内なる良心を生きる
- 2018.10.31 Wednesday
- 00:02
真に禁欲修行の人生を送ろうとする人は、4人から5人が暮らせる小さな洞窟が点在するヒマラヤの、ある地域で簡素に過ごすことができる。ヒマラヤには、伝統が受け継がれる洞窟の僧院がわずかだが存在する。私もそうした僧院の一つで育った。我々の洞窟の僧院の伝統は、4000年から5000年前までさかのぼって詳しく伝えられており、初代の師の誰によって始められたかも記録に残されている。
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我々の洞窟の僧院は、幾つかに仕切られた天然の洞窟である。
何世紀もの間に、多くの求道者が過ごせるように、少しづつ岩が取り除かれて広げられていった。洞窟の代々の居住者が快適に過ごせるように作り変えてきたが、現代的というほどではないにしても、それでも非常に機能的にできている。
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師たちが古来からのやり方で生徒たちに教える、隠れた隠遁の場所は今なお存在する。そしてともに学び、修養を積むためにさまざまなところから弟子たちがやって来る。しかしそうした生徒たちの大部分は、こうした洞窟にたどり着くことがない。それは単なる好奇心からであったり、より高い教えを受け取る準備のできていない人々であり、そのような人々から師たちを守護するような何かがヒマラヤには存在する。
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単なる好奇心や、自らの感情的な問題を抱えて家を後にし、ヒマラヤに師を探し求めて出かけても、このような高度の地にはたどり着くことができない。偉大な聖者たちの住まう、ヒマラヤの奥深くの隠された地へと至るためには、熱烈な決意と動機が要求されるのだ。
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教えはしばしば実演によって行なわれ、ある一定期間を過ぎると次へ進む。
沈黙のうちに行なわれることもあり、生徒があるレベルにまで達すると、師はこう問いかける、「おまえが一生を洞窟で過ごすなら、他の人はどうやってヨギから学べるのだろうか」 そうして、大部分の生徒は、数年の後にこの地を去っていく。
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人生を創造的で有益なものにするのは大切であるが、その前にまず、自らを律し、思いや言葉、行ないを整えることで、自らの奥深くに眠る潜在能力に触れるべきである。洞窟の僧院で教えられるような規律をほんの数年実践するだけでも、人生という花は永遠に咲き誇ることだろう。自己を修める術(すべ)を知った人は、この世の足かせやさまざまな問題に影響されたり、翻弄されることなく、この世に暮らしながら、この世に属さずに生きるのである。
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私欲の心と無私の心、愛と憎しみの間を分けるのは薄い壁である。
それを超えた後に、人は何の見返りも求めずに、他者のために何かをするのが喜びとなる。これはあらゆる喜びの最たるものであり、覚醒に至る道においては必ず通らなければならない段階である。
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利己的な人は、自らが築き上げた限界と境界に拘束され、この境地を想像することさえできない。無私の人は自らのエゴをよく制御し、より高い目的に活用する。この「無私」こそが、偉人と言われる人々に共通して見出される特質である。無私なくしては何もなし得ない。無私の心で行なうことがなければ、儀式も経典もどんな知識もムダに終わる。
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私は孤独を感じることがない。
孤独な人とは、自らの内なる完全性を知らない人である。内なる真理を知らずに外に求め、何かに頼るなら孤独になるに違いない。覚醒の探求とは、自らの内を探すことであり、自らが完全であることを知ることである。あなたは完全なのだ。あなたは外に何も必要としない。どんな状況で何が起きようと、孤独を感じる必要はない。自らに頼ることを知るには、頻繁にその強さを試される必要がある。師は弟子を試して自らを律することを教え、自らに頼るように促す。
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内なる自分自身を愉しむ人は、決して孤独にはならない。
では誰が人を孤独にするのだろうか。それは私を知り、私を愛するという人々や、私が愛する人々が孤独を生じさせ、依存させるのだ。そして我々は内なる神、永遠の友を忘れてしまった。内なる自分自身を知ることを学ぶと、外に依存することはなくなる。
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外なる人々との親交への依存は、無知から起きてくる。
人との関わりと人生とは同じ意味であり、切り離すことはできないが、自らの内なる友を知る者は、すべてを愛し、しかし頼らず依存しない。彼らは決して孤独ではなく、幸せに一人で在るとは、絶え間ない意識と真理との親しさを愉しむことなのだ。
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師は教えて言った。
「多くの人々が、執着と愛を混同する。
執着すれば利己的になり、自らの快楽を追い、愛の用い方を間違えてしまう。所有欲に駆られ、欲望の対象を手に入れようとする。執着はそれから束縛を生み出すが、愛は自由を与える。
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我々ヨギが無執着について言うときには、無関心になることを教えているのではなく、いかに真の無私の愛で他を愛するかを教えている。それが正しく理解されるなら、無執着とは「愛」のことだとわかるだろう。無執着という「愛」は、出家者ばかりではなく、この世に暮らす人々にも実践できることである。」
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「存在しないものを信じることに心やエネルギーを注ぎ続ければ、存在するかのように思えてくる。邪悪さや罪悪感についてあれこれ考えるな。それが自らをストレスと不安にさらすのだ。霊性の道に歩む人でさえが、この世界があまりにも進歩していないという不平不満にとりつかれる。そして真摯で正直、誠実さと忠実さに欠けることになり、自分のことが見えなくなる。外界に自分の弱さを投影しては、外界が自分の足を引っ張ると考えるのだ。」
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師は私に、執着しないことを実践し、たえず意識的であるように教えて言った。「執着から生じる束縛が強くなればなるほど、人は弱くなり、無知で、真理というものが理解できなくなる。惑わしというものは執着に深く根ざしており、執着のゆえに何かを欲すれば、それが惑わしの源となる。執着を捨て、欲望の数々を霊的成長に向ける人は、惑わしから自由になる。執着が弱くなればなるほど、内なる強さが増すのだ。
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覚醒を求めるなら、「勇敢さ」は必須条件である。
常に勇敢な人こそ偉大である。あらゆる恐れから完全に自由であることは、覚醒の道の第一歩である。この世の偉大な指導者たちによって行なわれたあらゆる偉業の背後には、サンカルパ・シャクティ(決意の力)がある。「私はやる。私はやり遂げる。私にはやり遂げる力がある。」 この決意の力が妨げられることがないならば、人は求めた目標に必ずや到達する。
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内なる良心を生きる
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私が師と旅をしていた時のことである。
ある街を通りかかった時、その街の駅長が私に近寄って来て言った、「マスター、私に何か為になる言葉を与えてください。それに忠実に従うと約束します。」 師は私に、「何か与えて上げなさい」と言うので、私は「自分のような愚か者より師が指示してください」と言うと、師は言った。「今日のこの日より、嘘をついてはいけない。3ヶ月間、この法を忠実に守りなさい」と。
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実はその辺りの鉄道職員のほとんどは誠実ではなく、賄賂を受け取るのが普通のことになっていた。しかし駅長は今日から賄賂に関わることをやめ、二度と嘘をつかないと決心した。そしてその週、政府当局から派遣された監督官が、駅の監査のためにやって来た。駅長は、監査の調査尋問に正直に答えた。そしてこの尋問が駅員らに深刻な問題を引き起こした。駅長は正直に事実を話したために、駅長も含め、賄賂を受け取っていた駅員全員が処罰されることになった。
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駅長は考えた。
「マスターの言葉に従ったら、まだ1ヶ月も経たないというのに自分が置かれた状況がこれだ。いったい3ヶ月もすれば何が起きるというのだろう?」 そして彼の妻も子供も家を出て行ってしまった。ほんの1ヶ月で、彼の人生は指1本で崩れるトランプで作った城のように、もろくも崩壊してしまった。
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駅長が拘置所に入れられる苦難の当日、師と私はそこから50キロ離れたナルマダ川の岸辺にいた。木の下で横になっていた師が、突然笑い出した。師は言った、「何があったかわかるか? 嘘をつかないように指示した男が、今日拘置所に入れられた。私は男を笑っているのではない、愚かなこの世を笑ったのだ。」
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一緒に拘置所に入れられた12人の駅員は、駅長が真実を話したことを知っていたが、駅長は嘘を言ったのだと彼らは尋問で強く言い張った。そして駅長だけが賄賂を受け取ったことにして、彼に罪をなすりつけた。その結果、駅長だけ拘置所に残されることになり、駅員たちは全員が釈放された。
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裁判所では、裁判官が駅長を上から見下ろして尋ねた。
「君の弁護士はどこだね?」 彼は「必要ありません」と言うと、裁判官は、「しかし、私は誰かに君の弁護をさせたい」と言う。しかし彼は「いいえ、弁護人はいりません。私は真実をお話したいのです。私は何年拘置所に拘留されようと、嘘を言うつもりはありません。」
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「私はかつて賄賂を受け取っており、それを駅員たちと分け合っていたのは事実です。しかし1ヶ月前、ある聖者に出会い、「何があっても決して嘘をつくな」と言われました。私はそれを実行したわけですが、結局、妻と子供は去り、仕事も失い、お金も友人も失い、このざまです。これらのことがひと月の間に起きました。今の私の気持ちは、何があろうとあと2ヶ月までは、真実というものを確かめねばならないと考えています。ですから裁判官、かまわないので、どうか私を拘置所に入れてください。」
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判事は休廷を申し渡すと、男をそっと自室に呼び出した。
「君にそれを言った聖者とは誰かね?」 彼は自分の会った聖者のことを説明した。しかし実は幸運なことに、その裁判官は師を知っており、しかも師の弟子であったのだ。裁判官は男を無罪放免にして言った。「君は正しい道にいる、続けてやりなさい。私も君のようにできたらいいのだが」
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そして3ヶ月が経った。
元駅長だった男には、もはや何も残っていなかった。ところがまさに3ヶ月が経ったちょうどその日、静かに木の下に座っていた彼は一通の電報を受け取った。それには、「あなたの父親は何十年も前に、政府が国有地とした広大な土地を所有していた。政府当局は、その時の保証金を払う意向である」とあり、政府から100万ルピー(およそ10万ドル 約1000万円)が支払われることになった。男はこれまでよその州の、しかもそのような土地のことなど聞いたこともなく、何も知らなかった。
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彼は思った。
「嘘をつかずに今日で3ヶ月完了したが、これほどまでの報いがあった。」 そして彼は妻と子供に慰謝料を払った。すると二人は喜んでこう言った。「あなたの元に戻ります」 男は言った、「私はこれまで3ヶ月間嘘を言わずにいて、その結果何が起こるかをを見てきた。私はこれからの残りの人生も、もし嘘をつかずに行けばどうなるのかを知りたいと思う」
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真実とは究極の目標であり、思いや言葉、行ないを通じてそれを実践するなら、その目標は果たされる。たとえば「嘘をつかない」ことを実践し、自らの良心に反する行ないをしないことで真実が達成される。つまり良心こそが、我々の最良の導き手なのである。
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スワミ・ラーマのメッセージ
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