すべての癌が消えた
- 2019.04.29 Monday
- 12:43
・・・午後4時頃、私は目をぱちぱちし始めました。それは2月3日の午後で、昏睡状態になって運び込まれてから、およそ30時間後のことでした。視界はかなりぼんやりしており、目の前にいるのが夫のダニーだとはわかりませんでした。その時、「アニータの意識が戻った〜っ!」という彼の叫ぶ声が聞こえました。それはこの上なく幸せそうな声でした。
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昏睡状態から目覚めて2日もしないうちに医師は、奇跡的に臓器の機能が回復し、毒素で腫れ上がっていたのもかなり収まって来たと告げました。別の癌専門医が定期健診を行なった時、彼は驚きを隠せずに叫びました。「あなたの癌はこのたった3日間だけで、かなり小さくなっている。それにすべてのリンパ腫の腫れも、以前の半分くらいの大きさだ!」
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嬉しいことにその翌日、酸素チューブが取り外されました。医師がもう必要ないと判断したのです。私はベッド上に半分、上体を起こした状態でいましたが、まだ自分で体を支える力はなく、枕に頭を埋めていました。私の気分は高揚しており、家族と話したくてうずうずしました。私はその時、なぜ自分がそれほどポジティブな気分だったのかわかりませんでしたが、何かを悟った感じがしていました。
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私はまだ集中治療室にいたので、家族が私のベッドに連日やって来ましたが、医師は私が他の重篤な患者の邪魔になっていると判断しました。それは彼らの家族から、私のベッドのほうから聞こえてくる、笑い声やおしゃべりがうるさいと苦情が出たからでした。そして病院に運ばれてから5日目、私は一般病棟へ移されました。そこでやっと、人目をはばからずに思い切り音楽を聴いて笑えるようになったのでした。
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私はとてもゆっくりと、自分に起きたことを理解し始めていました。頭がはっきりしてきて詳細を思い出し始めると、私の胸は詰まりそうになりました。それは向こう側で体験した驚くほどの美しさや自由を後にして、戻って来たことが悲しかったのです。でも同時に、再び家族とつながれたことの幸せを感謝しましたが、私は後悔と喜びの両方の涙を流しました。
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そして、すべての人たちと、これまで一度も体験したことのない絆(きずな)を感じるようになりました。それは家族だけでなく、自分の病室にやって来るすべての人たちとです。私の世話をしに来てくれる人々に対して、愛が溢れ出て来るのを感じました。それは自分がこれまで知っている愛情とは違うものでした。それはとても深いレベルですべての人とつながっており、同じ心を共有しているかのようで、彼らが感じたり考えていることがすべて解る気がしました。
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私のベッドは窓側にありましたが、ある日看護師が外の景色を見たいかと訊ねてくれました。私はその時、自分がしばらく外の世界を見ていなかったことに気づきました。看護師に支えられながら窓から外を見た瞬間、涙がこみ上げてきてしばらく泣きやむことができませんでした。その景色は、私が子ども時代に住んでいた場所の風景とまったく同じだったのです。私は景色を眺めながら、さまざまな経験をしてまた同じ場所に戻って来たことを痛感しました。
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それは特別な風景ではなかったのですが、まるで初めて目にしたようにあらゆるものが新鮮で、刺激的で美しく見えました。私は再び子どもに戻ったように、新しい目ですべてのものを見ていたのです。そこには自分が育ったアパートが見え、道路を横切ったところには、幼いころに遊んだ公園があり、市電が人々を乗せて走っており、車が通り過ぎ、犬の散歩や買い物の通行人がいました。それは久しぶりに目にしたすばらしい眺めでした。おそらく、これまで見て来た中で一番美しいものでした。
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集中治療室を出てから数日後、私は筋力をつけるために理学療法を始めました。初めて部屋の中を歩けるようになった日、看護師が鏡のあるトイレに連れて行ってくれました。ところが鏡に映る自分を見た瞬間、私は骨と皮だけの自分の姿にひどく滅入ってしまい落胆したのです。私は数分だけ一人にしてほしいと看護師に頼み、鏡の中の自分をじっと見つめました。それが誰なのかまったくわかりませんでした。
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髪の毛はほとんど抜け落ち、目がくぼんで眼球だけが目立ち、頬骨が突き出ていました。右耳辺りの首には大きな絆創膏が貼られ、ぱっくり開いた皮膚病変を隠していました。私は鏡に映る自分の姿にくぎ付けになり、涙がとめどなく流れました。私は虚栄心から泣いたのではありません。私にとって身体的な外見が重要だったのではありません。それはこれまでの長い年月にわたる苦しみを見ていたのです。
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「私はどうして、これほどの苦しみを自分に与えてしまったのだろうか? なぜこんな苦しみを自分に課したのだろう?」 私自身が自分に対してこれを行なったことを痛感していました。鏡に映る自分の顔のほうへ手を伸ばし、涙を流す顔に触れながら、二度とこんなひどい目にあわせない、と誓ったのです。
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医師は私の回復ぶりに慎重な注意を払っていました。それは病院へ搬送されて来た時があまりに深刻な状態だったからです。彼らは現在投与している抗がん剤、つまりかつて私がひどく恐れていたものですが、その配合と投与量を調節したいと考えていました。私は看護師がやって来て、抗がん剤の投与を始めるのを見ていました。その袋には”劇薬”と大きな文字で書かれており、その薬が直接血管の中へ送り込まれるのです。看護師はマスクをしてゴム製の手袋をし、その危険な劇薬に触れないようにしっかりと防備していました。
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不思議ですが、私は自分の血管にこれらの劇薬を流し込んでもよいと思いました。なぜなら私には、抗がん剤治療が必要ないと解っていたからです。そして医師たちは、私のためではなく、自分たちの理由づけのためにそれを行なっていることも解っていました。私は自分が無敵で、何者も自分をやっつけることはできないことも解っていました。それは今、血管に注入されている劇薬であってもです。
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私は親しい友人を何人も癌で失っているので、そうした劇薬の抗がん剤治療を長年ずっと恐れていました。ですが興味深いことに、今回はいつもの副作用がまったく現れなかったのです。医師チームは私に、抗がん剤投与に伴う吐き気が見られないことに非常に驚いていました。私は勝利を得た気分でした。その時の私は、死ぬことや抗がん剤に対して、あらゆるもの対する恐怖感を完全に乗り越えていたのです。
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自分を病気にしたのは、恐れの気持ちであったことを私は確信しました。もしこれが、向こう側の世界を体験する前であったなら、大きな赤い文字で書かれた劇薬という言葉と、自分を守るための看護師の厳重な防備は、おそらく私に死ぬほどの恐怖感を与えたでしょう。心理的な影響だけで、私の息の根は止まっていたかもしれません。それが今、私は自分が無敵の感じでした。なぜならこの次元へ戻って来るという決断が、物質世界で起きている事柄を完全に覆(くつがえ)すと知っていたからです。
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集中治療室を出て6日目、私は少し力がついた気がして、短時間だけ病院の廊下を歩き始めました。そして最初の検査は骨髄生検でした。これはとても痛みを伴う検査で、骨盤に太い注射針を刺し、骨から骨髄を採取するものです。その検査結果を受け取った日のことは今でも思い出します。医師が病院の職員たちと心配そうな様子で一緒にやって来ました。それを見て、私はここ数日で初めて不安を感じました。
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医師は言いました。「骨髄生検でちょっと気がかりな結果が出ました。実は骨髄生検で癌が見つからなかったのです」 ダニーが聞き返しました。「どうしてそれが問題なのですか? つまり妻の骨髄には癌がないということでしょう?」「いいえ、そんなことは絶対にありません。奥さんの体には確かに癌があります。こんなに早く消えてしまうわけがありません。私たちはそれを見つけなければなりません。そうしなければ薬の量を決められないのです」
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そして医師たちは私の骨髄生検の材料を、香港で最新技術を持つ病理研究室へ送りました。4日後に結果が戻って来ましたが、陰性でした。つまり癌の痕跡はまったく見つからなかったのです。医師たちはそれでもあきらめずに、癌を見つけるためにリンパ節生検をしたいと言いました。
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私は「どんなに調べても何も見つからないのは解っているので、もう検査はしたくありません。これは私の体なのです」と言いたくて仕方がありませんでした。ですが私は医師に告げました。「必要なら検査してください。でもそれらすべては、あなた方が自分を納得させたいがために行なうのだと覚えていてください。私にはすでに結果がわかっています」
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私は放射線室の台に横になっていました。そこのシャーカステンには私が昏睡状態で病院へ搬送された時に撮った、MRIの画像が貼り付けてあるのに気づきました。それには腫瘍の箇所のすべてが写っていました。その画像を見て、放射線技師は私の首は腫瘍だらけだと理解し、首の後部、両側面、最後に首の全面を調べました。私は彼が戸惑っているのに気づきました。彼は院内の電話のあるところへ走って行くと、私の主治医と話しているのが聞こえました。
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「さっぱりわかりません。ほんの2週間前に撮った画像があるのですが、癌だと思われるリンパ腫が一つも見つからないんです」 それで彼が戻って来た時、私は「もう戻っていいんですね」と言うと、「いや待ってください。あなたの主治医から、体から癌が消えるなんてことは絶対にあり得ないので、必ず見つけ出すように言われているのです。首のあたりで癌を見つけなければなりません」そう言うと彼は、大きくなってもいないのに、私の首のリンパ節に印を付けました。
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それから手術の日程が組まれ、外科医が電気メスでリンパ節を切った時の不快感は本当に嫌なものでした。これは局部麻酔だったので、完全に意識がありました。その時の皮膚の焦げた匂いをよく覚えています。医師の処置に同意したのは間違いだったかもしれないと思いました。そして、その結果、癌の痕跡はまったく見つからなかったのです。その時点で私は、これ以上検査や抗がん剤を続けることに対して抵抗を始めました。
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私は自分が治ったと心の底から解っていました。ですが医師は許してはくれず、さらなる検査と薬が必要だと主張し、私が運び込まれた時のことを再び思い出させようとしました。「私の体にはもう癌が見つからないのに、なぜそんなことがまだ必要なんですか?」と言うと、「これまでの検査で癌が見つからないからと言って、癌がないというわけではありません。忘れないでください。数週間前に病院へ運ばれて来た時、あなたは末期癌患者だったんですよ!」と医師は断言しました。
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しかし最終的に、PETスキャンの結果、画像で癌が確認されなかった時点で、私の治療は終わりました。医師チームは驚いていましたが、形成外科で手術するはずだった首の皮膚病変も自然治癒していたのでした。
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アニータ・ムアジャーニのメッセージ
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