前進を促すためである。

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   すべてが神に向かって進んでいくことを堅く信じるようになると、その障害は別の意味と形を取るようになる。それらは人間のレベルにおいては障害でしかないが、究極のレベルにおいては導きなのである。
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エマニュエルのメッセージ

                  


 

自分という魂の叡智を信頼する

  • 2019.11.16 Saturday
  • 00:03

 


   

   人生の目的は探究であり、冒険であり、学びであり、喜びであり、故郷へのもう一歩を踏み出すことである。そこにおいて肉体とは、この次元を生きる宇宙服のようなものである。
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   あなたの肉体はあなたにとって、制限の象徴、大いなる苦痛と死の象徴であり、また驚くべき不足の象徴、取るに足りない不測の事態の象徴であるかもしれない。あるいは、肉体は魂が自ら選んだ乗り物と見ることもできる。なぜなら肉体は宇宙服と同じように、今いるその場所では必要なのだから。
.
   自らの神性に気づくことは、人間の性質の一つである。霊的なものと人間的なものは、手をたずさえて行かねばならない。そうでなければ、霊的なものをその上に築く基盤は持てない。
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   我々はみな一つである、つまり真実は一つ、エネルギーは一つ、感じることは一つ。頭脳がこの事実を理解し、抵抗なく受け入れることはできないとしても、心はその事実を知りたいと望んでいる。
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   自らが、どこかに属していることや、脅かされることなく永遠であること、そして霊的な真実において、すでに神と一つであることを知ることこそが、生きる目的ではないだろうか。
.
   人間であるゆえに置かれる状況は、霊的世界と対立するものではない。人間の状況とは、限られた見方の中においては、物質の形で表現された霊的世界の写しに過ぎない。よって人間のどのような経験であれ、霊的世界に存在しないものはない。ゆえに人間であることは祝福されたことである。それは霊的な世界を映す鏡であり、忠実な複製なのである。
.
   万物の内に神性はあり、その神性を見出すためには、身の周りの物質と取り組まねばならない。つまり、あなたを支える大地を無視することは、それを形づくった聖なるエネルギーに異議を唱えることである。
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   あなたに必要なテキストはすでに完成されている。すべてはここにある。人間が成長するために、他に知る必要のあることはもうない。この先、新しい教えが出てくることはない。なぜなら、その必要がないからである。
.
   私たちのような霊的存在がここにいるのは、あなた方にすでに与えられているものを、改めて指摘することにある。あなたは愛に満ちた宇宙に生きている。そして、ここにあるあらゆる力があなたを支え、あなたを助ける。
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   私たちは大いにあなた方を敬愛している。なぜならかつて、人間を経験した私たちの中の者たちは、人として生きることが勇気を必要とすることをよく知っているからである。
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   人生の経験とは、魂が知りたいと望むことが、外に現れたシンボルである。一つ一つの魂は、その魂が内なる光に対して持つ意識的な抵抗を、象徴的に物質で表すような現実に入って行く。だから人生を体験する時、それをあなたの願望の現れ、あるいはその願望を否定するものの現れと見なしなさい。
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   ここに転生しているすべての魂は、否定的なものを内に持っている。もしそうでなければ、そもそもここに生まれては来ないだろう。
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   人間の生活に入る時、感覚の欺きの中に入る。東洋の伝統ではそれを幻想、妄想と呼ぶ。もし幻想を真実と見なすなら、その時あなた方は苦しみや恐怖、病いに伏すことになる。
.
   そうではなく、あなた方は人生の創造者であるという見方に立ち人生を初めてほしい。生きることを、素晴らしい価値ある学びの経験と捉えること。それぞれの状況の中に、あなたが「壺づくり」として土をこねた部分がある。つまり、あなたが創り出した外なる現実に、あなたの内なる自己が鏡のように映し出されているのがわかる。
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   あなた方はみな、自ら地球への転生を続けようと決めた時から、魂がこれで充分と見なして解脱することを学ぶ時までの期間、自分の責任を引き受けることを学ぶ。
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   あなた方は日々の行動に対してだけでなく、自分が存在するという事実そのものに対して責任がある。それを知ればあなた方の責任の及ぶ範囲は、「ゆりかご」という誕生前の彼方、そして肉体の死という「墓」の彼方へと広がっていくだろう。
.
   どのような人間であれ、「我は創造する」と言われる神の一部である。あなたという、神の一部であるあなたが存在のどの時点で、人間に転生しようと決めたのかを思い出すことはほとんど不可能である。
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   自己実現とは「内なる神」を実現することである。神性とは、人間性の上につけ加えられるものではない。それは人間性そのものであって、そこに分離はない。ゆえに、あなた自身を知るならば神を知ることになる。
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   あなたの源である本質的エッセンスは神のエネルギーであり、すなわち創造(主の分身)であるゆえに、あなたは創造する。あなたは創造者であり、自ら歪みを創り出し、また自らの真実を創り出し、そのようにして学ぶ。
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   あなたは子ども時代の環境を自ら選んだ。それはこの人生において、あなたが矯正しようと思った自らの歪みに焦点を合わせるのに、もっともふさわしい触媒だった。つまり最高の計画と設計と計略とを用いて、あなたは自らの肉体と心と感情を形作ったのである。
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   魂の叡智を信頼することである。それが、あなたの人生の目的を形にするために、幼児期の環境を選んだあなたという魂の叡智である。
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      エマヌエルのメッセージ


 

この次元にはなぜ苦痛や苦悩があるのか

  • 2019.11.14 Thursday
  • 00:07

 

 


   あなたの心の奥深くに気高く生き生きと存在するのは、”内なる神”です。確かにそれはそこにあり、静寂を通して触れることができます。多くの人にとって静寂とは瞑想を意味します。長時間の長い瞑想は”大いなる源”への最短距離と言えますが、誰にでもできるわけではありません。なので誰にでもできることについてお話しましょう。
.
   まず最初に、内なる静寂を体験するには何かを変えなければならない、という考えを捨ててください。静寂とは、肉体の動きや自分の周りにあるエネルギーの動きを、すべて止めることだとあなたは考えているかもしれません。ですがエネルギーは常にあなたの周りを動いているものなので、それを止めるのは不可能なことです。
.
   あなたの魂、全体性は、あなたの「存在」の中にある静けさへの道を知っています。ですから具体的にどうするかを、あなたが知る必要はありません。ただ、そうしたいと思わなければなりません。「静まれ」という指令を心の中で自分に与えなくてはなりません。
.
   まず最初に息を止めるようなものです。目を閉じ、息を止め、自分の中の静けさを感じてください。その後は、今までやっていたことをそのままやり続けてください。
.
   あなたは純粋な目覚めた意識です。それ以外の定義は全部ウソです。でもそうだとすると、”大いなる愛”はどこにあるのでしょうか? 私が「愛」という言葉をあまり使わないのは、人間の意識の中ではその言葉が、あまりに手垢がついたつまらないものになっているからです。
.
   人は自分の心と頭が、”大いなる愛の光”で満たされていることに未だ気づいていません。その”大いなる愛の光”こそが、純粋な目覚めた意識なのです。覚醒と愛は同じものです。愛とは覚醒の感覚なのです。
.
   ”聖なる愛”というものが存在しており、自分がその聖なる愛なのだということを信じようと決心してください。そうすると、それを心から感じられるようになるために、日常生活の絶え間ないざわめきを静めたいと思うようになります。
.
   あなたは”大いなる愛”そのものであり、”大いなる慈しみ”そのものです。内なるこれらの愛と慈しみ に触れることができると、素晴らしく高揚した気分が生まれ、心と体と精神を満たしてくれます。
.
   日常生活の中でこの静寂を実践していくと、それまでになかった経験をするようになるでしょう。自分の内側に何かが本当に存在しており、静寂さを通してそれを感じられるようにと願うならば、それは叶うのだということを理解するとそれが起こり始めます。静寂を実践する時には、その反応が起きるのを期待しながら待ってください。「期待しながら」待つことを忘れないでください。
.
   一生懸命祈り、神がそれに応える準備を始めたところで、その人が立ち去ってしまうということがよく起きます。自分とは何なのか、その本質を知りたいという願いに対する反応は瞬間的に得られます。ですがそれを感じられることを期待していなくてはなりません。
.
   自分が何なのかを知りたければ、自分が純粋な目覚めた意識であり、どんな二極性にも囚われず、他人も自分も批判せず、どんな制約も持たない存在であることを、体と心で感じたいと思うのであれば、「心を静めよ」という命令を自分に与えることです。あなたの内なる”大いなる完全性”は、心の底からの願いが何であるかを正確に理解しています。ですから期待感を持って静寂の中に身を置く時、自分の本当の姿を体験できます。
.
   これはすでにお伝えしましたが、ここで再び繰り返します。あなたの内なる”大いなる完全性”、つまりあなたの魂はただ一つの目的を持っています。それは神から分離した意識である人間に、「一なる自己しか存在しない」ことを自分に教えることです。それは「すべての根源であり、本質である一つのもの」があるだけなのです。
.
   あなたの人生に起きることはすべて、たとえそれがいかに酷いことであっても、破局や惨めさの極みであったとしても、そうなるように導かれて来たのです。その理由は、あなたが自分の内側へ向かい、自分本来の本質を示してくれる静寂の次元に深く沈潜することを、自ら選ぶようになるにはどうすればよいか、それを一番よく知っているあなたの内なる”大いなる完全性(神)”が、そのように仕向けたのです。
.
   聖なる静寂から自己を切り離してしまい、今ではもう心を静めてもただの騒々しいおしゃべりしか聞こえて来ないことに気づいた時、人間は深い悲しみと孤独を感じました。そして心のどこかで、どのような犠牲を払おうとも、内なる”大いなる源”のあの静寂をもう一度感じたいと望みました。
.
   あなた方の悲しみや苦しみが役に立つのは、悲しんだり苦しんだりしている時に、人は神を求めるからです。他のことはすべて忘れても構わないので、次のことだけを覚えておいてください。あなたに苦しみが訪れるのは、あなたの裁くエゴの心が生み出した矛盾した人間像を捨てて、人間の本来の姿を深く感じ、それを意識の中心に置くようにと促すためです。
.
   悲しみや苦しみのない静寂に生きることを意識的に選択するならば、もはや悲しみや苦しみを必要とはしなくなるでしょう。それに代わり、温かくて優しい意志を通して「内なる神」を見つけることもできます。もう苦痛から逃げる必要はありません。自分に喜びや美しいもの、素晴らしいものを与えるかどうかは、あなたが自分で選ぶことです。
.
   地球は二極性持つ惑星であり、そのゆえに苦痛を通して内なる神を見つけることができるのであれば、喜びを通して内なる神を見つける道もあるはずです。
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.
                                             
 バーソロミューのメッセージ

   


 

それぞれの瞬間に自分の望む方向へ物事を動かすエネルギー

  • 2019.11.12 Tuesday
  • 00:07

 

   


   「自分が望むものを創造しようとするときに疑いが起きるが、それはどうしたらいいのか」とある人から尋ねられました。またカルマ(業・ごう)というものが、自分の意志に反して人の人生を形成しており、それに対して人はどうする力もないと信じている人もいます。ではカルマは、この創造する行為とどのように関わっているのでしょうか?
.
   魂の進化のある段階においては、因果応報というカルマ的な「直線的概念」が役に立ちます。つまりある時期には、自分が蒔いた種は自分で刈り取るということを信じることは有益です。それと同じように、ある宗教的戒律を絶対的正しさと信じて忠実に実行することも、世界中の文化に見られることです。それは神とのつながりを経験するために歩む、安全な道の一つと言えます。
.
   宗教の戒めに従っている時には安心していられるので、この方法は多くの人にとって非常に効果があります。ですがいずれ、宗教的戒律だけでは満足できない時がやって来ます。人は神とのもっと直接的なつながりを体験したいと望むようになります。ただ、そこから先に進む前に、それまで自分が受け取ったものに対して感謝することを忘れないでください。
.
   誠意と熱心さを持って歩んで来た道に、あなたは多くを与えたし、またそれから多くを受け取りました。それは素晴らしい旅路でした。けれども最終的には、人は誰もが自分自身で、神とは何かを見つけなくてはならないのです。
.
   カルマについての私の考えは、ほとんどの人の概念とかなり違います。通常言われているカルマとは、実際には大きな拡がりを持つ真理に狭い解釈を与えたものです。私のカルマの概念は一連の爆発であり、それはあなたがこの世界への転生という誕生の体験を通して、地球世界での人生と呼ばれるものへ勢いよく飛び込んで行く時に始まります。
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   この「爆発」は、あなた方がこの地球という惑星で行なうことを選んだ、素晴らしい実験の始まりです。あなたは自分の道を歩き始め、自分の生命を感じ、それを生きると同時に、周りのすべてから同胞である人間たち、そしてこの惑星を形づくっているすべてから音や動きを感じ取っています。
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   自分たちがいかにお互いに影響を与えあっているか、あなた方には想像もつかないでしょう。あなたは他の人間たちだけでなく、この地球全体にも影響を与えているのです。それを実感するのは難しくありません。
.
   試してみたければ、病院へ行ってそこに座っていてください。次にはどこか別の所、たとえば野球の試合を見に行くとか、自然の中に静かに座るとかしてみてください。それぞれの場所があなたに与える微妙な影響や、自分がそれぞれの場所に与える影響に気づくことでしょう。
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   あなた方が爆発する時、お互いにぶつかり合います。それはほんの軽く触っただけのように感じる時もありますが、実際には多くのエネルギーが一人の人間から別の人間へと流れているのです。人が共に踊る時、そうしたエネルギーの動きは喜びとなり、人がぶつかり合う時、それは苦しみとなります。でも心配しないでください。どれもあまり長続きはしませんから。
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   カルマというのは、暑い夏の日に感じるそよ風のようなものです。それはあなたを特定の方向に追いやる力を持っています。それは川の流れの勢いのようなもので、あなたを一つの選択肢から別の選択肢へと導き、動かし、急(せ)き立てます。けれども、それはあなたの選択を「強制」することはできません。
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   あなたが「瞬間に生きて」いれば、物事の本質がよく理解できます。「今」に目覚めていれば、自分を少しもごまかすことなく、何が起きているのかという本質をはっきりと知ることができます。
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   結局、どのような苦境に陥っているとしても、それは自分が創り上げたものなのです。あなたもそれが解っているはずです。どんなにその状況がカルマのせいのように見えたとしても、あなたが過去世で何をしたか、あるいはしなかったかということは重要なことではありません。それどころか、それぞれの瞬間に、あなたは物事を別の方向へ動かすエネルギーを持っているのです。
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   エゴ(自我)が働いている時、どんな感じがするか知っていますね。それがわからないという人は、たとえば他人に対する批判や嫌悪をいつまでもあなたが心に抱いている時や、被害妄想や自己憐憫、怒りに心を奪われている時の気持ちを思い出して感じてみてください。
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   次に、心を静めて高い次元のエネルギーを意識的に呼び求めてください。エゴのエネルギーは水平に動きます。それに対して聖なるエネルギーは垂直に動きます。ですからそれまで水平に動いていたあなたの感情的エネルギーに、垂直に流れる聖なるエネルギーを呼び寄せることになります。
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   あなたは神を呼び求め、神のエネルギーと溶け合います。その瞬間、あなたは急に活力を得たような感じがしたり、体の内部でエネルギーの動きを感じたりするでしょう。それは自分の中で、何か深く満たされたものが動いているかのような感じを与えます。
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   なので、自分が心から実現したいものをいつも年頭に置き、神にその実現を手伝ってもらってください。これを今から6ヶ月から8か月の間、試してみてください。自分が創造したいものの中から、自分にとって最も大事なことを選ぶのです。あらゆる可能性の中に必ず一つ、あなたを心から喜ばせ、満たし、あなたの最高のレベルの目標と調和するものが存在します。それに心を集中してください。
.
   疑いが生じた時には、こう自分に聞いてみてください。神が存在しており、神と自分が融合して共に生きて行けると思って生きていくほうが、自分の人生は充実しているのではないだろうかと。あなたの人生が充実したものになるかどうかは、現時点では明確に知ることはできないかもしれません。ですが夢を感じてそれを信じ続けることで、一体何を失うことがあるのでしょうか?
.
   ”神なるもの”の素晴らしさや美しさ、その神秘や壮大さにあなたの夢を満たしてもらい、人生があなたに最高のものをもたらすのを受け取ってください。
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   神の根源的宇宙エネルギーが地球の至るところを流れています。そして、究極的に自分に与えることのできる最高の贈り物とは、内なる神、つまり神のエネルギーと一体化することです。どうかそれを使って、溢れる喜びを生み出してください。
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   あなたは絶えず、常に、自分の人生を創造しています。ですから自分自身のために、あなたの「存在」が持つ豊かさを駆使し、意識的に創造してください。恐れることはありません。
.
   直線的思考の人生を送っているあなたは、「幸せな人生」とは何かを自分は知っていると思っているかもしれません。ですが、どんなに自分の人生が幸せなものに思えたとしても、それは本当の「幸せな人生」ではありません。なぜならそれは信じられないほどの素晴らしさや感動で、人生を溢れさせる要素に欠けているからです。
.
   それには自分は内なる神と、意識的に一体化しているという感覚が欠如しているからです。ではこうした感覚はどうすれば見つけられるでしょうか? それは大胆になることによってです。勇気を持って、同じことの繰り返しである退屈な世界を超えたところに、目を向けることによってです。
.
   ”大いなる生命”という創造する力は、あなたが心に抱くどんなものも満たしてくれます。ですから最も崇高なものを心に抱いてください。あなた一人では何もできません。ですが(内なる神も)あなたなしでは何もできないのです。
.
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バーソロミューのメッセージ


 

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