内なる良心を生きる

  • 2018.10.31 Wednesday
  • 00:02

 

 


   真に禁欲修行の人生を送ろうとする人は、4人から5人が暮らせる小さな洞窟が点在するヒマラヤの、ある地域で簡素に過ごすことができる。ヒマラヤには、伝統が受け継がれる洞窟の僧院がわずかだが存在する。私もそうした僧院の一つで育った。我々の洞窟の僧院の伝統は、4000年から5000年前までさかのぼって詳しく伝えられており、初代の師の誰によって始められたかも記録に残されている。
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   我々の洞窟の僧院は、幾つかに仕切られた天然の洞窟である。
   何世紀もの間に、多くの求道者が過ごせるように、少しづつ岩が取り除かれて広げられていった。洞窟の代々の居住者が快適に過ごせるように作り変えてきたが、現代的というほどではないにしても、それでも非常に機能的にできている。
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   師たちが古来からのやり方で生徒たちに教える、隠れた隠遁の場所は今なお存在する。そしてともに学び、修養を積むためにさまざまなところから弟子たちがやって来る。しかしそうした生徒たちの大部分は、こうした洞窟にたどり着くことがない。それは単なる好奇心からであったり、より高い教えを受け取る準備のできていない人々であり、そのような人々から師たちを守護するような何かがヒマラヤには存在する。
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   単なる好奇心や、自らの感情的な問題を抱えて家を後にし、ヒマラヤに師を探し求めて出かけても、このような高度の地にはたどり着くことができない。偉大な聖者たちの住まう、ヒマラヤの奥深くの隠された地へと至るためには、熱烈な決意と動機が要求されるのだ。
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   教えはしばしば実演によって行なわれ、ある一定期間を過ぎると次へ進む。
   沈黙のうちに行なわれることもあり、生徒があるレベルにまで達すると、師はこう問いかける、「おまえが一生を洞窟で過ごすなら、他の人はどうやってヨギから学べるのだろうか」 そうして、大部分の生徒は、数年の後にこの地を去っていく。
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   人生を創造的で有益なものにするのは大切であるが、その前にまず、自らを律し、思いや言葉、行ないを整えることで、自らの奥深くに眠る潜在能力に触れるべきである。洞窟の僧院で教えられるような規律をほんの数年実践するだけでも、人生という花は永遠に咲き誇ることだろう。自己を修める術(すべ)を知った人は、この世の足かせやさまざまな問題に影響されたり、翻弄されることなく、この世に暮らしながら、この世に属さずに生きるのである。
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   私欲の心と無私の心、愛と憎しみの間を分けるのは薄い壁である。
   それを超えた後に、人は何の見返りも求めずに、他者のために何かをするのが喜びとなる。これはあらゆる喜びの最たるものであり、覚醒に至る道においては必ず通らなければならない段階である。
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   利己的な人は、自らが築き上げた限界と境界に拘束され、この境地を想像することさえできない。無私の人は自らのエゴをよく制御し、より高い目的に活用する。この「無私」こそが、偉人と言われる人々に共通して見出される特質である。無私なくしては何もなし得ない。無私の心で行なうことがなければ、儀式も経典もどんな知識もムダに終わる。
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   私は孤独を感じることがない。
   孤独な人とは、自らの内なる完全性を知らない人である。内なる真理を知らずに外に求め、何かに頼るなら孤独になるに違いない。覚醒の探求とは、自らの内を探すことであり、自らが完全であることを知ることである。あなたは完全なのだ。あなたは外に何も必要としない。どんな状況で何が起きようと、孤独を感じる必要はない。自らに頼ることを知るには、頻繁にその強さを試される必要がある。師は弟子を試して自らを律することを教え、自らに頼るように促す。
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   内なる自分自身を愉しむ人は、決して孤独にはならない。
   では誰が人を孤独にするのだろうか。それは私を知り、私を愛するという人々や、私が愛する人々が孤独を生じさせ、依存させるのだ。そして我々は内なる神、永遠の友を忘れてしまった。内なる自分自身を知ることを学ぶと、外に依存することはなくなる。
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   外なる人々との親交への依存は、無知から起きてくる。
   人との関わりと人生とは同じ意味であり、切り離すことはできないが、自らの内なる友を知る者は、すべてを愛し、しかし頼らず依存しない。彼らは決して孤独ではなく、幸せに一人で在るとは、絶え間ない意識と真理との親しさを愉しむことなのだ。
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   師は教えて言った。
   「多くの人々が、執着と愛を混同する。
   執着すれば利己的になり、自らの快楽を追い、愛の用い方を間違えてしまう。所有欲に駆られ、欲望の対象を手に入れようとする。執着はそれから束縛を生み出すが、愛は自由を与える。
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   我々ヨギが無執着について言うときには、無関心になることを教えているのではなく、いかに真の無私の愛で他を愛するかを教えている。それが正しく理解されるなら、無執着とは「愛」のことだとわかるだろう。無執着という「愛」は、出家者ばかりではなく、この世に暮らす人々にも実践できることである。」
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   「存在しないものを信じることに心やエネルギーを注ぎ続ければ、存在するかのように思えてくる。邪悪さや罪悪感についてあれこれ考えるな。それが自らをストレスと不安にさらすのだ。霊性の道に歩む人でさえが、この世界があまりにも進歩していないという不平不満にとりつかれる。そして真摯で正直、誠実さと忠実さに欠けることになり、自分のことが見えなくなる。外界に自分の弱さを投影しては、外界が自分の足を引っ張ると考えるのだ。」
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   師は私に、執着しないことを実践し、たえず意識的であるように教えて言った。「執着から生じる束縛が強くなればなるほど、人は弱くなり、無知で、真理というものが理解できなくなる。惑わしというものは執着に深く根ざしており、執着のゆえに何かを欲すれば、それが惑わしの源となる。執着を捨て、欲望の数々を霊的成長に向ける人は、惑わしから自由になる。執着が弱くなればなるほど、内なる強さが増すのだ。
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   覚醒を求めるなら、「勇敢さ」は必須条件である。
   常に勇敢な人こそ偉大である。あらゆる恐れから完全に自由であることは、覚醒の道の第一歩である。この世の偉大な指導者たちによって行なわれたあらゆる偉業の背後には、サンカルパ・シャクティ(決意の力)がある。「私はやる。私はやり遂げる。私にはやり遂げる力がある。」 この決意の力が妨げられることがないならば、人は求めた目標に必ずや到達する。
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内なる良心を生きる
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   私が師と旅をしていた時のことである。
   ある街を通りかかった時、その街の駅長が私に近寄って来て言った、「マスター、私に何か為になる言葉を与えてください。それに忠実に従うと約束します。」 師は私に、「何か与えて上げなさい」と言うので、私は「自分のような愚か者より師が指示してください」と言うと、師は言った。「今日のこの日より、嘘をついてはいけない。3ヶ月間、この法を忠実に守りなさい」と。
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   実はその辺りの鉄道職員のほとんどは誠実ではなく、賄賂を受け取るのが普通のことになっていた。しかし駅長は今日から賄賂に関わることをやめ、二度と嘘をつかないと決心した。そしてその週、政府当局から派遣された監督官が、駅の監査のためにやって来た。駅長は、監査の調査尋問に正直に答えた。そしてこの尋問が駅員らに深刻な問題を引き起こした。駅長は正直に事実を話したために、駅長も含め、賄賂を受け取っていた駅員全員が処罰されることになった。
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   駅長は考えた。
   「マスターの言葉に従ったら、まだ1ヶ月も経たないというのに自分が置かれた状況がこれだ。いったい3ヶ月もすれば何が起きるというのだろう?」 そして彼の妻も子供も家を出て行ってしまった。ほんの1ヶ月で、彼の人生は指1本で崩れるトランプで作った城のように、もろくも崩壊してしまった。
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   駅長が拘置所に入れられる苦難の当日、師と私はそこから50キロ離れたナルマダ川の岸辺にいた。木の下で横になっていた師が、突然笑い出した。師は言った、「何があったかわかるか? 嘘をつかないように指示した男が、今日拘置所に入れられた。私は男を笑っているのではない、愚かなこの世を笑ったのだ。」
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   一緒に拘置所に入れられた12人の駅員は、駅長が真実を話したことを知っていたが、駅長は嘘を言ったのだと彼らは尋問で強く言い張った。そして駅長だけが賄賂を受け取ったことにして、彼に罪をなすりつけた。その結果、駅長だけ拘置所に残されることになり、駅員たちは全員が釈放された。
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   裁判所では、裁判官が駅長を上から見下ろして尋ねた。
   「君の弁護士はどこだね?」 彼は「必要ありません」と言うと、裁判官は、「しかし、私は誰かに君の弁護をさせたい」と言う。しかし彼は「いいえ、弁護人はいりません。私は真実をお話したいのです。私は何年拘置所に拘留されようと、嘘を言うつもりはありません。」
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   「私はかつて賄賂を受け取っており、それを駅員たちと分け合っていたのは事実です。しかし1ヶ月前、ある聖者に出会い、「何があっても決して嘘をつくな」と言われました。私はそれを実行したわけですが、結局、妻と子供は去り、仕事も失い、お金も友人も失い、このざまです。これらのことがひと月の間に起きました。今の私の気持ちは、何があろうとあと2ヶ月までは、真実というものを確かめねばならないと考えています。ですから裁判官、かまわないので、どうか私を拘置所に入れてください。」
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   判事は休廷を申し渡すと、男をそっと自室に呼び出した。
   「君にそれを言った聖者とは誰かね?」 彼は自分の会った聖者のことを説明した。しかし実は幸運なことに、その裁判官は師を知っており、しかも師の弟子であったのだ。裁判官は男を無罪放免にして言った。「君は正しい道にいる、続けてやりなさい。私も君のようにできたらいいのだが」
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   そして3ヶ月が経った。
   元駅長だった男には、もはや何も残っていなかった。ところがまさに3ヶ月が経ったちょうどその日、静かに木の下に座っていた彼は一通の電報を受け取った。それには、「あなたの父親は何十年も前に、政府が国有地とした広大な土地を所有していた。政府当局は、その時の保証金を払う意向である」とあり、政府から100万ルピー(およそ10万ドル 約1000万円)が支払われることになった。男はこれまでよその州の、しかもそのような土地のことなど聞いたこともなく、何も知らなかった。
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   彼は思った。
   「嘘をつかずに今日で3ヶ月完了したが、これほどまでの報いがあった。」 そして彼は妻と子供に慰謝料を払った。すると二人は喜んでこう言った。「あなたの元に戻ります」 男は言った、「私はこれまで3ヶ月間嘘を言わずにいて、その結果何が起こるかをを見てきた。私はこれからの残りの人生も、もし嘘をつかずに行けばどうなるのかを知りたいと思う」
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   真実とは究極の目標であり、思いや言葉、行ないを通じてそれを実践するなら、その目標は果たされる。たとえば「嘘をつかない」ことを実践し、自らの良心に反する行ないをしないことで真実が達成される。つまり良心こそが、我々の最良の導き手なのである。
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     スワミ・ラーマのメッセージ

                  
 

宇宙万物とは一つのエネルギーがそれぞれに変化したもの

  • 2018.10.30 Tuesday
  • 00:02

 

   閉じ込められたエネルギーを解放し、調和と健やかさ、癒しのある環境を作るパイプ役としてあなたが働くためには、「万物に内在する神聖さ」を認識する必要があります。そのためには、「生きて存在するすべてのものの生命が聖なる輪で繋がっている」ことを理解することが重要です。先住民族たちはこのことを知っていました。それは彼らの祈りの最後が、「ミタクエ・オヤシン」(Mitakuye oyasin )で終わることが多いことでも明らかです。
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   この言葉は、「私に繋がるすべてのものたちよ」という意味です。
   「すべて」とは立っているもの木々や植物、座っているもの石や大地、這うもの、泳ぐもの、飛ぶもの、歩くもの、さらに天地に作用するすべてのエネルギーを指しています。すべてが一つにつながっているという意味は、万物である石や鉱物、植物や虫、魚やすべての鳥獣、そして人間は、その一つの同じエネルギーの本質がさまざまなパターンをとって変化し、現れたものだからです。
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   物質、物体とは、振動、波動によって結合された「ある空間」であり、その振動比率によってその物体の形態が決定されます。基本的に物質、物体とはエネルギーそのものであり、そのエネルギーの振動が減速するなかで、固体である物質として形を成したものなのです。
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   たとえば石と人間では非常に異なっているように思われますが、実際には両者の成分を見ると、化学的性質は大きく似ているだけでなく、電子や中性子、陽子など分子レベルでも非常に類似していることがわかります。人体を構成している各要素は地球上の物質でできており、ひと握りの土と人体の要素は同じものです。違いは、ただエネルギーの配置パターンが異なっているだけなのです。
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   またすべての物質である物体や生物は、その違いである物理的形状を表現するための設計図を持っているだけでなく、”マカバ MerKaBa”というエネルギー体ともいうべき光のエネルギー場をもっています。”マカバ”とは、すべての生命体が共有する神聖幾何学に基づいたエネルギーの枠組みのことであり、霊が宿るための設計図を作り、それに基づいてDNAが肉体の形状を創造します。
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   さらに生物はそれぞれが、神聖な光である創造のエネルギー体を持っていますが、霊は物質界に依存しない高次元においても存在が可能なので、死後、肉体を離れてからも存在し続けます。すべての生き物は、高次の力の指導のもとにエネルギーを最高の形で表現しています。それは人間だけでなく、石や植物などあらゆる存在が、源泉とつながるなかで自らの存在を最高に表現しているのです。
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   地球とその物理的外観を形成する山や川、平野や海などにも存在の最高の表現があり、その最たるものが”神聖意識グリッド”と呼ばれているもので、このグリッド(網、覆い)は地球を覆うエネルギーの層であり、これが理想的な地球の在り方を促すものです。先住民族や科学者たちの考えでは、このグリッドは高次の存在によって構築されたものであり、現在進行中の地球の波動の大きな変容、つまり”転換の時代”を迎えている人類の救済を目指しているとされています。
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   建物や土地の浄化を行ない、その場のエネルギーを変容・浄化させるためには、外観ではなく本質的なエネルギーパターンに対して働きかけることが重要です。生命の源泉と結ばれた空間のエネルギーに働きかけると、現実の世界において一定のパターンが生じ、ある形が与えられます。
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   しかし生物、無生物にかかわらず、その場に宿る霊に対しては敬虔な態度とともに臨むことが必要で、そうしたワークそのものの神聖さを認識しなければなりません。なぜなら創造主から生まれたすべての霊は一つだからです。
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   あなたの内なる神の光を用いれば、物体の持つ設計図と神の光が互いに影響し合う姿が見えるようになり、そこではじめてその存在のエネルギーを最高の形に変えることが可能になります。こうしたエネルギーワークは、敬意をもって行なうことが肝心です。
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      つまり、他人という霊的存在を勝手に操作したりするべきではなく、そうした場所や石、植物や動物などのエネルギーと交わる時にも、充分な配慮を心がけるべきだからです。そしてエネルギーを用いたり変容させたりするためには、そこにある存在の美しさと力を認識し、次に謙虚さと敬意を込めた態度で、変容を促すことの許しを求めなければなりません。
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   こうしたやり方はアメリカ先住民族をはじめ、世界中の多くの先住民族文化に共通したものです。つまり目標とすることはあなたが、”中空の葦(あし)”とも言うべき「創造主の力」が通る「パイプ」になることなのです。こうしたことは今日、地球の波動エネルギーが大きく変動する”転換の時代”の只中にあって、特に重要なことでもあります。
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   先住民族マヤ、ホピ、アステカ族の考える時間と宇宙の概念によると、人類にはこれまで4つの世界と太陽があったと言われています。そして今私たちは、第5番目の世界に入ったのです。それは暦の基となるエジプトの大ピラミッドや、時の循環を説くヒンズー教のユガなどによっても伝えられている通りです。
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   古代からの霊的伝承を受け継ぐ神秘家や予言者たちによると、現在の地球上に存在している人間の目的は、創造主とともに変容を創造するという「自らの責任に気づく」ことにあると言っています。つまり自らの限界のある個人の力と叡智を自覚し、創造主とともに善を行なおうということです。今、私たちは個人として、さらには人類という集団としても、力を合わせてこの務めを果たすように求められているのです。
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   そして実際にある人々は、先住民族が言っているように、生命の”聖なる輪”にますます波動を合わせるようにと駆り立てられてられており、また自分と他人、そして地球は一つであることを理解し、すべての存在に本来の恩恵が等しくもたらされていた時代への帰還、つまり「故郷への帰郷」を思い巡らせています。
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   そしてその目的を達成するために重要なことが、神聖なグリッドと切り離されてしまった場所や土地を、神性意識グリッドと再び繋ぎ直すためのエネルギーワークなのです。このワークを行なうことによって、エネルギーはさらに大きな力を生み出すことができ、さらに高次のエネルギー形体を創り出す可能性が生まれるのです。
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 アメリカインディアン
                 ジム・ユーイングのメッセージ

   

   
 

明日の展開や運命は、今の自分の態度によって決まる

  • 2018.10.29 Monday
  • 00:01

 


   誰の人生にも、道しるべが用意されています。
   もしも霧(心の迷い)によって、それがぼやけてよく見えなくなった時は、いったん足を止めることです。それはただの霧なので、そのうちに晴れ間が出て、またたどるべき道が見えてくるでしょう。雲や霧にさえぎられている時でも、その遥か上方には太陽が輝いているのです。
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   明日のことを思い煩ってはいけません。
   大切なのは今日だけです。今日、あなたの為すべきことに能力の限りを尽くしてください。それが最善を尽くすということです。
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   困難(タフ)な仕事は頑健(タフ)な人間にあてがわれるものです。

   タフな人間にやさしい仕事を与えるのは無駄というものです。厳しい使命が与えられるということは、その人が霊的に有能であることの指標です。無知と迷信との戦いに挑む将軍は、厳しい訓練によって鍛えられていなければなりません。そうでなければその任に耐えることができません。ですから矛盾しているように思えても、仕事が困難であればあるほど、それだけ成就されるものも大きいということになります。
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   霊的な知識を得ている者にとって大切なことは、二度とこの世的な悩み事のために、塞(ふさ)ぎ込むようなことがあってはならないことです。悩み事は影に過ぎず、実在ではありません。ですが霊は実在です。霊とは内部の神のことであり、それがあなたに生命を与えているのです。
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   地上での生活は、1日1日が挑戦するべき課題そのものであり、どのような問題であれ、自ら克服すべきものとして受け入れることです。内なる霊性を発揮することができれば、前進を阻むものは何もありません。
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   いつも明るく、楽天的で、愉快な気分を忘れないようにしてください。
   うなだれていてはいけません。あなたと共にある守護霊や背後霊にとって、最も助けるために働きかけやすい雰囲気は、陰鬱さや、落胆したり、絶望感の中にない状態です。そうした陰湿な感情はあなたのオーラを包み込んでしまうので、守護霊の導きが最も届きにくくなり、厄介な障害となります。
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   褒章も罰もあなたが自分でつくり出しているのです。
   つまり、あなたの送り出す思考、感情、言動のすべては、やがて結果を携えてあなたの所へ戻って来ることから、善い悪いに関わりなく、その結果が自分で自分を罰することになり、あるいは自分で自分に褒美を与えるのです。それがいわゆる因果応報、因果律であり、種蒔きと刈り取りの原理です。その働きは絶対です。
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   種子が暗い土中に植え込まれるのは、生命活動を開始するための養分を摂取するためです。そして人間の魂も同じです。それは(肉体の)死後に始まる生命活動に備えて物質的体験という魂の養分を摂取するために、この地上という物質世界へ送られて来るのです。
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   人生で体験するすべてのことが、それぞれに大きな生命構造の一部としての意義を持っています。その中にはおよそ歓迎したくない体験があり、悲しいことや辛いこと、嘆きや苦悩、痛みなど、魂にとってはかけがえのない価値を持っています。その有り難さは、地上にいる間は実感することができません。
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   地上での人生の明確な全体像と価値が理解できるようになるのは、肉体を離れて執着から解放され、部分に捉われずに全体を眺めることができるようになった時です。その時、逆境の中にあってこそ人間性が鍛えられ、悲哀の中にあってこそ魂が強化されていることが分かります。
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   今日1日、この1時間、今という1分1秒を大切に生きることです。
   明日のことを思い煩うことなく、今という瞬間に最善を尽くしてください。人のために何かしようと思う時、それが当を得たものであれば、それに必要な手段が必ず用意されます。無視されることは決してありません。何もかも自分で用意しなければならないわけではなく、何かが生じた時は必ず、宇宙から援助の手が差し伸べられるのです。
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   危機に立ち至った時は、それまでの過去を振り返って、お先真っ暗の絶体絶命の時に道が開かれてきたことを思い出してください。そこに守護霊の働きがあったのです。ですからそれは今後も、あなたを見捨てることはありません。
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   この宇宙で起きるすべてのことが、全宇宙に知られるようになっています。
   なぜなら、すべてをあまねく知らせるために、高次元の存在による一大宇宙組織があるからです。その中には、1度も地球のような物質界へ転生したことのない存在たちもいます。そしてすべての霊である存在たちが、根源エネルギーの計画の直接の実行者です。
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   そこには総合的な基本計画というものがきちんと出来上がっており、その中にはあらゆるすべての存在、すべての人間に対する配慮がなされています。つまり私が、すべてのことは良いように計らわれているので安心なさいと言うのは、そこに根拠があるのです。
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   私たちが伝えようとしている人生の秘訣は、今を大切に生きるということです。明日のことを思い煩ってはいけません。あなたには霊的知識があります。それを人生の基盤とし、その知識が生み出す自信とともに生き、決して悲観的になってはいけません。
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   明日という1日を、素敵な冒険と可能性をもたらしてくれるものとして、力強く迎えてください。人生は陽気さと快活さに満ちたものでなくてはいけません。心配の念を吹き飛ばし、蹴散らしてください。心配とは無知と迷信の産物でしかありません。あなたは光栄にも、素晴らしい知識の中で生きられる条件を手にしているのです。
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   笑顔のあるところに神のエネルギーの働きがあります。
   悩みの中にあっても笑いを失ってはいけません。そして、それができるようになると何事も必ず解決します。このことは私がずっと繰り返しお伝えしてきたことですが、俗世のことに悩まされて笑顔を忘れるようでは、まだまだ真理を悟ったとは言えません。
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   心配からは何1つ良いものは生まれません。
   心配と恐れは、あなたにとって味方ではなく敵なのです。不屈の心、冷静さ、自信、決意などこうした資質は、悟りを開いた魂から生まれるものです。あなたはこれまで立派に導かれて来たのです。ですからこれからも間違いなく導きがあります。
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   もし疑念が生じた時は、いったん思い悩む心の働きを止めて、内的静寂の世界へ引っ込み、内なる霊的導きの現れを待つことです。取り越し苦労はあなたにとって最悪の敵であり、精神を蝕(むしば)んでしまいます。それは上から与えられるはずの援助の通路をふさいでしまいます。
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   やってしまったことを悔やむのは間違いです。
   過去のページはすでに閉じられたのであり、もう2度と開くことはありません。そして大切なのは今日であり、今です。明日の運命、展開は、今というこの時点で、あなたがとる態度によって決まるのです。
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   あなたが1人ぼっちでいることは決してありません。、
   あなたがたった1人で悪戦苦闘させられることはないのです。たとえ目に見えず、耳に聞こえず、肌に感じられずとも、あなたを援助する守護霊が、宇宙があなたを包んでいます。
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シルバー・バーチのメッセージ

動物たちも神のエネルギーから生まれた魂を持つ霊的存在

  • 2018.10.28 Sunday
  • 00:05


   霊媒師、霊能者というのは、大抵の議論では意見が一致しますが、その一方でこれだけは譲れない領域というのがあるようです。たとえば「動物たちの死後はどうなるのか」という問題をめぐり、私は実にさまざまな意見を耳にしてきました。伝統的なタイプの霊媒師の中には、「動物は人間とは違うのだから、人間とは異なる動物のための霊界へ行く。だから当然人間とは別の死後の生を送ることになる」と主張する人たちがいます。
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   ですが私はまったく、こうした意見には賛同できません。
   確かに動物たちの死後の世界はありますが、それはあくまでも、生前に人間との係わりのなかった動物たちのためのものです。それがたとえば、アフリカのジャングルに暮らし、草原に住んでいた野生動物たちが向かう世界です。一方、人間と暮らしていた動物たちは、人間と同じ死後の世界へ向かいます。
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   私がそう信じるのにはいくつかの理由があります。
   まず第一に、そのように考えるほうが、感情と理屈の両面で納得できます。つまり野生動物は人間と暮らすペットと違い、私たち人間との間に魂のレベルでの交流がありませんが、犬や猫、馬、ハムスター、インコなどのペットたちは人間にとって家族同様の存在となり得ます。飼い主は彼らに大きな愛情を注ぎ、世話し、心を傾けて守ります。そして彼らは亡くなった後、人間の霊的エネルギーを身近に感じられる世界へ向かうのです。
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動物たちも人間と同じ霊的な存在
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   第二に、私は自分の目でその証拠をいくつも見て来たことにあります。
   この章では私が見た中でも、特に印象に残るものを幾つかお話することにしましょう。
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   私の友達のトレイシーは私と同じ猫派の人で、中でも特にスティーブという名の雄猫を深く愛していました。スティーヴの約16年の生涯は波乱万丈で、ある時、口の中に腫瘍が見つかり、下あごの一部を切除してからは、歪んだ口の端から舌先が常に見えるようになりました。またある時は、エアガンの事故に巻き込まれて、骨盤と後ろ足を粉砕骨折する重傷を負ったこともあります。
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   その後、手術で金属プレートとボルトを挿入して何とか歩けるまでに回復しましたが、不自然な歩き方しかできなくなりました。それでもスティーブは元気で、そんなことはいっこうに気にしません。トレイシーも変わりなくスティーブを愛し、彼は獣医をはじめ、多くの人々に愛されました。
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   そんな愛すべきスティーブが衰弱し始め、トレイシーが彼を動物病院へ連れて行こうと病院へ向かう車中の後部座席で、彼女の腕の中で息を引き取りました。
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   その後、トレイシーが泣き暮らしていると、不思議なことが起きました。
   ある晩、ベッドに横になっていると、よく知っている感覚があったのです。それはスティーブがベッドに上がり、自分のそばで眠るために布団の上を歩いてくる感覚でした。でも辺りを見回しても、何もいません。
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   また別の夜、トレイシーは先日のように何かがベッドの上を歩いているのを感じました。しかも今回は、「ドサッ」と重みがかかって、まるでスティーブが羽根布団の上に乗っかったようにリアルでした。その瞬間、トレイシーは気づいたのです。「私は今もこれからも1人ぼっちなんかじゃない」。その思いが支えとなって、それからの数週間、数ヶ月をしのぐことができました。
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人間と動物たちの愛の絆は死後も継続する
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    ペットとの絆は、多くの場合私たちが生涯で育む最強の絆ともなり得るものです。私の91歳で亡くなった祖母にとって、一番の友達は愛犬のベラでした。祖母は祖父を嫌っていたこともあり、黒白のボーダー・コリーにありったけの愛情を注ぎ、まるで人間を相手にするようにいつも話しかけていました。祖母とベラの間には、50年も連れ添った夫婦のような絆があり、ベラが亡くなった後、その後を追うように1ヵ月後に祖母も亡くなりました。
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   私には、祖母があの世でベラと再会するという確信がありました。
   その確信はほどなく証明されることになりました。ある夜の勉強会で、私が何人かの生徒たちと霊視を行なっていた時のことです。そのうちの1人の女性が、「ここに誰かの祖母が来ている」と言うのです。この勉強会での私の役割は、生徒たちが自分の感じていることを正確かつ詳細に、しかも独力で説明できるように訓練することです。だからその時も黙って、生徒の話に耳を傾けていました。
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   すると生徒の口から、今度は「ベラ」という名前が出てきました。
   「このおばあさんは犬と一緒にいます。その犬を『ベラ』と呼んでいますが、もしかして先生に何か心当たりはありませんか?」 私は「ええ、あるわ。やっぱり私の祖母だったのね」と言うと、その生徒が続けて言うには、祖母と犬のベラはあの世ですぐに再会を果たしたということでした。さらには祖母があちらで再会したという家族の名前を次々に挙げていきます。その中には私の知らない名前もありました。
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   私には完全に納得のいく話でした。
   祖母と祖父は、祖父が亡くなるまでの何年間かは別居していたので、祖母にとってベラは誰よりも重要な存在だったからです。だから祖母がその大切なベラと、あの世で再会を果たしたとしても少しも不思議ではありません。
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魂である動物たちは人間の愛に応える
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   「霊界交信で遭遇した不思議な出来事は何ですか?」とよく聞かれるのですが、「不思議」という意味をどうとらえるかによります。変わった経験という意味であれば、イングランド南部ブライトンでの公開霊視での光景があります。
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   その会場になったのは、小さな路地の一角にある小さな教会でした。そこは50人も入れば一杯になってしまうくらいの広さですから、当日は大入満員でした。しかもその大半がその教会の信者でした。ですが私はいかなる宗教の信者でもありません。
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   なので私がいつものように、気軽な調子で公開霊視を始めた時も、参加者である信者の皆さんが、私を少し警戒している様子がわかりました。ですからおそらく、こういうものを見るのは初めてだったことでしょう。(キリスト教では一般的に霊能力者やチャネリングというものを悪魔の技として認めていない。それが理由で西欧の中世の時代にはキリスト教会によって、多くの超能力者や女性が魔女として虐殺・焚刑にされた歴史がある)
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   しばらくすると、会場の人々は互いに顔見知り同士ということもあり、霊媒師でありながら笑いをとる私のやり方に慣れてきたようで、笑い声が上がるようになりました。ですが霊視を初めると、なぜか動物のイメージばかりが浮かんで来ます。そして亡くなった猫の霊たちが、次々とコンタクトをとってきました。
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   そのことを皆に話すと、教会の伝統的な教えを大切にしている信者さんたちは、ちょっとついて来れないようでした。ですから公開霊視の終盤に私が披露した霊界からのメッセージには、より一層驚かれたようです。(キリスト教では動物には魂がないと教えている)
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   そのとき私が気になっていたのは、会場前方に座っている高齢の女性でした。
   そこでその女性に話しかけ始めると、とたんに何かが私のいるステージの周りをチョロチョロと走り始めたのです。自分の足元を見ると、なんとハムスターがいたのです。私は「あら、ハムスターが見えるのですがどうしたのでしょうか。どういう意味かお分かりですか?」とその女性に言うと、「ええ、わかります」と答えます。
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   しかし、私の回りには他の霊たちも現れ始めていたので、ハムスターのことは置いておくことにして、次のメッセージに集中しようとしましたが、当のハムスターはそれに納得しなかったようです。そのとき、教会内部の右手の方に、何と信じられないことに巨大なハムスターが現れたのです。体長は2メートル近くあり、丸々とした顔と鼻先の大きな斑点が目だっています。それは私に「こっちを見て!」と言わんばかりで、どうしても私に注目して欲しかったようです。
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   そのハムスターは「腹ペコだ」と言いたげでした。
   私はおかしくてたまらず、笑いをこらえていましたが、しかしハムスターがとても重大なメッセージを伝えたがっていることがわかりました。そこで先ほどの高齢の女性に向き直ると、空腹のハムスターに心当たりがあるかどうか尋ねました。すると彼女はうなずいたのです。
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動物たちも永遠に生きる霊的存在
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   次に私が見たのは、泣いている小さな男の子のイメージでした。
   そのことも話すと、女性はうなずきます。実は巨大化した姿を見せているハムスターは、彼女の孫息子にコンタクトしたがっていたのです。そのハムスターは男の子の大事なペットで、つい1週間前に死んだばかりだったのです。しかも少年はハムスターの死にショックを受けて、自分を責め続けていたのです。両親も息子が餌をやり忘れていたことにうすうす気づいていました。
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   ハムスターの霊は、少年の親たちが感じていることは正しいと、私に教えてくれました。ですがハムスターが本当に伝えたいことは、もっと前向きなことでした。確かに少年にちゃんと世話してもらえなかったために死んでしまったのは事実ですが、ハムスターは今は肉体を離れ、本来の姿である霊でいる今は、無事で元気にしているということを少年に伝えて欲しかったのです。少年とその家族が罪の意識を感じて、自分たちを責める必要はないと伝えたかったのです。

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   私の説明を聞いていた高齢の女性は、ニッコリ笑うと、孫にそう伝えることを約束しました。巨大ハムスターは、自分の思いが伝えられたことを見届けると、満足したように私の視界から消えていきました。それにしても何と不思議な霊界交信だったでしょう。これは私にとって忘れられない出来事でした。
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 トレイシー・J・ヒッグズのメッセージ  

                          


 

魂は新しく始まる人生のすべてを決めて転生する

  • 2018.10.27 Saturday
  • 00:02

 

   胎児の肉体を構成する原子には固有の意識があります。
   それはうつろいやすく、気づきを伴った意識であり、原子は物質に依存することなく存在し、自己の能力とその程度に応じて物質という肉体を形作ります。したがって胎児の肉体は独自の意識を有していることになります。それは全体を形成する一部分としての単純な意識であり、それを構成する原子によって成り立っています。
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肉体は独自の意識を持っている
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   つまり、こうした胎児の肉体が持つ意識は、そこへ転生して来る人格的存在(魂)がそこへ宿る前から存在しているのです。つまり物質を形作る意識は、胎児だけでなく岩石や植物、水や空気、そびえ立つ木々のこずえの葉っぱ一枚にさえ、すべてのものに本来的に存在しているのです。

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   転生する霊的存在は、自らの好みや願望やその性質に従って、それに伴ういくばくかの保護を携えて新しい胎児の肉体に入ります。そのプロセスには個人差があり、他の過去世での体験にも左右されますが、その影響は本人の感情的性質によるものが大きいようです。そうした性質は必ずしも直前の転生のものとは限らず、過去世における経験から来る感情的緊張のようです。

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   胎児の体内に入る際に用いられる方法はさまざまです。
   子どもとして誕生する人格的存在と、親になる人格的存在が強い絆で結ばれている場合には、子どものほうが受胎の時点ですぐに胎児の肉体に入る場合もあります。しかしこうした場合でさえも、その意識のほとんどの部分は、未だ「中間生」(霊界)の次元に留まっています。しかしやがて、中間生に合わせた意識を保つことが難しくなってきます。

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   中間生(霊界)からの人格的存在が、受胎と同時に胎児に宿る場合というのは、まず例外なく、その親と子どものあいだに過去世からの繋がりがあるか、あるいは胎児の宿る人格的存在に、非常に強い執念にも似た地上の生活への願望がある場合のいずれかです。つまり後者の場合には、その人格的存在に特定の目的がある場合と、未だに地上での生に対する執着が強い場合があるのです。

   これは必ずしも有害というわけではありません。
   その願望の強さのゆえに、その人格的存在の意識は地球世界を指向しているということと、そのゆえに物質的体験に十分専念できるはずであり、また地球における環境が自分の能力を発達させるために、十分豊かな次元であるということを実感できるからです。

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   受胎の時点で胎児の肉体の中に入る人格的存在のなかには、その動機にかなりその価値を認めにくい場合があります。たとえばその動機が欲望であったり、生前に解決できなかった問題に関する執着からくる願望などが挙げられます。またかつて地上世界に存在しながら、集中して一意専心して生きなかった人の場合、胎児の体内に完全に入りきる時期を遅らせたり、胎児の肉体から常に距離を置いて存在していることもあります。

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   それはあなた方の、人生のもう一つの先端である「死」を迎える時においても同じことが言えます。つまり物質的な生命に向けられていた意識の焦点を外してしまった結果、肉体の意識だけを置き去りにして逝く人もいれば、最後の瞬間まで肉体に留まる人もいます。このように誕生後の幼児期の初期においては、人格存在の意識の焦点は常に肉体に固定されているわけではありません。
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魂は新しく始まる人生のすべてを決めて転生する
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   いずれの場合においても、決定は前もって下されています。
   つまり転生する人格的存在には、自分が「待っている受胎」がいつ起きるかがわかっています。瞬時にその胎児の肉体に入るかどうかは別にしても、人格的存在(魂)には受胎の瞬間や受胎が起きるある場所の肉体に、否応なく引き寄せられていきます。

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   そして人格的存在である魂は、受胎するよりもかなり前から、将来自分の親になる人々の環境に、引き寄せられるように時おり訪れる場合があります。こうした見地から見た場合、未来からの幽霊のようであっても、あなた方の家に彼らが出現する時には、過去からの幽霊と同じくそれはリアルな存在なのです。
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   胎児の肉体は、何かによって満たされるのを待っている空虚な抜け殻などではありません。特に受胎して後は、新たにやって来た人格的魂がそこを出たり入ったりしながら辺りを浮遊し、出入りはますます頻繁になります。誕生の衝撃は本人にいくつかの影響をもたらし、物質界へと一気に押し出すことになります。誕生以前の状況はかなり一定していますが、誕生に際し、そのすべてが突然終わりを告げ、胎児の肉体意識が新たな刺激的状況を迎えます。
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   誕生以前の胎児の肉体意識と母体との間には、生物的テレパシーによる深遠な一体性があり、胎児はそれによって豊かに育まれ支えられています。生きた細胞の間の意思伝達は、あなた方が想像する以上にはるかに奥深いものです。胎児の肉体意識「だけ」を考慮に入れた場合、誕生前の母体との一体性はほぼ完璧と言えます。
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   新しい意識として胎児の肉体に入った人格的存在は、安定性を得るまでしばらくの時間を要します。たとえば幼い子どもが眠っている時、魂はいとも簡単に、しかも頻繁に肉体から出て行きます。なかには肉体との一体化が、他者と比べて完璧に行なえる人がいます。それが物質的現実に対する集中度のことで、そうした期間が1週間という場合もあれば30年という場合もあります。意識の集中度は、最高の時期を過ぎると次第に弱まっていき、自覚がないまま意識の別のレベルへの移行が始まります。
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   人格的霊的存在と肉体との結びつきは、少しずつ強靭さを増していきます。
   なかにはある独自の理由から、あまり見た目が好くないと言えるような肉体を選ぶ場合もあります。その魂はそうしたことから、自分の肉体によく馴染むことはないかもしれませんが、それもまた自分が選択した目的を肉体はきちんと果たしているのです。ですが肉体とそれをまとう魂との間には、常に距離感がつきまとうことでしょう。
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   すでに述べましたが、受胎の時点で肉体に入る人というのは、ほとんどの場合、物質的存在になることを強く望んでいます。ですからそうした人は他の人よりも発育がよく、個性も極めて早いうちからはっきりと現われます。そして新しい肉体をよく把握し、早期にその性質を形作ってしまうのです。

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         彼らは物の掌握にも積極的で、肉体内にしっかり留まり、最期においても瞬時に逝ける事故死や、眠ったままの逝去、あるいは病死にしても、一瞬のうちに去る形を選ぶようです。一般的に彼らは物質の扱いに長(た)けているのです。
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   そうした人々は感情的でもあります。
   彼らが自らの問題に取り組むやり方は直接的であり、時に性急であり、理解しやすいものです。彼らは地上でもたらされる素材を利用して、自らの考えを上手く物質的な事柄へと変換させていきます。彼らは考案者であり、ものを創りだす人であり、それを望む形に変えていくことに従事しています。
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   そして一方で、「原則として」、誕生の瞬間まで胎児の肉体に入らない人の場合は、前者の特殊なケースから見た場合、物質という物の扱いにそれほど長(た)けているわけではありません。もしも次のような表現を用いることが許されるならば、そうした人は平凡、あるいは標準的であると言えるでしょう。
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   さて、自ら選択した新しい肉体との在り方であるにもかかわらず、その在り方を出来る限り長く拒否し続ける人もいます。そうであっても誕生の瞬間にはある程度その場に居なければならないわけですが、誕生の瞬間であっても新生児との完全な一体化を免れることも可能なのです。そうした人は、なかばしぶしぶ新しい形態に入ったわけなので、またそこから出て周囲に浮かんでいたりします。
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   そういう態度には多くの理由が考えられます。
   人格的存在たちの中には、肉体に閉じ込められるよりは中間生にあるあり方の方を特に好んでいたり、物質的肉体を通して理論的問題を解決する必要を感じていなかったりします。また物質的肉体というものが、思っていたよりも必要に応えてくれないことや、別の他の現実的存在の在り方の方が、効率的に進化できるということに気づいてしまう場合もあります。
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   自分の性質が原因でありながら、自分と物質的肉体存在との間に一定の距離を起きたがる人もいます。そうした人は、やたらに象徴的なことに関心があったり、地上の生活を極めて経験主義的なものだけと見なし、その結果、地上での生活をいわば偏見に近い考え方とともに取り組むことになります。彼らは物を扱うことにはそれほど興味がなく、むしろ観念や思想が物質を通してどのように現われるかに関心があるのです。
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   一般的にそうした人は、常に哲学や思想という、実体のないものにより精通していきます。いく分同じような資質を持っている詩人や芸術家の人々は、この物質的地上に生きる存在として、その物質的価値を彼らよりはより深く理解しています。
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   このように自らの肉体に対する態度や感じ方は、それぞれであることがわかります。ゆえに転生における身体的特徴もさまざまな選択肢があり、全体的自己における総合的な好みの特性があります。ですからたくさんの転生を通して生きて来たさまざまな人生にも、それぞれの特色があるのです。
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   人格的存在である魂が、どのように物質的肉体を去るかを論じることなく、誕生に際し、いつそこに入るかを論じることはできません。なぜならこうしたすべてのことは、その人格の持つ特質や物質的現実に対する態度と大きく関わっているからです。
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   未来の転生についての決断は、中間生(霊界)においてだけでなく、すでにいずれかの転生における夢見の状況においても行なわれている可能性があります。ですからたとえばあなたにしても、次回の転生における自分の状況をすでに決定している可能性があるのです。

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   そして次回のあなたの両親になるはずの人は、今のあなたから見ればまだほんの子どもであるかもしれず、あるいは今の時間的概念からすれば、まだ生まれて来ていないかもしれません。しかしそれでも、そうした取り決めをすることは出来るのです。
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 セスのメッセージ

自らが今の自分を創り上げ、その責任を負う

  • 2018.10.26 Friday
  • 00:00

 


     自分自身が実は何者なのかについてのあなた方1人1人の理解は、まさにこれまでの数千年を経て生きて来た「幻の堆積物」そのものである。あなたは単なる肉体的人間以上の存在であり、限られた存在でしかない人間という生き物よりも、はかり知れなく偉大だ。あなたは神から生まれた神そのものであり、常にそうであったし、これからもそれは変わらない。あなたはこの地球において限りなく転生を繰り返しながら生き、自分から奪われるのを許してしまった「ある壮大な真理」を、今再び学ぼうとしている偉大な存在である。

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   あなたはこの地上に、何千回となく生きるためにやって来た。
   それはまるで気まぐれな風のように、戻って来てはまた去って行った。あなたはこれまであらゆる顔や肌の色を生き、主義主張やあらゆる宗教を体験して来た。戦いを挑まれ、また挑み、ある時は王で、またある時は召使だった。水兵になり、船長にもなった。征服者にも、征服されるものにもなった。栄華を極め、また貧窮に喘いだ。あなたは自分の歴史の理解の中にあるすべてのものに、生まれ変わって生きた経験がある。

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   それはなぜか?
   それは感じるためであり、知恵を得るため、そしてあなた自身という最も偉大なる神秘を解き明かすためだ。あなたは自分がどこからやって来たと思うだろうか? 単に一つの細胞から進化した細胞の集合体なのか? だがあなたの目の奥からじっと見つめているのは誰なのか? あなたは膨大な時間の中で、繰り返し繰り返し戻って生きることを通じて、今の自分であるすべてになった。

   自分を創造したのは両親だと考えるだろうか?
   遺伝という意味ではそうだが、さらに大きな意味での真理では、彼らもまたあなたの同胞なのだ。そしてあなたの本質において、あなたは彼らと変わらないほど年齢と経験を重ねた存在なのだ。なぜならすべての存在は、同じ瞬間に創造されたからだ。だからあなたの本質にとって真の親とは神のことであり、これがすべての生命の父母の原理である神なのだ。

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   あなたは、自分とは自分の身体のことだと考えているだろうか?
   それは違う。あなたの身体とは、あなたの真の姿である眼には見えない本質を、表に見せるために覆ったマントに過ぎない。その真の姿とは、あなたという本質の内にある人格=自己という、感情や価値観、思考する意識のことである。

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   たとえばあなたは誰かを愛する時、その人間の何を愛するのだろうか? 
   その人の身体か? 違う。あなたが愛するのは、その人の本質的部分であって眼の奥にある見えない人格=自己なのだ。あなたが愛するのは、身体を機能させている見えない本質であり、眼を輝かせ、声の調べ、手に温かい感触を持たせている本質の部分なのだ。

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   あなたとは、思考や感情、価値観という意識であり、それが一つの独立した人格=自己として表現されているものだ。虚飾なしの自分がどういうものか、あなたは知っているだろうか? あらゆる見かけを取り去った自分とは? 弱さを隠すために必要だった鎧(よろい)のなくなった自分とは? つまり、存在の奥深くにある核の部分では、あなたはまさに神そのものなのだ。人類最大の神秘である神は、今もそしてこれまでも、あなたの内面以外のところに在ったことはない。

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   あなたの本当の姿は、身体の大きさではない。
   それは実は、ほんの小さな光の点である! その小さな光の中にあなたが愛する親である神から生まれて以来、あなたが経験して学び身に付けたすべてが収められている。つまり、神のエネルギーという本質であるあなたは、肉体の存在ではない。それは光の本質ともいうべき、丸い形の燃え上がるような純粋なエネルギーであって、創造的な人生の宝ともいうべき「感情」を体験するために、今あなたは身体の中に生きている。それが真のあなたの姿だ。

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   あなたの本質とは、あなたが”感じる”ことである。
   あなたが知ることができるのはひとえに”感情を通して”であり、身体を通じてではない。あなたの魂は、これまであなたが内に抱いた思考をすべて”感情という形”で記録し、蓄積している。この魂の内部に蓄積された独自の感情があるゆえに、あなたは固有の自我やアイデンティティ、つまり人格=自己を持っている。

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   あなたが今宿っている身体は、その魂を運ぶ単なる乗り物であり、この物質的次元に生きて遊ぶことを可能にするために選択された、一つの洗練された手段に過ぎない。だが、そうした単なる手段でしかないという事実にもかかわらず、あなたは自分の本質は自分の身体だという幻影にどっぷりと浸りながら、限りなく転生を繰り返して来た。

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自分の人生を創っているのは自分だという責任を負う

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   あなたは自分の人生をつくって来たのは誰だと思うだろうか?
   自分以外の何らかの崇高な知性? あるいは何らかの逃れようのない力があなたの人生を支配して来たのだろうか? それは真実ではない。あなたがこれまでしてきたこと、今のあなたの人格、そしてあなたが体験してきたことのすべては、あなた自身に原因があり責任がある。

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   神から生まれたあなたには無数の雄大な星を創造する力があり、そのあなたが、自分の人生のあらゆる瞬間とあらゆる状況を創造して来た。ゆえにどのような人間であるかも自分で選択して来ている。自分がどのような容姿で生きるかも決めて来た。今回の人生で、あなたはどのような生活をするかも自分で設計し、すべてを自分で決めた。これこそが神から生まれた人に与えられた課題であり、特権、自由意志でもある。

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   あなたは自分の思考・感情を通して、自分の人生をつくっている。
   つまり、どのように考えるかによって、何かを感じ、感情を生み出す。そして自分が感じるすべてのことは外界へ投影されて表出し、それが自分の人生の状況を作り出していく。考えてみてほしいのだが、幸せを想像するのにほんの一瞬しかかからないが、あなたの身体は全体で喜びを感じる。また誰からも見捨てられたようなみじめな人間を心の中で演じるのも、ほんの一瞬でできて、すぐに悲しみと自分への憐れみの感情を感じるだろう。

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   それらのすべては心のスクリーンで、ほんの一瞬のうちに行なわれる。
   そうした感情を自分の内面で作り出して空想している時、あなたの周りではそれにより、何か変わったことがあるだろうか? おそらく何も変わってはいないだろう。だがそうではない! その感情を生み出したあなた自身のほうは、実はすべてが変わってしまっている!

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   あなたはあなたが考える通りの、まったくそのままの存在である。
   つまり、あなたが考えることはすべて、あなたの人生ではそのままそうなる。セックスを空想すればあなたは誘惑を体験するだろうし、みじめな状態を思いめぐらせば、そうなる。不幸を想定すれば、いずれそれがあなたのところにやって来る。喜びを想定すればそれがやって来るし、ある才能を思えば、それはすでにそこにある。

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   では未来はどのように創造されるのだろうか?
   それも思考を通してである。あなたの明日は、今日あなたがどのような思考を抱くかによって設計されている。それは感情面においてどのような目的であろうと、あなたが抱く思考や想像、空想のすべては、あなたの身体の内部に”ある気持ち”を生じさせ、それが魂の内部にすべて記録される。その気持ちが、今という瞬間から始まるさまざまな状況の方向付けを決める。

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   その気持ちが、魂に記録されたのと同じ感情を生み出す状況、つまりそれがよくマッチする状況へとあなたを引き付けていく。それだけではなく、あなたが口にするすべての言葉もそうであり、それらはすべてあなたの将来を創造する。なぜなら言葉とは音であり、それは思考によって生命を与えられた、魂の内にある感情を表現した音であるからだ。

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   あなたは、自分の身に起きることのすべては、単なる偶然と考えているだろうか? それは真実ではなく、この世界には不運な事故や偶然というものはない。また他の人間の意志や策謀によって、犠牲になったというような人間も1人もいない。なぜならあなたに起きることのすべてはあなたが自ら決めて来たことであり、あなたが考え、感じたことがあなたの人生にもたらされているからだ。

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   ところであなたは、なぜ自分が”ある仮定やある空想”をするのか知っているだろうか? それは「もしこうなれば」という仮定、あるいは恐れという意識からの空想、そして何らかの事態はこうなるなど、誰か、あるいはテレビで他の人間が言うのを、あなたが真実として受け入れてしまったものなのだ。

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   あらゆるものは、思考と感情が生み出す決められた現象として実現する。そしてすべてのものがそうなのだ! ゆえにあなたがこれまで考えたこと、空想し想像したこと、あるいは話したことのすべては、すでに起きてしまったか、あるいはこれから起きるべく待機している。

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   いったい、どのようにしてすべてが創造されると思うだろうか。
   それは思考という思い込みや信念を通してつくり出される。思考こそが真に生命を与える者であり、決して死ぬこともなく、破壊できないものである。あなた方の世界のさまざまな時代を通して、多くの存在がこの真実を人々に伝えようとしてきた。謎かけを通して、ある時は歌、そして書物を通して。だがほとんどの人間は、このことに気づくことを拒んできた。

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   それは自分の人生が、誰かから仕組まれ与えられた運命であると信じるほうが、自分ですべてを決めているという事実よりも、責任という重荷を負わずに済むためであった。つまり、すべての責任が自分の肩にかかることを、誰も望まなかったからである。よってあなた方にとって自分の不幸の責任を負うべきは常に社会であったり、親であったり、誰か他人であったり、神であった。

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   今のこの瞬間、今のあなたは自分が選んだそのままの姿であり、それを阻むものなど何もない。あなたは自分においてすべてに法則を与える者であり、自分の人生とそこにあるすべての状況を創造する者である。あなたはまさに、すべてを超える知恵を持った知性でありながら、このことに気づくことなく、これまでの多くの転生における生涯を生きて来たのである。
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 ラムサのメッセージ

   
 

自分を弁護せず、ありのままの自分でいる時

  • 2018.10.25 Thursday
  • 00:02


  
   自分の信念や思想や自分自身を弁護しなければいけないと思っている時、人生は難しくなります。あなたが弁護しなければならないと思っていることのほとんどは、いずれにせよ、あなたの信条や考えではないということです。
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   自分が確信していることに他人が賛成しない時に、あなたが腹を立てたり、傷ついたりすることはめったにありません。つまり、確信がなかったり、不安に思っている領域にこそ、最も弁護しなければいけないと感じることが多いのです。今度自分に関して、何か弁護しなければいけないと感じたら、どうして弁護しなければいけないと思っているのかを、自分に聞いてみてください。
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   そして、弁護の代わりに、あなたのハートと知恵から人々に微笑んで、彼らを受け入れてください。何か言わなくてはいけないと思わないでください。ただありのままの自分でいて、何かの答えがわからない時には、ただ「わかりません」と言えばよいのです。常に完璧でいようなどとは思わないことです。
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   愛されるためには、答えを全部知らなければいけないとか、怖れたり、弱々しく見えてはいけないなんて思う必要はありません。なぜなら、開けっ放しで傷つきやすい状態に喜んで自分を置く人にこそ、他の人々からより多くの愛が送られてくるからです。
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   自分を許すことは、自分への無条件の愛の要素です。
   一日を通して、自分が余りいい心の状態にいなかったり、愛もなく、賢くもない状態になるたびに、自分を許して、そのような自分を受け入れてください。同じように他人が、いい状態でなく愛に欠けている時でも彼らを許すようにしてください。
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   許すとき、あなたは自分のなりたいものに容易になることができ、同じく他人もそうなれるように、あなたは助けているのです。他人に対してハートを開いたままで、愛を感じていられるかどうか、人間関係はあなたに挑戦してきます。人間関係では、自分を守ろうとしないことが大切です。
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   それは、弁解しなければいけないとか、隠さなければならないとか、謝罪しなければいけないことも自分にはない、と感じていることなのです。そのためには自分の気持ちを認め、自分の未熟な態度を弁解しようとしないことが必要であり、そんな態度をする自分を責めると、ずっとその態度に縛りつけられてしまうことを理解することです。
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   人は、もしかして自分が間違っているのかもしれないとか、自分は苦しんでいたり、傷ついているのかもしれない、ということを怖くて認められないことがしばしばあります。たとえば自分が不安で、落ち着いて自分の中心にいられない時、その気持ちを無視して、まるで何も問題ではないかのように取り繕おうとすることがあるかもしれません。しかし他人と一緒にいる時、本当の気持ちを打ち明けるようにするなら、人との関係をもっと深めることができるようになります。
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   あなたは、誰からも完璧な人間に見られたいと思っているのかもしれません。
   だから、「私は大丈夫だ。心配いらない。私は強いから、助けてもらう必要はない」というような役割や振る舞いを演じるのです。こういう態度をとっていると、人と切り離されてしまい、自分が一番愛を必要とする時に、誰もそれに触れることができなくなります。
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   人が傷ついている時、その人が何でも知っているように強気に振舞うよりは、どうしたらよいのかわからないことを隠さず認める態度のほうが、その人にどれほど周りが愛を感じるかに気づいたことはありませんか? だから、ありのままの自分を見せることを怖れないでください。
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   全然怖れなど持っていないように見え、最も勇敢な感じのする人は、自分は傷つきやすいと認めている人よりも、より愛が必要な人なのかもしれません。攻撃的で、人を苦しめたり、いじめたりして、周りの人たちを惨めにしている人は、たいてい最も愛を必要としている人なのです。
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   また、何も不足していないような人や、家の主や上司や親のように、あなたを支配しているように見える人たちにも愛を送ってあげてください。彼らはあなたに対して威圧的な態度で臨むかもしれませんが、実はあなたが許している程度だけしか、あなたに対して支配力を持ってはいないのです。
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   人は、他人や動物たちに意地悪な振る舞いをすればするほど、ますます自分自身に恐れを抱えるようになり、そのゆえにますます愛を必要とするようになります。しかしながら、控えめで傷つきやすく、弁解しない人こそが、最も多くの愛を受け取り、豊かな愛を自由に使える人なのです。
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   一見、受け入れ難く、愛し難い人にも愛を送ることを忘れないでください。
   なぜなら、愛を受け取って成長しない人はいないからです。あなたから送り出された愛は、いつでもまっすぐ、出て来たあなたのところに返って来て、あなたの波動とオーラを変え、さらにもっと愛を自分のほうに引き寄せるようになります。あなたの送り出した愛は、与えた人からでなくても、必ずあなたに返って来るのです。
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オリンのメッセージ
          
 

この人生に入る時、親と交わした契約を終わりにする

  • 2018.10.24 Wednesday
  • 00:03

 

    子どもは、この世界に誕生してから5〜7歳くらいまでは、母親との(見えない)エーテルレベルにおいて”へその緒”で繋がっているのは自然なことです。その頃になると、子どもは自分自身でこの世界へグラウンディング(土着化)する方法を学び、魂と肉体とのつながりが体の中に完全に出来ているのが理想です。
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   そして理想的な状況では、子どもは十分に愛されて魂の本質を認識し、自分が誰であるかという感覚を持つようになり、もはや母親とのエーテルレベルでのへその緒を必要としなくなります。多くの古代文化においては、5歳から7歳というのは通過儀礼の時期でもありました。
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   たとえば古代ギリシャの文化では、子どもは母方の祖母と一緒に草で編んだ紐(ひも)を作り、それから夜を徹して丘の中腹へと旅をしました。その旅の途中のある地点で祖母は、母なる地球の女神がこれから、子どもの母親になる時であるということを話して聞かせました。祖母は肉体上のへその緒と、エーテルレベルのへその緒とはどのようなものかを子どもに説明し、その子どもがもはや、そうしたものを必要としないことを話したのです。
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   そして祖母は子どもに、草で編んだ紐を取り出させ、それを子どものへそにつなげさせて話して聞かせます。「この紐が、まだお母さんのへその緒と子宮に繋がっているへその緒だと想像してごらん。今、それを取り除くときが来たんだよ。それを引っ張って外しなさい。そしたらそれを山の上の方へ力いっぱい投げなさい。紐が土に帰り、おまえはこれから母なる地球と新しいエーテルレベルの結びつきを作り出すんだよ。私たちはすべて母なる地球の女神の一部なんだからね」と。あなたが7歳の時にそれを理解しているところを想像してみてください。
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   今日の私たちの文化においては、母親との結びつきによって完全に愛されて慈しまれて育てられた人はきわめてわずかです。そのために完全にグラウンディングする方法を学んでおらず、あなたの魂の本質が愛と確かさを持って肉体と完全に結びついていることはまれなことです。
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   それだけでなく、母親が支配的で子どもへの独占欲が極端に強かったりする場合、あなたはエーテルレベルのへその緒を、その健全な目的が必要とした時期を過ぎてもなお、はるかに長く持ち続ける結果となります。それはたとえ、母親がもう生きていなくてもそうなのです。
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   私たちは21歳に達する頃までには、自分自身の本質であるインナーチャイルドの親となることが求められています。つまりその時点までには、あなたは聖なる父と聖なる母と霊的に結びついているよう求められるのです。ですからあなたはもはや、理想的には、肉体の母親と父親の子どもとしては振るまいません。聖なる母と聖なる父、つまり神の子どもとして振るまうのです。
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親と交わした契約を終わりにする
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   どの人生に入る前にも、あらゆるすべての魂は、これから始める人生における、将来の両親と彼らの子どもになるという契約を交わします。あなたは実際に彼らと契約を交わし、彼らがある決まったやり方で自分たちの役割を確実に果たしてくれるよう約束するのです。同じくあなたは、ある決まったやり方で自分の役割を果たすことに同意します。
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   このようにすべての魂は、過去世に終えた人生からの未解決のカルマを持って新しい人生に入ってくるわけで、これらのカルマを終えるために必要な状況を体験し、最終的にそれを癒すために必要な、状況の再現を助けてくれるような両親を選択します。
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   あなたはまず、母親次いで父親との契約書を燃やし、両親としての役目を果たすという2人との間で交わした契約を終わらせることができます。それは両親とのカルマ的な役割と、不健全な霊的結びつきからあなたと両親を同時に解放することになります。それは、「お前たちなんか大嫌いだ!」という態度からではなく、敬意を持って行なわれます。
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   あなたは彼らに自分の必要からカルマ的役割をやってくれるようお願いしたのであり、彼らが承諾してそれをやり遂げてくれたことに対し、両親に感謝することが正しい態度なのです。そして、もうその必要はないということを彼らに知らせて、それから交わした契約書を燃やしましょう。
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   肉体的な両親との契約を終えたら、今度は自分の霊的な母と霊的な父を呼び出し、新しい結びつきを作り上げることができます。その霊的な母は、あなたが肉体の母親との関わりからつくった傷を癒すのを助けてくれるようになります。だからといって、あなたの人生における特定の父親や母親がいないということを意味するわけではありません。ですが霊的なサイキックな意味においては、親子という観念における古い結びつきは終わることになります。
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アモラ・クァン・インのメッセージ

未だ癒されていない心の傷が刺激される時

  • 2018.10.23 Tuesday
  • 00:02

 

   あなたが苦痛を感じる時、それは人生のある領域がうまくいっていないこと、また、ある信念や考え、感情が癒されたくて叫んでいることを示しています。そのとき、自分を責めたり他人を責めたり、悪い人間だと思うのでなく、あなたの人生のそういう内なる感じやすい領域を調べ、癒す機会と見ることです。人があなたに対して怒っている時、それは彼らの心の傷であることが多いのです。

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   たいていの人々は、怒るのは正当な理由があるからであって、誰かが自分を馬鹿にしたり、悩ましたり、拒否したり、理不尽な要求をしたりする時だけ怒ると思っています。しかし怒りは、他人をコントロールするために使われることがあります。あなたは人々の怒りを怖れるせいで、その人々に対する自分の行動を抑えてはいませんか? また、あなた自身、他人をコントロールするために、怒りや不機嫌という脅しを使ってはいませんか?
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人が怒るのは、未だ癒されていない心の傷が刺激される時
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   人があなたに怒る時、またあなたを傷つけようとしているように見える時、実は彼ら自身が苦しんでいることがあります。また自分の教育と育った環境のせいで、また自分の世界観のせいで、彼らに傷つける気がなかった時でも、傷つけられたと思いそのように感じる人たちがいます。また時には、あなたがただ異なった意見を述べ、自分の好みを話しているだけなのに、怒ってしまう人たちもいます。

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   他人をコントロールしたり、操作したいという欲望から決して行動しないことです。

         そしてそのように行動しないつもりなら、彼らの怒りがあなたの苦痛に(銃の)引き金を引くことにならないように注意することです。怒っている人を前にすると、しばしば防衛的になったり、逆に怒ったり、相手を非難してしまいます。相手が自分をやり込めたり、責めようとしていると感じるかもしれません。

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   孤立感は、防衛しようと思うこと、つまり自分のプライドや威厳をどうしても守らなければならないと思うことから生まれることが多いのです。あなたが傷ついている時、本当に相手に望んでいることは、自分の言うことを聞いてもらい、優しくしてもらい、動揺していることを理解してもらいたいということです。

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   あなたは相手が引きこもり、防衛的になることを望んではいません。
   怒っている時あなたが望んでいることは、相手があなたのことで動揺することではなく、自分が傷ついていることを認めて欲しいということです。相手から傷つけられたと思う時、相手に怒鳴る人がいますが、本当に相手からして欲しいことは、「わかった、傷つけて悪かった」と言ってもらうことです。
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相手が怒っている時は反論せず沈黙を守る
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   人があなたに怒る時、一歩後ろに引いてください。
   あなたに理解して欲しいことは、彼らは自分の苦痛を誰かに吐き出す以外に、それを解放する方法を知らないということです。「あなたが間違えたんだ」「あなたが悪い」、あるいは「あなたのせいで私は傷ついて悲しんでいる」と彼らが言っていても、その言葉にこだわってはいけません。自分の感じている苦痛をどうしていいかわからず、彼らは他人を非難する以外に方法を知らない、ということを理解してください。

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   ですから、あなたに責任があると思わないことです。
   彼ら自身の怒りや動揺は、彼らに責任があります。あなたは彼らの怒りや苦痛を引き出す触媒の役割を果たしたとしても、すでに元々彼らの中に癒されていない苦痛が存在していたのです。ですから彼らが怒りを表現する時、あなたは彼らと議論をしたり、自分を防衛しようとしないことです。ただ沈黙を守り、ハートを開き、彼らにあなたの愛を集中してください。
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   彼らがすべてを吐き出した時、あなたはすぐに、「あなたの言っていることは間違っているし、私はあなたが言ったような事は何もしていない」と反論したい気持ちに駆られるかもしれません。しかし黙っていることです。なぜなら後になって、「あのとき反論しなくてよかった」と必ず思うからです。だから、あなたの怒りは表現しないで、彼らに自分自身のエネルギーを表現させてあげなさい。

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   そうすれば、彼らが全部を吐き出してしまった時でも、あなたは自分を心地よく感じながら愛にあふれ、バランスのとれた空間にまだ留まっているというわけです。そのとき最も難しい課題の一つ、つまり怒りや苦痛の存在する中でバランスを保つことを、マスターしたことになるのです。
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 オリンのメッセージ
       

「内なる目覚め」は1人で過ごす時間の中で始まる

  • 2018.10.22 Monday
  • 00:00

 

   内なる目覚めのためには、自分自身との時間を持つことがとても大切です。

   あなたの人生の過去には、多くの安心感を得たいために、心地よく感じることを求めて他人と一緒に居る必要がありました。あなた方の中には「1人」でいることに困難を感じる人々がいます。おそらく、1人でいることを寂しさと混同していたからかもしれません。
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   これからは、あなたには1人でいる時間が必要になります。
   この時間を自分に持たせてください。それはとても大切なことです。なぜならこの時間が、あなたの人生に神性のエネルギーをもたらすからです。周りがざわついている時、たとえば都会の騒音や多くの人々、車の騒音、会社の騒がしさのようなものは、内なる静けさをもたらすことがより困難になります。
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   人生において、他の人々との交流やさまざまな活動など、スケジュールがとても活発になる時期があります。忙しすぎてどうすればよいかわからないと思いながら、眠りにつく夜もあるでしょう。一方、もう一つの極端さとは、中断し、立ち止まり、何もしない必要がある時期のことです。それは自分自身と一緒にいるために、人生からすべてのことを遮断して1人になりたいという衝動に駆られます。
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   これは適切なことです。
   あなたのすべての部分が、これだけの慌(あわただ)しい活動についていくために、休止が必要だからです。こうした急激な変化をくぐり抜けている時には、ただ立ち止まるだけの時期が必要になります。
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   もしあなたが家庭を持っていれば、パートナーや子どもたち、それにあなたの肉親たちや血の繋がったあらゆる人々が、それまでの活動的であったあなたの断片を欲しがるでしょうが、意志を強く持つ時です。自分に耳を傾け、立ち止まり、自分自身と向き合うかけがえのない時間を自分に与える必要があります。
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   これはとても大切なことです。
   避けないでください。ただ自分と一緒にいるだけのために、そのためだけに会社に電話をかけて病欠するということであっても、やってください。自分1人で長時間ドライヴに行くというのであれば、ただやってください。 
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   自分自身にその時間を与えるのを怖れないでください。
   それは美しい贈り物です。あなたは内側からそれを感じるでしょう。それはこう囁きます。「1人になる時だ」。家族や仕事など、他の問題やあなたの義務などのために、1人になる時間が取れないことがないようにしてください。自分に言い訳をしないでください。
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   あなたの人生は変化するでしょう。
   エネルギーが動き出したかと思えば、行き詰ったように感じます。するとまた動き出しては行き詰まりを感じます。こうしたすべてが、あなたの目覚めと新しいエネルギーに入るための、自然なプロセスの一環なのです。
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   あなたの内側では、とても美しく深いレベルで、霊的な物理的プロセスが作動しています。あなたがそれを無視しないでいることが大切です。あなたはこうしたことを感じていますが、あなたの表面意識がそれを抑圧したり、自分を信頼していなかったり、先延ばしにしたりするのです。後でやるつもりだとあなたは言いますが、今やってください。それをハートで聴いてください。それは美しくて、驚くべき変容のプロセスなのです。
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新しいエネルギーが地上に降り注いでいる
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   あなたのメンタル全体が変容状態にあります。
   あなたはこれまで、マインド(表面意識)を使って、論理的でとても分析的な方法で問題の解決に当たってきました。しかしそれも変化します。あなたの構造は新しい「思考」の仕方ができるように、それ自体が再編成されているからです。
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   あなたは時に、以前のような思考をできないことにフラストレーションを覚えるでしょう。なぜ集中できなくなったのだろうと思うのです。「きっと歳を取ったからだ。サプリメントを摂取してみようか」などと密かに考えます。頭が鈍くなってきたのだと思うかもしれませんが、そうではありません。
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   マインドはまだ必要ですが、あなたはもう一つ別の非常に重要な部分を開いているのです。それはたとえば私たちがナスト(gnost)と呼んでいるもので、あなた方の直感や、すべてを知っている本来の状態(ノウイングネス・knowingness)のことです。このつながりは常にそこにあったもので、あなたは神聖な知性に再び繋がろうとしていますが、それはこれまで地球上にはもたらされず実践されることのなかったものです。
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   それはあなたが現実を分析し解決するやり方が、根本的に変わるということです。あなた方は今、意識とエネルギーを組み合わせた意識体のプロセスを再編成し、整理し直しているところです。ですからあなたの人生に、まったく新しい知性の形態が現れることを覚えておいてください。
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   本物の知性は、「2+2=4」という知識を超えたものです。
   本物の知性とは、「2+2=何にでもなる」というものです。それがあなたのものの見方や信念、選択によって決まります。あなたに入ってくる新しいエネルギーの知性は、2+2=何にでもあなたが望むものになるという概念を理解させてくれるでしょう。
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   あなたの人生体験には極端さが出てくるでしょう。
   それも、新しいエネルギーが入って来ているためで、これまでの固定していた古いエネルギーの振り子が、一方の極からもう一方へと振れるからです。古いエネルギーと新しいエネルギーが一緒になれば、完全な表現になります。
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 アダマス・セント・ジャーメインからのメッセージ
 

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