「内なる神」を宿す自分を信頼して生きる

  • 2019.05.31 Friday
  • 00:01

 

 


   西洋社会には東洋の古代思想を魔術だと毛嫌いし、それを拒否することが正しいと誇る傾向があるが、本来魔術というのは精神の力の悪用にほかならない。今日、最悪の魔術が使われているのは政治の分野である。人類史上、これほどまでに精神の力を誤用している時代はない。
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   人間の有する強い精神力を正しく使い、政治を担う者たち一人ひとりが、自分の内に「活動する神」が存在すると自覚し、宇宙生命エネルギーである神の本質、真理を理解すれば、自分自身の解放だけでなく、政界にも真の自由と正義がもたらされる。そうなって初めて我々は、至る所に「活動する神」が存在する世界、本来の世の中を体験できるはずだ。
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   今起きていることは太古の時代、古代エジプトで起きたことである。精神の力を不適切に使用する者たちは、自分自身を不和の責め苦に縛りつけており、その結果、転生に次ぐ転生から逃れられなくなる。
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   次のような態度で臨んでもらいたい。「私は善である神以外の何ものからも制約されず、私は常に宇宙生命エネルギーである神に支配される存在である」 そして心を鎮める習慣を身に着けてほしい。1日の内に3、4回は唯一の生命エネルギーである至高の存在を内に感じる時間を取り、外的自己つまり表面意識である低次の自己を落ち着かせる。それだけで内面からエネルギーが供給される。
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   まずはその命じ方と体内のエネルギーコントロールを学ぶこと。落ち着いたエネルギーを必要とするならば、あなた自身が心を落ち着かせる。逆に活動的なエネルギーがほしければ、自分が活動的になる。常に注意を払って物事に向き合い、それに振り回されずに自分でコントロールする。それ以外の何ものでもない。
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   好ましくない習慣を維持し続けるのは、もはや用をなさない古着をはおり続けるのに等しい。学習者は他人が古着を取り去ってくれるのを待つわけにはいかない。それは自分で脱ぎ捨てるしかなく、自分以外にそれをできる者はいないのだから。
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   この教えの実践においてあなた方はエネルギーの放射を受け、それぞれの内に潜む偽りの部分をまず表面化させた上で、それを焼き尽くすという形を取る。だが自分にとって好ましくない物事に過剰に意識を向けず、ネガティブな事柄が自分の意識において結晶化せぬよう注意すること。
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   正しく機能しなかった事をいつまでも考え続けるのは、愚行以外の何ものでもない。それよりは人類が何世紀にもわたって築いて来た「限界の数々」を、意識と努力によってわずか数年で解き放っていく方が試してみる価値がある。これを素晴らしいことだとは思わないだろうか?
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   意外に思うかもしれないが、物事への執着を取り除くのに、しばしばユーモアの精神が即効性を発揮する。楽観的で笑いを伴う感情から放たれるエネルギーが、好い結果を誘発する例は少なくない。
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   人間の抱えるマイナス面の課題に真剣に取り組む場合、「ゆるしの法則」に頼ることになる。つまり自分が過去に創造したすべての負の部分を「紫の炎」で焼き尽くし、しがらみから解き放つ。「紫の炎」は出来事を変容させる「活動している神」であると覚えておいてほしい。変幻自在なエネルギーである神は、あらゆる行動の中にも存在している。
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   何か建設的なことをしたいという感情や衝動に駆られた時には、まずはその意志を保ち、行動し続ける。たとえ天が落ちて来ようとも、やり遂げる気概で取り組みなさい。その後は、自分の思いが実現するかどうかといった疑いが、意識に入り込まぬよう努めなさい。それはいかなる形であろうともだ。
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   学習者が知識の上でしかこれらの事について知らないうちは、不成功につながる要素や悪条件を思い描いてはいけない。その行為が失敗すると解っていればなおさらである。人々がこの「意識に潜む敵」を克服したがらないのは、私としては実に信じ難いことだ。今自分が解き放ちたいと思っている過去のネガティブな出来事や感情を、わざわざ蒸し返すのを止めぬ限り、その者に真の勝利が訪れることは決してない。
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   我々マスターと呼ばれる者の任務の一つは、学習者に「受容」の意味を理解させ、そのための知識や手段を伝授することだ。たとえばある人が意識で何かを受け入れる。彼の関心がそこに向けられることで、意識と対象物が一体化する。つまり人の精神が物事や状態を受け入れるのは、当人が自分を取り巻く世界において命じた、あるいは強いた結果である。たとえ見聞きした対象がどんなものであっても、そこに関心が留まる限り、何らかの形で自分の意識と対象物が一致し、受け入れた状態だと言える。
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   たとえばガラガラヘビを目にした人が、わざわざ咬まれるために近づいて行くだろうか? そんな話は聞いたことがない! けれども過去の嫌な思い出や苦い経験に意識を向ける時、あなた方は自らガラガラヘビにあえて近づくのと同じことをしているのだ。そしてこのような癖は自分がその対象を受け入れた、過去の特定の瞬間を引きずっているに過ぎないということだ。
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   人間の生命には内なる神のエネルギー「私は(在る)」による活動と、表面的自己による活動の二つがある。内なる神の活動は完璧な計画に則っているので、表面的自己がそれに従う限り問題はないが、それが外部からの要因に左右されると問題が生じることになる。
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   あなた方の脳裏に何らかの建設的イメージが浮かんだ場合、それ自体が一つの現実になる。つまりそれを思い起こすごとに、当初は単なるイメージに過ぎなかったことが何度も脳裏に刷り込まれることにより、終には完全に現実化する。そのために意識上昇すると、自分の内なる神をより具体的に認識できるまでになり、どんな場合であっても神髄である神から自分に降り注ぐ光線を目にし、肌で感じることが可能となる。
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   人間の表面的自己は、自分の不完全な五感で感じられる物事だけを信じたがるが、学習者はそれと同じくらい神の完全性を信頼するよう努めてほしい。これは、常に自分自身を信頼するようにという意味でもある。その上で絶えず次のように考える癖をつけてほしい。「この活動をさらに推進するために、教えられたこと以外に自分には何ができるだろうか?」と。
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マスター サンジェルマンのメッセージ

   

あらゆる生命に内在する宇宙生命エネルギーという神

  • 2019.05.29 Wednesday
  • 01:47

 

 


   あらゆる生命とは「活動している神」、つまり「宇宙生命エネルギーの唯一の源泉」のことである。それがあらゆる所に顕在化しているすべての生命活動において、「活動している神」だと言える。神の性質である完全性と生命の純粋な流れは、人間の思考と感情が不適切に使われぬ限り、本来妨げられぬものだ。別の言い方をすれば、人間の無理解に阻まれぬ限り、生命はどのような場でも自らの完全性を表現する。
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   生命の本質は愛、平和、美しさ、そして調和と豊かさだ。生命はそれを用いる者を意識することなく、絶え間なく完全性を表出している。完全性は永遠に生命の中に保たれるもので、その表出は常に進歩の過程において行われる。
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   「アイ・アム、私は在る」の「私は(在る)」とは、その生命の活動である。ところが驚くことに、誠実な思いから励む学習者たちでさえが、この言葉の真の意味を正確に理解していない。
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   あなた方が「私は在る」と自らに宣言し感じた瞬間、永遠の生命の源泉が解き放たれ、あなた方の内に滔々(とうとう)と流れ出す。それは生命本来の流れに対し、扉を全開にした状態となる。
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   一方で、「アイ・アム・ナット 、私は○○でない」と否定的な言葉を発し、思い浮かべた場合、この強力なエネルギーの面前で扉を閉ざすことになる。「アイ・アム、私は在る」とは神の完全な行動である。
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   私が「活動している神」の真理をくどいまでにあなた方に強調するのは、一人ひとりの内に分散して存在する「活動する神」の最初の表現を理解してもらうためだ。この世界中のどこでも、人間が自らを表現する際に最初に発する言葉が「私は(在る)」である。声に出して言っても、出さずに思考して感じただけでも、自分の内に勝利の神が宿っているのを認めたことになる。
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   この強力な宇宙の法則を理解し、実践しようと努める学習者は、法則が単純すぎるだけに、自分の思考や感情、発する言葉などには細心の注意を払う必要がある。あなた方が「私は○○ではない」「私は○○がない」「私は○○できない」と自分を否定的を思うたびに、たとえそれが意識的、無意識的であるに関わらず、強力なる内なる存在を抑制する形となる。
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   まるで誰かの首を絞めるように、ただし首を絞めているなら両手を緩めれば窒息は免れるが、「私は○○できない」「私は○○でない」「私には○○がない」と自らの不完全さを表す否定的な言葉を使った場合、その結果、宇宙に対する否定的な命令として無限の強力なエネルギーが作動することになる。そうなると一度口にしたそれらの言葉を、自分で消滅させるか変容させない限り、その命令は永遠に作動したままとなる。
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   一人ひとりに備わる強大な力、神の強力なエネルギーを認識してもらうためにも、この点については強調しておく。否定的な命令と比べたら、ダイナマイトの方がまだ危険性は低い。ダイナマイトは肉体を破壊するだけだが、人間が無知から表明した、完全性を限定し否定する思考が積み重なると、その者を際限のない転生の輪に縛りつける結果を生むこととなる。
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   これで自分の思考や行動がいかに重要であるか、何の気なしに間違った言葉を発することが、どれほど危険なことか解ったであろう。あなた方は宇宙に存在する神の行動原理の中でも、最も強力な性質を持つ「私は(在る)」を使用しているのだ。
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   私が何の根拠もない説明や、不可解な東洋思想を語っていると誤解しないでほしい。今述べているのは、人類史上どの文明でも明かされてこなかった最も崇高な生命の法則である。一なる宇宙生命エネルギーの源が自意識を持ったそれぞれの個体に分れ、それぞれが最初に発する表現が「私は(在る)」である。
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   ところは人は外界と接するうちに、「私は(在る)」よりも低レベルの物事やかけ離れた事柄を受け入れ始め、「私は(在る)」を軽視するようになる。たとえば生徒諸君、生命は本来完全であるはずではないのか? なのに人間は無知ゆえに「私は病気だ」と口にしてこの原理を反転させ、愚かにも自発的に生命にはない病気というものを創り出している。
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   人類は悠久の歴史の中で、無理解から内面にも外面にも偽りのものや非現実的なものを蓄積してきた。「私は病気だ」という言葉が、決して病気になるはずがない自分の神性に対する偽りであるのは、繰り返すまでもないだろう。
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   私の言っていることを厳しすぎると感じるだろうか? そうであれば今一度よく考えてみなさい。そうすればこの教えが、どれだけの恩恵と自由をあなた方にもたらしてくれるかが解るはずだ。
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   宇宙生命エネルギーの源である神の名において告げる。自分の神性を否定するような言葉や思考を表出するのは止(や)めなさい。誤った表現をし続けている限り、真の自由を得ることは不可能である。自分自身の内なる神、大いなる存在を心から認め、受け入れること、私の主張はそれ以外の何ものでもないし、それが実践できていれば逆境など無縁になる。
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   だからこそ神の名において告げる。周囲のあらゆる状況や外部の人や物など、自分以外のものにあなたの力を明け渡す行為は止めなさい。「私は病気だ」「私は疲れ切っている」「私は気分が悪い」などと否定的に考えそうになる、あるいはそんなセリフが口から出そうになった時には、即座にその言葉や状況を発展的な方向に反転させることだ。
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   心の中で構わない。あなたの全意識を自分自身の「私は(在る)」に向け、内なる存在の強力な力とともに宣言するとよい。「私は健康そのものであり、私は豊かで安全、幸福や平和に満ちており、自分や他人に宿る完全性を熟知する力である」と。

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   「私は(在る)」に思いを馳せられるのは、自分の生命が「活動している神」であるとの自覚があるからに他ならない。そうであれば誤った表現に支配されて限界を受け入れ続けてはならない。絶えず自分に言い聞かせるとよい。「私は内なる神とともに生き、内なる神とともに活動し、神の完全性のもとですべてを外側に表現している」と。
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   そのようにして何者にも打ち破られぬ、決して屈することのない存在「私は(在る)」を自分自身が思うことで、内なる神「私は(在る)」への扉は開け放たれた状態となり、宇宙生命エネルギーの源である神の純然たる神髄と知性が、あなた方の外の世界における表現を完璧なものにしてくれる。
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   間違った命令を(否定的な言葉で)下し続けながら、一方で何らかの軌道修正が自然に行なわれたり、好い結果がもたらされるとは考えないことだ。そんなことは起こりようがないし、あなたの用いる言葉の命令に見合った結果しか起こらない。
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   私はあなた方が絶えず、私の教えを実践できるよう、有刺鉄線で「私は(在る)」の言葉を意識に縛りつけたいほどだ。あなた方自身でもある内なる神、「大いなる私は在る」を認識し、受け入れ、強力な力を駆使する道から逸れないでほしい。
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   私の言葉に耳を傾ける者たち、文字としてそれを読む者たち全員が「私は(在る)」の真理を理解し、その言葉に宿る偉大な力を肌で感じ、やがて「私は(在る)」と一体となって行動し、それぞれの場所で表現するようになると信じている。
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   仮に自分の生活の中で不完全な物事に遭遇したら、断固たる姿勢で、それは真実ではないと告げ、自分はあらゆる場所やあらゆる生命に偏在する、完全なる神しか受け入れる気がないと表明することだ。なぜなら、見せかけだけの偽りの事象を認めてしまうと、それらはあなた方の人生体験に姿を現わし始めるからである。
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   これは信じる、信じないといった問題でもなければ、真理を受け入れるかどうかといった問題でもない。これは幾世紀もの歳月を経て証明された一つの法則だ。私はそれを今、あなた方の自由を願ってあえて説明している。
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   人間的な思考と感情が、過去から現在までにこの世に積み上げて創造して来た不和を見るがよい。人類よ、目覚めなさい! 今こそ目覚め、限界を解き放つべく、宇宙生命エネルギーの源「私は(在る)」とともに歩みなさい! この世で人類を制限し、妨げるものはただ一つ、それは自分の内なる「活動する神」の代わりに、見せかけの現実を受け入れることにある。
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 サンジェルマンのメッセージ


 

自分を無条件に愛し、恐れず自分に正直に生きる

  • 2019.05.27 Monday
  • 00:00


   Q : あなたが体験した死後の観点から、お金について聞かせてください。お金はこの世の多くの問題や災いの原因だと信じている人がいますが、どう思いますか?
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   A : 私たちが与えない限り、お金そのものには何のパワーもありません。そしてこの次元では、あらゆるものに関して同じことが言えます。どんなものでも善あるいは悪の目的で使えますが、それ自体はそのどちらでもありません。私たちがそれに力を与える選択をし、お金や宗教や人種などに対し、ネガティヴあるいはポジティブな判断をしているだけなのです。
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   その結果、それらについてどちらが優れているかということで、優越感を持ったり僻(ひが)んだりする状況が生まれます。これが悪いことだと言っているのではありません。あるいはこの世に存在するために必要なことかもしれません。私たちは二元性に見える世界で生きており、そこでは何が良くて何が悪いか、何がネガティヴで何がポジティブかを常に決めて生きています。
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   私たちには感情があり、それをたとえばお金についての信念に注ぎ込んでいます。同じ感情を他のものに与えるならば、それはお金が持っているのと同じ力を持つでしょう。ですが死は二元性を超越しています。それは宗教や人種、文化など、私たちのあらゆる価値や信念を超えたものです。私たちの本質はこのようなものではなく、それらを用いて表現しているだけです。私たちはそれよりも遥かに大きな存在なのです。
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   Q : 自分を癒したい人たちは、「自分に癒しが起きる」「手放してヒーリングが起きるのを許す」「癒しが起きる場所にアクセスする」というようなことを、どのようにして始めたらいいのかを知りたいと思っています。このような決まり文句は、普通の人にとっても役に立つのでしょうか? 自分の身体を癒したい人は実際にどうすればいいのか教えていただきたいのですが?
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   A : 私は型にはまった方法論や教えのようなものを推奨するのは好きではありません。もしそのようにすれば、ますます教義を増やすことになるからです。大切なことは、それらから自由になることです。しかしながら病気や症状を”追い払うべき敵”として見ないようにすることはお勧めします。それは恐怖からの反応だからです。

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   私にとって病気とは、私の身体を癒すためのものでした。ですからもし敵対心を持って病気をやっつけようとするならば、逆にそれを敵に回してかえって悪くなってしまうのです。
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   これは必ずしも、医師のところに行くべきでないということではありません。私は病気や体の症状をいかに見るべきかを話しているのです。大切なのは、病気についてくよくよし、病気を治すことだけを目的として毎日を過ごすのをやめることです。

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   そうではなく心がまぎれて、ポジティヴで創造的な刺激を与えてくれることに、夢中になるほうがずっと効果的なのです。私は幸せになるために、自分の健康がこうでなければいけないという考えから自由になり、すでに健康であると思い、今の瞬間に喜びを感じるようにしています。
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   現在に生きるとは、時間というあるコマから次のコマへと、感情の荷物を持ち運ばないことを意味します。あらゆる瞬間がかけがえのないものであり、再現することができません。なので自分の恐れという感情を常に持ち続け、病気のままでいるかどうかは私たちが自分で選択することです。

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   あなたはスピリチュアルなリーダーのようになる必要はありません。ただすべての瞬間を最大限に生かし、精一杯生き、自分が幸せになれることをしてください。それはあなたの人生が残り1ヶ月であろうと、100年であろうと同じです。
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   Q : 理論的には面白いですが、もっと実用的なアドバイスをいただきたいのですが。現在どのようにして健康を保っていますか? 食事で気をつけていることは何ですか?
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   A : 臨死体験をして私の食生活は変わりました。ですがおそらく、あなたが考えているようなものではありません。以前は、食べ物に関してひどく神経質になっていました。私は厳格な菜食主義者だったのです。オーガニック食品だけ食べて、マクロビオテック、ビタミン剤、小麦若葉ジュースにのめり込みました。これは病気になる以前からすでにそうだったのです。
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   私は電子レンジから防腐剤まで、あらゆるものが癌を生み出すと思っていました。このように当時はとても健康的な食生活をしていましたが、それもすべては恐怖心からそうしていたのです。ですが現在は、自分が食べたいと思うものを食べています。チョコレートを食べたり、ワインやシャンパンを飲むこともあります。そして食べ物や人生を楽しむことだけはいつも忘れません。何よりも幸せでいることが一番大切だと思っています。
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   病気への恐怖心から正しい食事をとっていたとしても、惨めになっていたのでは楽しくありません。心配ばかりしていれば、別の問題が起きて来るでしょう。実際、私たちの体は、自分が思っているよりもずっと回復力があるのです。幸せでストレスがなければなおさらです。健康に良い食事をしたとしても、恐れからではなく、愛からそうしています。これが、人生のあらゆる面における私のやり方になりました。あなたにも同じようにしてほしいと思います。
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   Q : 臨死体験のメッセージやレッスンで、あなたがぜひみんなに知ってほしい、理解してほしいと思うことを最後にお話しください。
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   A : あなたのあらゆる部分、つまりエゴも知性も身体もスピリットも、すべてが素晴らしいことを知ってほしいのです。あなたはこの宇宙の創造における美しい産物です。あなたのあらゆる面が完璧です。手放すべきものは何もありません。許すべきものも、達成すべきものもありません。あなたはすでに必要とするものすべてなのです。とても難しく聞こえるかもしれませんが、実は簡単なことです。
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   もしある宗教において、その神よりも自分が劣っていると思っているならば、あなたは誤解しているか、その宗教が真実をうまく教えていないということです。もしグルや教師やマスターが、あなたは”まだ”悟っておらず、そこに到達するために”学び””解放し””手放す”必要があると思わせているならば、彼らはあなたの本当の姿をうまく教えていないか、あるいはあなたが彼らを誤解しているのです。
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   あなたのそばにいるすべての人に、ありのままの自分でいることを思い出させてあげてください。そしてあなたは、彼らのありのままを愛していると言ってください。彼らは完璧で、あなた自身も完璧なのです。愛に値しないものは何一つありません。ほとんどの苦しみは、”劣っている”と感じることから生じているのです。あなたが誰か、あるいは何かから劣っているということはありません。あなたは完璧なのです。
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   あなたが学ぶべき唯一のことは、自分はすでに到達したいと思っていたものになっているということです。恐れずに、自分の素晴らしさを思うままに表現してください。それが、あなたがこの世にいる理由です。
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   おわりに
   私の話を終えるにあたり、最後にいくつかお話します。
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   自分の力を他人へ与えたり、渡してしまわないようにすることを常に覚えておいてください。自分の素晴らしさともっとつながりましょう。自分の正しい道を見つけることに関しては、一人ひとり異なる答えがあります。私が知っている唯一の共通した答えは、自分を無条件に愛し、恐れずにありのままの自分でいることです! このことが臨死体験中に、私が学んだ一番大切なレッスンです。正直に言うならば、私がもしこのことを前々から知っていたならば、癌にはならなかっただろうと思います。
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   私たちが自分自身に正直でいれば、地球のための真の道具となることができます。私たちはみんな繋がっていることから、周囲の人たちの人生に触れることになり、その人たちがまた他の人たちに影響を及ぼすのです。私たちの義務は愛の存在でいることと、そして自分にとって適切な方法で内側から答えを受け取ることだけです。
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   最後に、これは何度言っても言い足りないくらいですが、自分自身を楽しみ、自分や人生についてあまり深刻に考えすぎないでください。伝統的なスピリチュアルの教えにおいて一番大きな欠点の一つは、人生をあまりにも深刻に受け止めさせることです。
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   私が教義を嫌っているのはお解りと思いますが、もしヒーリングに関するスピリチュアルな道について一つ教義を作らなければいけないとしたら、リストの一番目に持って来るのは、”毎日必ずたくさん笑うこと”です。これは文句なしに、祈りや瞑想や詠唱、食生活の改善よりもはるかに効果的と言えるでしょう。ユーモアや愛のベールを通して眺めた時、日々の問題は決して大きいものには見えません。
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   情報技術が進んだこの時代、私たちは光速でやって来るさまざまな情報にいつも追い立てられています。ストレスや恐れに満ちた時代の中で、あらゆるものから自分を守ろうとしているうちに、自分自身を楽しみ、自分の内側にあるものの世話をすることを忘れてしまいがちです。
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   人生そのものが私たちの祈りです。それはこの宇宙への私たちからの贈り物です。いつかこの世界を出て行く時に残る思い出が、私たちの愛する人たちへの遺産となるでしょう。私たちが幸せになりその喜びを周囲に広めることは、自分や周りの人たちへの義務なのです。
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   もしユーモアのセンスと、自分は愛であるという理解とともに生きることができれば、あなたはすでに一歩先を歩み始めているのです。そのような生き方こそが、幸せな人生に必要な方程式です! あなたが自分の素晴らしさを理解し、恐れることなくこの世で自分自身を表現できますように! ナマステ!

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                     アニータ・ムアジャーニ
            ホームページ http://www.anitamoorjani.com/

 

 

 

 

 

癌細胞は自分の体の一部であって敵ではない

  • 2019.05.25 Saturday
  • 00:07


   Q : あなたの臨死体験の学びの中で、最も興味をそそられたことの一つは、そこに深遠で幅広い意味合いが込められていることです。具体的に言えば、この瞬間に私たちが行なう選択によって、未来と同じように自分の過去も変えられるということです。私はあなたの書いたことを深読みし過ぎているのでしょうか? そしてあなたが理解したことはそのようなことですか?
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   A : あなたは私が言おうとしたことを正確に理解しています。現在の瞬間は、私たちが自分の現実を創造するための唯一の時間です。ここでわざと、「私たちの未来を創造する」と言わなかったことに注目してください。
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   私には過去も未来も流動体のように感じられました。ですからこの世に戻るか戻らないかによって、検査結果を変えることができたのです。なので、このことが重要であるというあなたの意見に同感です。私にとってこの気づきは今も日々拡大し続けており、臨死体験そのものよりも大きな意味をもたらしています。
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   Q : 臨死体験の話の中であなたは、「あらゆる病気はまずエネルギーの中で始まり、それが体に現れて来る」と言っています。これはどのように起こるのでしょうか? また最初にエネルギーの中に病気を生み出すのは何なのでしょうか?
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   A : 臨死体験中、私は自分の体が固体として存在していないように感じました。私は純粋なエネルギーだったのです。おそらく、これは魂とか霊の状態とも解釈できるでしょう。それは体よりも遥かに大きく、その時の感じから”素晴らしいもの”という言葉を使いたいと思います。
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   物質的な身体を持つのは単なる結果のように思いました。この無限のエネルギーの広がりが本来の私であり、体はこの生命力がどれくらい”現れているか”、あるいは表現されているかを示すバロメーターに過ぎないのです。よって、三次元世界のほうが異次元で、私のエネルギーの広がりのほうが本物に思えました。
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   このことから、この世界で”高い波動を持つ”と言われる人は、おそらく自分の本当の素晴らしさを明確に表現しているので、そのためにバロメーターの指数がとても高いのではないかと思います。その結果、その人のポジティブなエネルギーや存在感が強力なのでしょう。
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   ですが向こう側の世界では、誰かよりも強いとか弱いとかはない感じでした。それは誰もが素晴らしい存在だからです。結局、この次元で自分の素晴らしさを身体を通してどれくらい表現するかどうかは、私たちの選択にかかっているようです。
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   Q : あなたのヒーリングパワーは、外側ではなく内側からやって来たということですか?
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   A : 内側からでも外側からでもありません。あるいはその両方からだったとも言えるでしょう。それは二元性の状態から表現する必要がなくなった時、内側と外側を隔てているものはないことが解ったからです。私はあらゆるものの源となり、源は私になったのです。
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   ですが、ヒーリングの背後にあるのは自分自身の力だと思っているかと尋ねられたら、答えはノーです。エゴや身体と一体化しているように思いがちですが、ヒーリングは無限の自己を通して表現し、自分が源や他のものと別の存在ではない、と理解したことからに起きたことなのです。

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   Q : 西洋や東洋におけるさまざまなヒーリング法についてどう思いますか?
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   A : 多くのヒーリング法が有効だと感じています。またヒーリングのために臨死体験をする必要があるとは全く思っていません。臨死体験をする以前、私はあらゆることを恐れの気持ちから行なっていました。それはヒーリングについても同じです。当時は、私はそれを行なわなかった場合の結果を怖れながら、いろいろなことを試していたのです。
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   ですがもはや私に恐れが存在しなくなり、信頼して行動するようになった時、ヒーリング法がうまく働きだしました。インドでの短い滞在で、私の状態はずっと良くなりました。それは恐れを感じる環境ではなかったからです。その時、私は癌に対してまったく異なる見方をする文化の中にいました。
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   欧米化した香港では、私の出会ったほとんどの人が癌を非常に恐れていて、私はその影響を受けていたのです。でもインドでは違った見方を教えられ、それが希望となりました。私はそうした見方を信頼し、それが瞬(またた)く間に自分の健康に影響を与えるのを感じました。
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   Q : インドへ行ってアーユルヴェーダの治療を受けて、癌が治ったように思えたのに、香港に戻ってから再び癌が戻って来たと書かれています。インドで癌が消えたのに、なぜ香港に戻って再び現れたのだと思いますか?
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   A : 繰り返して言いますが、インドではアーユルヴェーダが私の役に立ちました。そこには対立するものがなかったからです。しかも周囲の人みんなが同じことを信じており、私がしていることは全員にとって道理の通ったことでした。ですから私は混乱することなく、初めて自分が正しい道にいると感じられたのです。アーユルヴェーダの医師やアシュラムといったたくさんのサポートがあり、それらがすべてこの方法を支持していました。
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   けれども香港では、さまざまな文化圏の選択肢が無限に存在し、しかもそれぞれの方法が互いに対立していたのです。私の第一希望は、決して伝統的な西洋医学ではありませんでした。他に気持ちが傾くものがなければその方法を選んだかもしれませんが、それでも西洋医学は私が心から望むものではなかったのです。
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   もし私が中国で生まれ育っていたなら、伝統的な中国医学が私に効果があったでしょう。でもその場合、最初から病気になっていなかったかもしれません。中国文化では癌は”西洋人の病気”と言われています。中国や日本やインドでは、癌の発症率が欧米に比べてはるかに低いというのを、あなたは聞いたことがありますか? 
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   それは食生活のせいだと言う人もいますが、私はそれも理由の一部にしか過ぎないと感じています。おそらく最も大きな要因は、ものの考え方だと思われます。つまり西洋では癌に対する思い込みや恐怖感、癌についての啓蒙活動などがむしろ発症率を上げているのです。伝統的な西洋医学では、癌を発見することに焦点が当たっており、その技術のほとんどは、全体的な身体の健康やバランスを促進させるものではなく、診断に役立つものばかりです。
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   Q : 東洋と西洋のヒーリング法で、あなたが経験した違いはどんなものですか?
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   A : 二つの間を行ったり来たりしたので、恐れと希望のはざまで私は感情が揺れ動いていました。西洋医学の医師たちは癌にすべての注意を向けており、それはまるで異物が私の身体を攻撃しているので取り除かねばならない、というように感じさせました。言い換えれば、癌は敵で攻撃すべき対象だったのです。彼らの診断はいつも私に恐怖感を植え付けました。
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   一方、アーユルヴェーダや伝統的な中国医療などの東洋の医師たちは、私に健康をもっとホリスティック(全体的)な面から考えていました。私の病気は、身体が不均衡な状態を治そうとしていることの現れだと見ていたのです。それは身体的な不均衡だけでなく感情的、精神的な不均衡も含まれていました。実際、癌は私の味方だと彼らは考えていました。このような考え方は、はるかに励みになり、私にもっと希望を与えてくれました。
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   臨死体験の後、癌そのものは敵でも病気でもなかった、と考えられるようになりました。今ではそれが、私に何を言おうとしていたのか解っています。癌になったのは、体が私自身を癒そうとするやり方だったのです。私にとって癌をやっつけるべき敵と見ることは、最初にそれを生み出した根本的問題を取り除く助けにはなりませんでした。そして結局、臨死体験中により深い何かが動き始め、癌細胞を消滅させたのです。
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   Q : あなたはすべてのヒーリング法はそれぞれの文化に根差していて、癌の治療に関しては、とりわけどれかが本質的に優れているわけではないと言っているように思えます。私の理解は正しいでしょうか?
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   A : その通りです。それが、私自身の体験から言っていることです。私の見方では、現代の病気の多くは実際には精神的な病が身体に現れたものです。ですから心や精神に働きかける治療法のほうが、単に体だけに働きかける方法よりも、変化をもたらすチャンスは遥かに大きいのです。そして文化的に支持されている方法のほうが、そのような支持のないものよりも効果的です。もしその方法が、患者の考え方やスピリチュアルな見地に合うものなら尚更です。
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   Q : あなたご自身の体験から、癌と医学についてどのように考えますか? 私たちは癌の治療法の発見に近づきつつあると思いますか?
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   A : 私のような特定のケースは、身体ではなく心と精神の病気だと信じています。それはもっと深いところにあるものが、体に現れたに過ぎません。このような場合、その治療法が医学で見つかるかどうかわかりません。なぜなら科学者は、悪いところばかり見ようとしているからです。それは原因ではなく、現れた症状を調べることだけであり、単に表面的な症状を隠すために薬を作っています。医学は症状には対処できるかもしれませんが、”治療法”を見つけられるとは思いません。
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   私の体験に基づいて言えば、癌についての豊かな研究分野が存在するように思います。ですが残念なことに、私が癌の本当の原因だと思うものの研究には十分な資金が与えられてはおらず、依然として薬物中心の治療法にだけ何千億もの大金が費やされています。人々が自らの神聖なる素晴らしさにもっと気づいてもらうようにすることよりも、薬を売ってお金を儲けることの方が簡単なのかもしれません。
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   私の癌は、自分のアイデンティティ(本質的な独自性)に関わるものだと思っています。それはまるで、私の魂がそれ自体の価値の損失、つまりそのアイデンティティの喪失を悲しんでいると、私の体が告げていたような気がしました。もし私が本当の自分を知ってさえいたならば、癌にはなっていなかったでしょう。   続く
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アニータ・ムアジャーニのメッセージ

   


 

今ここで、あなたは自分をどのように感じているか

  • 2019.05.23 Thursday
  • 00:25

   


   Q :  自分への愛が強すぎて、利己的で自己中心的になるということはありませんか?
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   A : 私たち一人ひとりが無限の宇宙の中心にいて、全体に対して非常に大きな影響力を持つと理解すれば、自分を愛することがいかに大切かかがわかるはずです。私たちは自分が持っていないものは与えることができません。
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   私の育った文化では、最初に他人のことを考え、自分のことは最後かまったく考えるなと教えられました。私は、自分を愛して尊重するようにと言われたことがありません。その結果、私には他人に与えられるものがほとんど何もなかったのです。自分の容れものを自分に対する思いやりでいっぱいにした時初めて、他人にも与えられるのです。
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   自分自身を無条件に愛し、素晴らしい存在として敬いと思いやりを持って受け入れられた時、同じものを他人にも提供したいと思えるでしょう。まず最初に自分を大切にするということがあり、その必然的な結果が、他人のお世話をするということなのです。
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   利己的な考えというのは、自分への愛がほとんどないか、あるいはあまり多くない状態から生じます。そのために私たちは、その不足を埋め合わせようとするのです。他人に対する真の愛情があり過ぎるということがないのと同じように、自分のことを大事にし過ぎるということはありません。
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   私たちの世界は自分への愛が少なすぎる結果、判断や不安、恐れや不信が多すぎるために苦しんでいるのです。もし私たちがみんな、自分のことをもっと思いやるならば、このような病のほとんどは消えてなくなるでしょう。
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   自分のことを愛していないのに、他人に対して「あなたを愛している」と言うのは単なる演技に過ぎず、本物ではありません。自分と他人に対する愛情は同じものです。私たちはみな一つで、互いにつながり合っているのです。私たちが自分の神性に気づくなら自分の素晴らしさを見つけることができて、無条件に愛される価値があると解るでしょう。それを理解できたら、同じことを他人にも簡単にできるようになるはずです。
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   Q : スピリチュアルな道を歩んでいるほとんどの人は、エゴがスピリチュアルな成長の邪魔をするので、エゴを追い払うべきだと信じています。あなたがそのように主張しないのはなぜですか?
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   A : もしエゴを否定すれば、それはもっと強く押し返して来るからです。何かを拒絶すればするほど、それは生き延びるためにもっと反撃して来るでしょう。ですが無条件に自分のエゴを愛し、それもこの人生で自分を表現するための一部だと受け入れることができれば、もはやエゴは問題ではなくなります。それはあなたの成長を邪魔するどころか、役に立ってくれるのです。
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   私たちはみんな、エゴを持って生まれて来ます。それはこの世での本当の自分の一部なのです。死んだ時、つまり体から離れる時、私たちはエゴから完全に解放されますが、生きている間は、エゴと闘うほど自己批判に苦しむことになります。私たちが自分のエゴを無条件で愛した時、初めて他人のエゴも受け入れることができます。そうなるとエゴはもはや問題ではなくなり、あなたの謙虚さや素晴らしさが輝くようになるでしょう。
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   Q : 他人への奉仕について、あなたの考えを聞かせてください。
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   A : 奉仕が心からの気持ちで行われる時、それは自分への愛の最も崇高な形です。そのような場合、奉仕しながら喜びや楽しさを感じるでしょう。それは自分自身だけでなく、相手の気持ちも明るくし、相手の自尊心を高める助けにもなります。ですが責任感や義務感から奉仕を行なえば深刻で辛い感じがし、そのゆえにエネルギーを吸い取られるかもしれません。
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   そうなれば、それは自分にとって何の役にも立たないばかりか、相手にとっても良いことは一つもありません。あなたが責任感から行動していると、相手が気づいているならなおさらです。相手は自分を、つまらない価値のない人間だと感じてしまうでしょう。
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   さらに私たちが心から何かを行なう時、それはもはや行為ではなく、私たちという存在そのもになります。なのでそれについて考える必要も、そのために何かを行なう必要もありません。その時私たちは、地球上で体現するという奉仕の道具になれるのです。これは”奉仕の存在であること”と、”奉仕を行なうこと”との違いです。
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   この状態は、自分と宇宙とは別のものではないという理解とともにやって来ます。つまり自分が全体のためにすることは、自分のためにしていることであり、その逆もまた同じであると解るのです。それは真に喜びに満ちた楽しい状態です。
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   Q :  周りを見回すと、自分の現実や意見が正しいと主張する人たちの、憎しみや口論や敵意であふれているように見えます。でもあなたを始めとする臨死体験者たちの多くは、私たちが現実だと思っているものは単なる夢と大差ないと言っています。つまり、世間の人は誰の幻想が一番もっともなものか議論しているだけだというのです。このことについて少しく詳しく説明してください。
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   A : 私にできるのは、自分の体験を述べることだけです。自分が死んだ時は、まるで夢から覚めたような感じでした。それはどこかへ行ったような感じではなく、覚醒して360度の視野と、完全な共感覚(複数の感覚が同時に認識されること)が得られたようでした。
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   自分に関わるあらゆるものが見えて聞こえ、感じられて解ったのです。私は自分の過去や現在、未来を同時に生きていました。さらに私に関する出来事は壁や空間を超えてすべて解りました。ですから離れた所で話す医師と夫の会話が聞こえ、兄が飛行機に乗っているのが解ったのです。
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   それを何かにたとえるとしたら、盲目の人が初めて見えるようになった感じでしょうか。その人がどこかへ行ったわけではありませんが、世の中が実際にどのようなものかがはっきり見えて、しかも自分が思っていたのとは全く異なっていることに驚くのです! そして突然、さまざまな色や色合いのようなものを理解します。それはこれまで自分が抱いていた概念上の理解を、ずっと超えたものなのです。
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   私の場合、私たちみんながどのようにつながっているのか、宇宙は私の中にあって、自分の感じていることがいかに宇宙に影響を与えているのかについて、とてつもない理解がもたらされました。私が幸せなら宇宙は幸せなのです。私が自分を愛していれば、他人も私を愛するでしょう。
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   この世に戻って来て、臨死体験中の高まった感覚は幾分失われはしたものの、理解や明晰さ、愛の感覚は今でも私の中に残っています。小さな点はすでにつながり、私がかつての思考に戻ることはありません。目の見えるようになった盲目だった人が、再び盲目に戻った時のことを想像してください。そこからの人生は、たとえ目が見えなかったとしても、本当はどのように見えるかを彼は知っているはずです。私も今、まさに同じように感じています。
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   この現実世界が本物ではないということについてですが、この次元はこういうものであるという自分の思いによって、私たちは自分の現実を創り上げているのだと思います。目覚めた状態ではこの三次元の現実は、私の考えの結果に過ぎないように感じられました。向こう側の世界に行った時、この次元よりもずっと現実のような場所で目が覚めたのです。それはまさに、夢から目が覚めた時のような感じでした。
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   Q : 宗教についてどう思いますか? あなたが自分の体験について語る時、ほとんどそのことに触れていないように思いますが。
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   A : それは死というものが宗教を超えたものであるからです。宗教は、生きるため、死を理解するための助けとして私たちが創り上げたものです。けれども向こう側の世界を体験してから、その体験を宗教にあてはめようとすると、どの宗教も十分ではないと解ったのです。
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   私が宗教について話さないもう一つの理由は、宗教はしばしば争いの原因となり、それは私の意図するところではないからです。私はすべてを包む包括的なものを望んでいます。私たちはみんな一つで、死んで肉体を離れればみな同じ場所へ行くことを知っています。私にとってあなた方がイエス・キリストや仏陀、シヴァやアッラーなど、どのような神や存在を信じているかは重要なことではありません。
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   大切なことは、今ここであなたが自分のことを、どのように感じているかなのです。なぜなら、それこそがここでのあなたの人生を決定するからです。今ここ、今この瞬間以外の時間は存在しません。ですから自分自身でいること、そして自分の真実を生きることが重要なのです。自分の素晴らしさを信じて生きている人は誰でも、人類にとって重要な存在なのです。    続く
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アニータ・ムアジャーニのメッセージ


 

受け継いで来た「神話」を見直し「進化」させる

  • 2019.05.21 Tuesday
  • 00:30

 

 

   Q : 自分の個人的な意志と全体の意志がつながって、ヒーリングパワーに自由にアクセスできる場所があるのですか?
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   A : 誰でも自由に、そのヒーリングパワーが存在する場所にアクセスできるのだと思います。その邪魔をしているのは、私たちの集合意識が持つ神話、つまり何世代にも渡って自分自身に話してきた(たとえば神は外側にあり私たちは切り離されているというような)物語だと私は信じています。この思い込みの蓄積が、この世界で私たちが体験する分離や不調和を生み出しているのです。そこには私たちの身体の不調和も含まれます。
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   私たちは無意識のうちに、人から人へと受け継がれる目に見えないミーム(思想的遺伝子)を運んでおり、それが真実との関係を断ち、自分は宇宙エネルギーと一つではないと信じさせているのです。そして二元性の中で動けなくなり、自分の内なる創造の中心から離れてしまうのです。私たちはこれらの神話を作り出すだけでなく、それを運んでいます。私たちの神話が変われば、自分の物質的現実もその変化を反映するでしょう。
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   このようなヒーリングをもっと多く目にするためには、自分が受け取った神話を進化させ、私たちは宇宙エネルギーと一つであると理解させるミームへと変えなければなりません。そうすればいつも、自分の創造の中心とつながっていると感じられ、周囲にもっとポジティブなエネルギーをもたらせるでしょう。私たちの個人の創造目的が宇宙の生命エネルギーと一つになった時、ヒーリングが起きるのです。
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   Q : 臨死体験以来、自由な感覚がありますか? もしそうなら、それをどのように表現できますか?
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   A : 解放された気がしています。臨死体験によってこれまで抱いていた思考形態、思い込みから自由になっただけでなく、常に新しいものを探さなければいけないという思いもなくなりました。私たちは何らかの教えを探し、それにしがみついている気がします。それはその教えが、不確かな時代の中で安心感を与えてくれるからでしょう。その結果、それが真実であることを願うのです。その思い込みが根付けば根付くほど、その考えはますます恒久化するでしょう。
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   私は身体的、心理的な確かさを求めることからの自由を、少しの間だけ体験しました。言い換えれば、疑わしい状況にあっても完璧さを感じられたのです。そのレベルの精神的な自由を維持できることが、私にとっての真の自由です。
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   Q : もしあなたの癌が治らないとわかっていても、この世に戻る選択をしましたか?
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   A : その時、私はとても明晰な状態にあったので、自分が戻る理由と、なぜ体で表現しているのかを理解したうえで戻って来たと思います。その理解があればたとえ病気が残ったとしても、心の苦しみが取り除かれ、あるいは少なくなったはずです。そして病気の体で生きなければいけないことに、目的意識を抱いたに違いありません。私は身体的状態がどうであれ、誰もが目的を持っているものだと思います。
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   Q : 私たちの誰もが本来の自分であるべきだという、あなたのメッセージがはっきり伝わって来ました。でも犯罪者や殺人者はどうなのでしょうか? 彼らも本来の自分であるべきなのでしょうか? さらに、あなたは向こう側の世界には審判はないと言っています。それは殺人を犯しても逃げられるという意味ですか?
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   A : 向こう側の世界には非難や糾弾は存在しません。なぜなら非難すべきものは存在しないからです。私たちは誰でも純粋な意識なのです。多くの人は死後、審判がないというのが気に入らないようです。人は自分の悪行に対して責任を取ると考えるほうが楽なのでしょう。ですが罰や報い、裁き、非難のようなものは”この世”ならではのもので、”あの世”のものではありません。だからこそ、この世には法律や規則や制度が存在するのです。
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   向こう側の世界では、自分の状態や自分のとった行動の理由が明確に解ります。それが人生でどんなに倫理に反するものであってもです。他人を傷つける人は、自らの苦しみや制限や別離の感覚からそうするのだと私は信じています。レイプや殺人などの犯人は、自分の素晴らしさをまったく感じられなかったのでしょう。他人にそれほどの苦しみを与えるくらいなので、自分自身の内側はこの上なく不幸だったはずです。
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   ですから彼らに必要なのは、あの世での審判やさらなる苦しみではなく、誰よりもたくさんの思いやりを与えられることなのです。実際、犯罪者や殺人者が本当の自分を生きているとは思いません。私たちは自分の道を見失い、本当の自分は誰かという真実から離れてしまった時に破滅に走るのだと思います。犯罪者は自分の中心を見失っており、彼らが他人に対してしたことは、内側で自分について感じていることの反映なのです。
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   私たちは加害者と被害者を”彼ら”と”私たち”に区別したがりますが、実は”彼ら”というのは存在せず、すべてが”私たち”なのです。連続殺人犯は、癌患者と同じようにひどく病んでいます。もし今日の世界にたくさんの殺人者がいるとしたら、それは病んだ社会だという意味です。
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   彼らを投獄することは癌の症状への対処のように、短期的には社会のためになるかもしれません。でも私たちが社会の内側にある核心的問題に取り組んで乗り越えない限り、問題は大きくなり続け、その結果もっと多くの刑務所を建設し、司法制度を厳しくする必要が出てくるでしょう。犯罪者は社会の被害者に過ぎません。彼らは、全体としての私たちの中に問題があることを示す徴候なのです。
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   私は犯罪者を大目に見ているのではありません。そうではなく、自分自身が素晴らしい存在だという理解が、私を変えたと言おうとしているのです。もし誰もが自分のその真実とつながり、その素晴らしさを知ることができれば、有害なことなど選択しないはずです。私たちは永遠に一つであると感じている幸せで愛された人は、他人を傷つける人は自分を傷つけることと同じだと解っているはずです。
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   Q : では犯罪者も殺人者も、聖人たちと同じ場所へ行き、何の批判もされないということですか?
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   A : はい。それが私の言わんとすることです。真の自分自身とつながっている状態では、どんなにネガティブに思えることでも、自分がしたことはすべて、怖れや苦しみや狭い限られた視点から起きたことだと理解できます。それは他の方法を知らなかったゆえに起きたことなのです。でも向こう側の世界へ行けば、私たちの身体的限界が明らかとなり、自分の行動の理由が解り、思いやりだけが感じられるでしょう。
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   私たちが”犯人”とラベルを貼った人は、実は自らの限界や苦しみや恐れの被害者であったという感じがします。このことが解ると、自分があらゆるものとつながっているという気がしてきます。向こう側の世界で私は、人はみんな一つの存在であると解りました。私たちはみんな同じなのです。
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   誰もがこのことを知っていれば、法律も刑務所も必要ありません。でもこの世界ではそれが理解されていないので、”私たち”と”彼ら”を区別して考え、そのために恐れから行動しています。裁判や法律や刑務所や刑罰が存在するのはこのような理由からです。この世では今の時代、私たちが自分を守るためにそれが必要なのです。ですが向こう側の世界では刑罰のようなものはありません。なぜなら向こうへ行った時、私たちはみんなつながっていることに気づけるからです。
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   Q : もし私たち自身が自分の現実を創造しているなら、人は自分がしたことについてカルマによって罰せられるのでしょうか?
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   A : すでに述べましたが、臨死体験中は罰せられるということはありませんでした。カルマは因果応報というよりもバランスの概念だと思います。たとえば私は決して”悪いカルマ”という言い方はしません。そのようなものは存在しないと信じているからです。人生のあらゆる側面が全体を創造するのに必要なのです。
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   さらに私は、直線的な時間の中で生まれ変わって異なった人生を生きる、ということももはや信じてはいません。それは多くの人が信じているカルマの概念の枠組みであり、私自身もその中で育てられました。ところが臨死体験中、私たちの人生におけるあらゆる瞬間、つまり過去、現在、未来のあらゆる瞬間は、同時に存在しており、まるでそれは私たちが時間として知るものの外側にあるかのようでした。
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   私は自分がすでに、到達しようとしている状態にあることに気づきました。そしてそれは、誰にとっても同じだと信じています。私たちがポジティブ、ネガティブ、善悪と認識しているものはすべて、完璧で調和の取れた全体の一部に過ぎないのです。
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   Q : 許すことの大切さについて、人々がよく言っているのを耳にします。向こう側の世界でも許さなければいけないのでしょうか?
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   A : 臨死体験中にとても鋭い明晰さがもたらされ、許すという概念がとても異なった意味を持つようになりました。私は、自分が許さなかったのは他人ではなく、自分自身だったと悟ったのです。自分がした間違いのようなことに対して、ネガティブな判断は一切受けませんでした。一方で、自分のすべての行為に関して、なぜ自分はそうしたのかという理由が、ただ理解できたように感じられたのです。
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   さらに、その判断されることのない無限の世界では、自分や他人を許す必要性もないのだと解りました。私たちはみんな完璧で、素晴らしい宇宙の子どもであり、純粋な愛からできているのです。判断や批判ではなく、無条件の愛を与えられることが私たちの生まれながらの権利であり、そのためにすべきことは何もありません。それが私たちそのものなのです。
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   許す必要性は善悪で物事を見ることから生じており、判断が存在しなければ、私たちが許すべきものは何もありません。私たちが創造している宇宙のタペストリーの中で、あらゆる思考や言葉や行ないが、無限の素晴らしい全体を創造するために不可欠なのです。前にお話ししたスペクトルのように、すべての色がコントラストを与え、存在に生命をもたらすために必要とされているのです。
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   では許すとは一体どういうことでしょうか? 私は許すという言葉を、自分や他人への共感、無条件の愛、思いやりという言葉に置き換えます。今の私は誰かを判断したり、許しを求める必要性を生み出す代わりに、全体の中で一人ひとりが演じている多種多様な役割を大切にし、それに敬意を払っています。  続く
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アニータ・ムアジャーニのメッセージ 


 

天国のある場所

  • 2019.05.19 Sunday
  • 00:18

 

 


   臨死体験後、私は世界中の人々に、自分の体験を話すたくさんの機会に恵まれました。そのような場で私に寄せられた質問と、それに対する回答です。
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   Q:   あなたが向こう側で体験した”無条件の愛”はどのように定義できますか? それは物質世界で私たちが体験している愛とどのように異なりますか?
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   A :  向こう側の世界の愛は物質世界での愛とはまったく異なり、本質的に純粋なものです。何の目的や期待も存在せず、感情からの行為でもなく、相手の行動や感情次第で異なった反応をするものでもありません。それはいつも同じものです。
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   Q :    この物質世界で、無条件の愛を再現するのは可能だと思いますか?
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   A :  私たち一人ひとりは、本質的には純粋で無条件の愛なのです。けれども物質世界でそれを表現すると思考のフィルターを通すので、人間の感情として表現されてしまいます。たとえばプリズムを通った白光を考えてみてください。無条件の愛はこの純粋な白光のようなものです。それがプリズムを通ると、屈折して虹色の光になります。これらが喜びや愛、不安や妬み、思いやり、憎しみ、共感など私たちのさまざまな感情だと考えてください。
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   私たち一人ひとりはプリズムのようなもので、白光という愛を屈折させ、虹が持つあらゆる色を生み出すのです。このすべての色である感情は、全体にとって等しく必要なものです。虹のそれぞれの色に対して善悪の判断をする人はごくまれなことでしょう。私たちは”あの色は悪い”とか、”その色は罪深い”とは言わないはずです。ですが人や感情に関しては、この感情は良いが他の感情は悪いと判断するのです。
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   私たちの感情の幾つかをネガティブと判断し、それを否定することは本当の自分の一部を抑圧することになります。これは自分の中に障害を生み出し、自分の素晴らしさを十分に表現できなくさせます。色のスペクトルからある色を取り出してよけてしまうと、光の一部が奪われて本来のスペクトルでなくなってしまうのです。
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   すべての感情を表現する必要はありません。ですがすべては自分の一部であると受け入れなければいけないのです。特定の感情を否定することは、プリズムを通しながらある色だけを屈折させないようなものです。何の判断もせずに自分の感情の全スペクトルを受け入れることでのみ、私たちは無条件の愛という自分の純粋な本質とつながることができるのです。
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   Q : あなたが言おうとしているのは、私たちは体を持って生まれる前から、すでに本来の自分に気づいている素晴らしい存在だということですか? もしそうならなぜこの世に生まれた時、私たちの素晴らしさは損なわれてしまい、真の自分の感覚が失われてしまうのですか?
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   A :  私が感じていることをお話ししますが、それは答えというより、さらに質問したくなるかもしれません。私たちは本来の自分を忘れるはずはないし、困難に満ちた難しい人生を生きる必要もないのだと私は思います。ですが多くの場合、自分の的外れな考えや思い込みのせいで、自ら人生を辛いものにしているような気がします。 向こう側の世界での私の理解は、まるで刻印を押されるようにやってきましたが、それを自分の言葉で言えば次のようなものでしょう。
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   「人生はこんなに苦しい闘いじゃなかったんだ。私は思い切り楽しめば良かったんだわ! そうだと知っていたらどんなに良かっただろう! 私が癌になったのは愚かな思い込みや、自分を嫌ってばかりいて、自分を苦しめるバカな思い込みのせいで、心がひどく荒れていたからだわ。この世へやって来たのは自分や人生を楽しみ、自分を表現して楽しむためだと知っていたらどんなに良かったか!」
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   次の部分は説明するのが少し難しいのですが、努力してみます。私は次のような疑問が思い浮かびました。「自分の素晴らしさを解っていなかったというだけで、どうして末期癌になるような大変なことが起きてしまったのだろう?」
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   すると次の瞬間、その答えがやって来ました。「そうか、たまたま私に降りかかってきたわけじゃないんだ。だって私は本当は被害者じゃないんだもの。癌は、私が表現しなかった力やエネルギーなんだわ! それが外側ではなく内側へ向かってしまい、私の体に対抗したんだ」
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   癌は決して、何か罰のようなものではないことを悟りました。それは私の持つ素晴らしい力として現れることを許されなかったために、癌として自らを表現した私自身の生命力だったのです。この体へ戻りたいか、このまま死にたいかという選択肢が自分にあることに気づきました。体に戻れば、癌はもうそこには存在しないことも解りました。なぜなら私のエネルギーはもはや、そのような自己表現をしておらず、私の無限の自己として存在していたからです。
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   天国とは特定の場所のことではなく、存在のあり方なのだと理解し、その至福感はこの世に戻っても続いていました。奇妙に聞こえるかもしれませんが、私たちの魂が帰る”本当の家”も場所ではなく、一つのあり方に過ぎないと感じています。そして今この瞬間、私は我が家にいると感じています。なので他の場所へ行きたいという気持ちはありません。
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   ここにいようが、向こう側の世界にいようが、私にとってはまったく違いがないからです。それはすべて、私たちのより大きく拡大した、無限の素晴らしい自分の異なる側面に過ぎません。私たちの本当の家は一人ひとりの内側にあり、それは私たちが行くところどこへでもついてくるのです。
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       Q : 私は臨死体験をしたことはありませんが、あなたが話しているような素晴らしい生命力を手に入れ、それに対する信頼を維持する方法はありますか?
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   A : もちろんです。自分の素晴らしさを理解するのに、臨死体験をする必要はありません。宇宙の生命エネルギーに対する信頼とつながりを築き、それを維持する最善の方法は、内側からもたらされると私は体験から学びました。それは自分自身を愛し、信頼することから始まります。
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   そのようにすればするほど、宇宙のタペストリーの中心にいると感じられるでしょう。一人ひとりがつながっていると感じられれば、他人の心に触れることができ、彼らにも同じように感じてもらえるのです。
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   Q : もしあなたに信念や信仰がおありなら、ヒーリングや病気の治療においてどんな役割を果たしましたか? また臨死体験後、これまで信じていたものが変わりましたか?
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   A: 私の癒しのためには、何の信仰心も必要ではありませんでした。むしろ病気が治ったのは、これまで自分が抱いていたあらゆる信念や宗教的教えを完全に捨て去ったためと言えるでしょう。私の場合は臨死体験がそのきっかけを与えてくれました。私の見るところ強い思い込みが、かえって自分の害になっていたと思われます。
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   その思い込みが私を自分の知っている範囲に閉じ込め、人生経験を狭めてしまいました。というのはこの世での知識は、身体的な感覚に制限されているからです。けれど、不確実なものを受け入れればあらゆる可能性に心が開かれます。不確実性は、無限の可能性につながっているのです。
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   確実なものを求めれば、思いもかけないことが起きる可能性は妨げられます。”自分は知らない”とか”何が起きるか見てみよう”というスタンスにいると、その拡大した自己がシンクロニシティによる答えや解決法を与えてくれるのです。
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   不確かな世界に足を踏み入れた時、私は最もパワフルになりました。これまでの思い込みや疑惑、宗教的な教義などをすべて手放した時、無限の宇宙とつながり、私の人生に最善の結果がもたらされたのです。そしてこの時に一番はっきりとした内なる理解を受け取り、魔法が起きたのです。
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   すべての執着を手放すとは、自由を受け入れるということで、自分の神性と素晴らしさを信頼することです。これは一つのヒーリングの形態でもあります。病気を治して欲しいという欲求を手放した時、私の人生はもっと自由で完全で、楽しいものになりました。
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   Q : 源への信頼が、あなたの癒しを可能にしたと感じていますか?
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   A : 私の体験では、私自身が源になり、そこには完全な明晰さがありました。自分の拡大した気づきの他に、源はありませんでした。それはまるで、私が全体を包み込んでいるような感じだったのです。すでにお話したように、私の癒しのためにどんな信念も必要ありませんでした。というのは、その状態において完全な明晰さがあり、すべてが解ったように感じられたからです。
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   これまでの私の思い込みや信仰は、”知っている状態”に道を譲りました。私がすべてになった感じでした。私はあらゆるものの中に存在しており、同時にそれらはすべて私の中に存在していたのです。私は永遠で無限の存在になりました。私はこの明晰さに目覚め、ただ理解しました。もし戻ることを選択したら、私の病気は治癒すると解ったのです。
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   私は体験から、人はみな一つだと感じています。私たちは一つものが分離した存在であり、やがて全体へと戻るのです。私は臨死体験によって、ワンネスをちょっとだけ垣間見た気がします。そのワンネスをいわゆる神とか源、バラモン、大いなるすべてetc. などと表現されていますが、その言葉が意味するものは人によってさまざまでしょう。
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   いわゆる神とは、私や他の人と異なる存在ではないことを理解しました。私にとってそれは別の存在というよりはむしろ、存在のあり方を意味しています。それは二元性を超えており、私は自分の内部で永遠にその場所とつながっており、決してそこから離れることはありません。そして私の体による表現は、この全体の一つの側面に過ぎないのです。
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アニータ・ムアジャーニのメッセージ


   

あるがままを受け入れる

  • 2019.05.17 Friday
  • 00:13

 

 


   もしネガティブな考えが忍び込んできたら、それを批判せずに受け入れて、ただ通り過ぎるのを待っているのがいいでしょう。感情は抑圧したり追い出そうとしたりすればするほど、押し返してきます。そうではなく何の判断もせずに、ただ自分の中を流れるのを許していれば、思考や感情は通り過ぎていきます。その結果、行くべき道が自然に目の前に開かれ、真の自分でいられるようになります。
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   「ネガティブな考えが人生にネガティブなものを引き寄せる」、という大雑把な説は必ずしも真実ではありません。この説のせいですでに苦しみの中にある人たちが一層ひどい思いをしているのです。さらに自分の考え方次第で、もっとネガティブな状況を引き寄せるかもしれないという恐怖感も生み出します。そのような状況は、むしろ実際には思考よりも感情と関係しています。特に、自分自身についてどう感じているかが大切です。
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   またポジティブなものを引き付けるには、単に陽気でいればいいというのも本当ではありません。これは強調してもしきれないことですが、自分自身についてどう感じているかが、人生の状況を決める上で一番大切なことです。つまり自分自身に正直でいることが、ポジティブでいるよりもずっと重要なのです。
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   私は動揺することが起きた場合、自分がネガティブな気持ちになるのを自分に許しています。なぜなら自分の本当の感情を封じ込めるよりも、それを体験するほうがはるかに良いと思うからです。それは自分が感じていることと闘うのではなく、受け入れるということです。判断せずに許すという行為は、まさに自分への愛の行為です。それは楽天的なふりをしているよりも、喜びに満ちた人生を創造するうえで、ずっと役に立ちます。
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   時折、とても陽気で活気に満ち、優しい人でありながら、人生が崩壊しそうな人を見てこう思うことがあるかもしれません。「ほら、ポジテイヴでいるのは別に関係ないんだよ」と。でも問題は、人が心の中で何を考えているか解らないということです。私たちは他人が日々、自分に何を話しているか、あるいは幸せを感じているかどうかなど見当もつきません。そして一番重要なことは、彼らが自分を愛し、自分を重んじているかどうかというのは解らないのです。
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   臨死体験中の理解から、私は自分に対して批判や恐れを抱かないことがとても大切だと感じています。心の中で自分は安全で、宇宙から無条件に愛され、受け入れられていると思っている時、私はこのエネルギーを外側へと放射しており、それに応じて外の世界も変化させています。なぜなら外側の世界というのは、私の内側の状況が反映したものだからです。
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   実際には、それが最悪の一日であったかどうかは重要ではありません。その時、自分がどう感じていたのかがもっとも大切なのです。困難に直面している時も信頼を失わず、不安や悲しみや恐れという感情が過ぎ去るまで、それを抑圧せずにそのままでいるということです。それは本当の自分に忠実でいるよう許すことに他なりません。そうすればその感情は消えて行き、次第に現れなくなるでしょう。
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   臨死体験の前、私はまさにそうした動揺を抑圧ばかりしていました。そのような感情が、ネガティブなものを引き寄せると信じていたからです。さらに他の人たちにそれを知られたくなかったので、自分の思いをコントロールしては、無理やりポジティブでいるように努力したものです。ですが今では本当の自分を敬い、真の姿でいることを許すことが一番大切なのだと十分理解しています。
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   時間のすべてのコマは完全に無比のものなので、それぞれの時間が過ぎてしまえば、それが物質的次元で再現されることはありません。私はそのことを受け入れて、「今」というこの瞬間に生きることを学んだのです。
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   つまり可能な限り、今の瞬間から次の瞬間へと、感情的な荷物を引きずらないようにしています。それぞれの瞬間を白紙の状態として捉え、新しい可能性を見出そうとしているのです。なので自分がワクワクできて、楽しみや喜びを感じられることをしています。本当の自分ともっと仲良くして生きるには、ポジティブな考えを自分に強要しないことだけではありません。それは存在の在り方を意味しており、自分が幸せだと感じること、情熱を引き出してくれること、つまり気分が良くなることをするということです。
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   さらに無条件に自分を愛することも意味します。私たちが楽しさを感じ、生きる意欲にあふれている時、まさに自分の素晴らしさとつながっているのです。自分の中にそれを見つけた時、物事がワクワクと感じられるようになり、周囲でシンクロニシティが起き始めるでしょう。シンクロニシティと引き寄せの力は近年、非常に注目されています。引き寄せるだけで物事がうまく運ぶという考え方は魅力的ですが、私は”引き寄せる”というよりも”ありのままを許容する”という考えのほうが好きです。
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   すでに述べたように、私たちは宇宙と一つであり、私たちの目的は本来の素晴らしい自分自身でいることです。外の世界とは、自分の内側にあるものの反映に過ぎません。私の人生の崩壊は、外側にばかり注意を向けていたこと、いつも自分と他人を比較していたこと、そのために起こった競争意識が原因でした。かつて私は全員に行き渡るほど十分にはないのだと考えており、それが欲や競争心を招いたのです。自分のユニークさや他人との違いを受け入れられず、人も自分と同じように考え、信じてほしいと思っていました。
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   こうした感情は、宇宙の豊かさを知らないことから起こりました。宇宙は私たちと同じだけ成長し、包み込むことが可能です。その宇宙がどれほど拡大し、受け入れられるかは私たち次第であり、それは外側からではなく、内側から行われなければなりません。つまり自分がどれだけ受け入れられるかによって、宇宙もそれに応じて拡大するのです。
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   自分には無限の自己以外には何もないのだと解ってからは、自分自身を進行中の完璧な作品だと考えるようになりました。それは静止状態にはなく、ダイナミックに変化し続けています。一つの美しいイメージから次の美しい模様に変わる万華鏡のように、それは常に完璧さを映し出しています。これは人生という旅において、明らかな間違いの中にも美しさを見つけられることを意味します。なぜならそれらがさらに私を深い理解へと導いてくれるからです。
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   私の目標は自分を好きになり、心から信頼してすべてをゆだねられるようになることです。自分の完全さを意識し観察し始めた時、外側の世界がそれを反映し始めているのに気づきました。私は自分にとって最善のものを引き寄せていたのです。それはまた、宇宙のために私ができる最善のことでもありました。
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   私は、外に出て行って世の中を変えることには向いていません。それは、何かが間違っているので変える必要があるという考えから生まれる行為であり、問題に対する批判的エネルギーをますます増大させるだけだからです。すべての思い込みや考えへの執着を手放せば、自分をもっと拡大し、宇宙エネルギーを流せるようになると感じました。こうしてありのままを受け入れる状態にある時、私の人生にポジティブな偶然が少しずつ起き始めたのです。
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   私たちは常に自分に似たものを引き寄せています。ですから私が自分に対して優しくすればするほど、外側の出来事もそれを反映したものになります。私が自分に対して批判的で厳しくあればあるほど、私の状況はそれに見合ったものになるのは当然です。宇宙はいつも私の自分に対する意見を肯定し、それに見合ったものを与えてくれます。
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   かつての私は、ただ一生懸命追い求めていました。行動し、手に入れて達成しなければならないと思っていたのです。ですが何かを追いかける行為は恐れから生じています。それは自分が本当に望むものを持っていないという恐れです。その状態では、猟師と獲物のような状況にばかり注意がいき、二元性の中で身動きができなくなります。でも今の私は、もう追いかけるのはやめ、ただありのままを受け入れています。
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   ありのままを受け入れるプロセスは、まずすべてを信頼することから始まります。次に、いつも本当の自分に忠実でいることです。このようにして私は、真に自分のものを引き寄せていますが、それは私が受け入れられるレベルに合わせて実現します。自分が心配なこと、自分に必要、あるいは足りないと思うことに焦点を合わせることもできますが、その場合には私の人生は望んでいる方には向かっていかず、今の状態に留まったままでしょう。
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   なぜなら信頼し、新しい体験を受け入れて自分の気づきを拡大するのではなく、恐れや動揺や、実現していないことばかりに集中しているからです。ですから望みが現実のものとして現れるかどうかは、どれくらい早く私が不安を手放し、ただ信頼して寛(くつろ)いだ心になれるかによるのです。一つの考えや結果に執着するほど、あるいは新しい冒険を怖れるほど、進歩は遅れてしまうのです。それは、そのプロセスに心を開かず、宇宙エネルギがー自然に自分の中を流れるのを許していない状態だからです。
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   ですが、ただ座ってあらゆる選択や可能性について、あれこれ考えているわけではありません。私は今の瞬間に意識を向けて生きています。それは外に向けてではなく内面的にという意味です。外側には、追い求め、引き寄せるべきものは何も存在しません。宇宙は自分の中に存在し、私が内側で体験していることが全体に影響するのです。
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   すべての時間のタペストリーはすでに完成しているので、私が人生で起きて欲しいと思うあらゆることは、無限の非物質次元ですでに存在しています。なので私がすべきことは、この次元での自分を拡大し、この領域に入り込むことだけなのです。ですからもし望むものがあるなら、外に出て行って手に入れるのではなく、自分の意識を拡大して、宇宙エネルギーに現実へともたらしてもらいましょう。
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   自分が望むものを追い求めれば、分離を強めるだけです。ありのままを許容するということは、私たちは一つの存在であってすべてはつながっており、自分が望むものはすでに自分のものなのだという理解を意味するのです。   続く
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アニータ・ムアジャーニのメッセージ


 

自分のあるがままを生きる

  • 2019.05.15 Wednesday
  • 00:27

 

 


   臨死体験前の自分と今の自分の一番大きな違いは、「私は恐れではなく、喜びから人生を生きている」ということです。それ以前の私は気づいてすらいなかったのですが、私はいつも苦しみを避けることや人を喜ばせることばかり考えていました。私は行動し、追い求め、探し出し、達成することばかりに囚われていたのです。
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   自分のことはいつも後回しでした。私の人生は他人を怒らせる恐れや失敗する恐れ、自分勝手になる怖れ、十分でないという恐れに突き動かされていました。私の頭の中にはいつも、他人の期待に添わない(ことで拒否されることを怖れる)自分が存在していたのです。
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   私は何かを達成するために、向こう側の世界から戻って来たとは思っていません。私はただ存在するために戻って来たのです。なので私の行ないはすべて愛から生まれています。それは物事を正しく直そうとか、規則や教えに従おうなどとはまったく思っていないし、気にしていません。
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   私はただ自分の心に従っており、そうしていれば間違うことはないと解っています。ですがその結果、皮肉なことに、私は以前よりももっと多くの人を喜ばせるようになりました。それは私自身が前よりもずっと幸せで、自由だからだと思います。
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   このことは私の健康にも大きな影響を与えています。自分を無限の存在と今は思っているので、体が自然に良い状態になっているからです。なぜなら体というものは、私の魂の内側で起こっていることを映し出したものであるからです。自分に対する無条件の愛が、私のエネルギーレベルを非常に高めてくれて、宇宙も同じように働いています。
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   外側の世界は、私たちが自分自身についてどう感じているかを反映しています。自己非難を手放せば、自分の世界を変えることができます。そうすればもっと大きな信頼感を抱くことができます。生きていることに信頼するようになればなるほど、結果をコントロールしたいという気持ちは少なくなります。他人が作った教えや、もう自分の役に立たなくなった思い込みに縛られず、この流れとともに動くならば、もっと本来の自分の姿を映し出すようになるでしょう。
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   すでに述べましたが、私は臨死体験をするまで、導きを常に外側に求めていました。同僚や上司、他人からいつもアドバイスや承認をもらおうとしていたのです。それが自分にとって良い感じがするかどうかではなく、とにかく他人の意見や教えに従っていました。恐れの気持ちから宗教的儀式に参加し、教えを守っていました。そこに自分の知らない正しい情報があると思っていたのです。
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   このようにして、外側の声ばかりに耳を傾けていたために、私は自分を見失ってしまったことが臨死体験中に解りました。”万が一に備えて”何かをするのは恐れからの行動なのです。最近は、確立されたどのような教えにも私は従っていません。そして事実、私にとって最大の規則とは、厳格かつ不変の規則などは存在しないということです! 私はその時々、正しいと思うものに注意を払っているだけです。人生とはスピリチュアルな体験をする場であり、私は常に変化し、進化している存在なのです。
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   もし私たちが宇宙エネルギーからなる生命力の存在であるならば、自分のために誰かに決断してもらったり、自分のエネルギーをどのように変えればいいかを教えてもらう必要はありません。私たち全員がかけがえのない唯一無二の存在なので、万人にあてはまるような共通の規則を作れる人はいないでしょう。にもかかわらず体系化されたスピリチュアルな教えや宗教はそれをしようとしているのです。
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   その体系が確立されると、全員が同じ教義に従うように言われ、従わない人は非難されます。組織化された宗教が、調和ではなく争いや衝突を生み出すのはそのような理由からです。宗教的な道に従うことで、恐れの人生や他人を犠牲にするような人生を避けられるわけではありません。しかし個人的で霊的な道に従えば、自分自身の内なる存在の声に耳を傾けながら、無限の自己に出会うことができます。
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   組織化された宗教がいかに誤りから逃れられないかは、異なる文化について考えてみると一目瞭然です。たとえばインドと中国のスピリチュアルやヒーリングの体系は完全に対立しています。ヒンズー教では動物の肉を食べることは罪だと信じられており、中国人は肉を食べないのは健康に悪いと信じています。同様にインドには風水と同じ目的を持つヴァーストゥというシステムがありますが、これも中国の規則と真っ向からぶつかっています。
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   私はかつて、このような対立を前にして、まったく訳がわからなくなりました。どれに従えばいいのか、間違えたらどうしようと恐怖感でいっぱいになったのです。そして最終的に、臨死体験が本来の自分に戻してくれました。私たちは自分自身の道を発見し、喜んで生きるためにここにいるのだと理解することが、私たち一人ひとりにとって一番大切なことなのです。
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   それは物質世界と縁を切って20年間山頂で瞑想しようと、何千人という従業員を抱える多国籍企業を設立しようが、まったく関係ありません。寺院や教会に通おうが、アイスを食べながら公園を歩こうが、結局、どの道を選んでもそれぞれが私たちにとって正しい道であり、すべての選択が他の選択より精神的に優れていたり劣っているということはありません。
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   私は別に宗教に反対しているわけではありません。ただ私たちはみんな一つであり、それぞれが神のあらゆる側面の一つであるにもかかわらず、宗教という大義名分のもとに起こっている争いや衝突、殺し合いを考えると、そのいかなるメッセージも信じることができません。
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   人類は多種多様であり、組織化された宗教や霊的な道が合う人もいれば、合わない人もいるはずです。一方で自分を育(はぐく)み、自分の創造性を表現し、自分の素晴らしさを示すことが、私たちにとっての最善の生き方なのです。一つの選択や教えに執着することは、本来の自分やこの世界にやって来た目的とつながる妨げになります。
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   自らの素晴らしさとつながり続けるために、特定の儀式や教義に従うような努力は必要ありません。ですがあなたがそれを望み、それで喜びがあるのならそれもいいでしょう。ですがそれが絶対に必要なわけではありません。ただ自分の内なる導きに従うだけで、自分にとって必要なものや、それを得るためにどうすればよいかが解るでしょう。自分や他人を批判せず、自分の愛の中心にいることが感じられれば、私たちはいるべき道にいると解ります。そして無限の全体の中で本当の素晴らしさを認識することができます。
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   たとえば祈りは、困っている人に大きな慰めを与えると同時に、自己発見の助けにもなります。それはすべての重荷を手放すための方法なので、健康や幸せに良い効果があるかもしれません。そして祈った人たちは気持ちも軽くなり、明るい気分になり、その人自身だけでなく他の人の幸せにも役立つでしょう。すべての存在はつながっているので、あなたが自分にもたらしたポジティブな変化は、全体にも影響するのです。
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   ですが私は、祈っている人が祈らない人よりも自分の素晴らしさと、よりつながっているとは思いません。私たちは誰もがみな、自分の内側にある無限の空間を理解する自分なりの方法を持っており、それがある人にとっては祈りであるというだけのことです。他の人にとってはそれが音楽であったり、美術だったり、自然の中にいることであったり、知識やテクノロジーであるかもしれません。
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   その人に情熱や創造性や、生きる目的を与えるものなら何でもよいのです。祈りが、他のものよりも私たちの素晴らしさに気づかせてくれるというわけでもありません。むしろ自分の内なる情熱とつながり、禅のような性質を引き出し、自分の人生に意味や統一性を感じられる生き方を選択することが大切です。
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      個人的的には、自分とは切り離された外部の神様に祈る必要性は感じていません。それは私はいつも自分が宇宙と一つだと知っているので、自分の人生が祈りそのものだと感じているからです。確かに瞑想は心を沈めてくれて、全体の中に存在するあらゆるものとのつながりが感じられるので、とても役に立つものです。でも人によっては瞑想から同じような高揚感を得られないかもしれません。でもそれでよいのです。なぜなら自分のやり方に合うと感じることをするのが一番大切だからです。
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   もし努力せずにできるやり方や、面白いと感じる方法を見つけたなら、それはそれで素晴らしいことです。逆に非常な苦労を感じたり、自分の感情や思いをコントロールしている気がするなら、それはあまりあなたの役に立つことではないかもしれません。純粋にありのままを許容している状態が、ポジティブな変化の起きる場所に思えます。あなたが誰であろうと自分自身でいて、自分が生き生きできるようなことを受け入れてください。   続く
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 アニータ・ムアジャーニのメッセージ


   

   

人と同じようにではなく、自分の独自性を生きる

  • 2019.05.13 Monday
  • 00:12

 


   もしすべての人が一人残らず、自分の完璧さや素晴らしさに気づくようになったら、地球上の全員がスピリチュアルな変化を経験したら、外の世界も内面の新しい状態を反映して変化するでしょう。人々はもっと力を与えられ、恐れや競争はずっと少なくなり、その結果お互いに寛容になります。犯罪率は劇的に減少するでしょう。ストレスや恐れが少ない分、免疫力が高まり、病気も少なくなります。
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   恐れの一面である貪欲さに、もはや駆り立てられていないので、自分の優先順位も変化します。子どもたちは愛の存在へと成長し、もっと強く健康で、信頼できる人間になるでしょう。そして地球は、このような生き方に敵対する場所ではなく、それを支持するような場所に変わるのです。
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   私はこのようなビジョンを持っていますが、世の中はもちろん他の人を変えなければいけないとは感じていません。外に出て物事を変えようとするのは、私が彼らを悪いと判断しているからで、彼らのビジョンや考え方を修整する必要があるということだからです。
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   あらゆるものは今この時点で、すでに本来あるべき姿であり、自分の努めはただ存在することだと解っています。ここでの私の仕事は自分自身でいることです。つまり愛の表現でいて、物質世界で生き続けながら、自分や他人や周囲の世界に完璧さを見出すことです。私たちに必要なのはそれだけなのです。
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   私は、家族や知人などすべての人が人生で果たしてくれている役割、そして、私が彼らの人生で果たしている役割を理解しています。もし私が自分に正直でなかったなら、彼らも本当の自分ではいられません。私が唯一無二の自分でいることで、他人も無限の自己のレベルで私と関わり合えるのです。
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   私がこの気づきを持っている限り、宇宙エネルギーと一つであると感じることができ、それは私の人生で奇跡のようなシンクロニシティ(共時性)を見せてくれるでしょう。私はヘトヘトになることなくエネルギッシュになり、”行動すること”で落ち込むことなく、”存在すること”によって明るくなり、宇宙エネルギーに対抗することなく、それと協力しながら生きるようになりました。
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   この生き方を続けるうちに、私の生活は禅のような性質を帯びてきて、いつも導かれているように感じています。それは必ずしも簡単ではなかったのですが、確実に人生をずっと美しいものにしてくれました。まだまだ進歩の途中ですが、私がすべきことは愛であること、そして本来の自分でいることだけです。その結果、私の周囲の世界はあるべき場所に落ち着き、それと同じことが全世界にも起き始めるでしょう。
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   私たちの個人的な考えや感情が、それぞれの人生の一瞬一瞬を創造しているように、私たちの個人的な思いが全体の集合意識の方向性を決めており、人間の力で出来ることとそうでないことを決めています。また私たちは、道徳的な観念や価値観を絶対的なものだと思っていますが、実際には長い間自分が真実だと受け入れてきた考えや思い込みに過ぎません。それらは私たちの思考が構築したもので、文化的な産物です。
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   それは若い頃に私の思考を形成していた、性別による期待のようなものです。当時の私はこうした価値観が絶対的な真実だと信じていたので、結果的に私という人間に大きな影響を及ぼしました。全体的に私たちが創造した現実は、このような無知を反映しています。ですがもしみんなの考えや思い込みが異なっていたならば、まったく違う地球を創造していたことでしょう。
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   この世界は、私たちの集合的な思考や思い込みが実を結んだものです。私たちは個人的あるいは集合意識的に、その時に対処できるレベルでしか拡大していくことはできません。つまりこの世界だけでなく、向こう側の世界に行ってもなお、犯罪者は罰せられ非難されるべきだという価値観を持ち続け、実際には彼らが恐れの被害者であって、全体を構成する自分たちが創り上げた現実の産物であることを、見ることも気づくこともできない可能性もあるのです。
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   私たちが最大の敵の目を覗き込んだ時、そこに映る自分の目を見ることができれば、人類に真の変化が訪れるでしょう。そして集合的な思い込みや思考から生まれたものに盲目的に従うのではなく、自分の真実に基づいた現実を自分自身のために創造しようとするはずです。こうした個人レベルでの気づきが拡大されるならば、宇宙レベルでの変化が生み出されるでしょう。
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   私たち一人ひとりは、色とりどりの複雑な模様が織り込まれた、巨大なタペストリーの1本の糸のようなものです。たとえ1本の糸であっても、それは完成したイメージには不可欠のものです。本当の自分でいるべきかどうかという私たちの選択は、他人の人生にも影響を与えます。なぜなら他人に対する唯一の義務、そして私たちの唯一の目的は、自分の独自性を表現し、他人にも同じようにしてもらうことだからです。
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   自分の中心に素晴らしい宇宙エネルギーである光が存在し、それが本来の真の自分であることを理解すれば、心が開かれて個人として変化できるでしょう。そしてこのようなゆっくりとした深い変化が、世界中で起こることが可能なのです。
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アニータ・ムアジャーニのメッセージ


 

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