人生の旅路の思い出の何を「贈り物」にしますか?
- 2019.11.08 Friday
- 00:05
この辺りで少し、あなた方が「神」に関して抱いている考えについて検討してみましょう。一般的に使われる論理は次のようなものです。(特にキリスト教信者の考えでは、)子どもは父親に似ており、したがって「父親」は子どもに似ているに違いないと。つまり「父なる」神はあなたやこの地球界の複製で、単にもっと強力で圧倒的に偉大であると。
.
意識的にしろ無意識的にしろ、多くの人がこのような考えを信じています。そしてこのような考え方が人をつまずかせるのです。つまり神は、エゴに基づいた意識で動いている人間と同じであると、人は信じているのです。そして自分はなぜ神を体験するのを恐れているのだろうと疑問に思っています。これでは恐れないほうが不思議です。
.
なぜなら、人間の意識を百万倍も拡大した存在が、慈愛に満ちた神の姿であるなどと、誰がそれを本当だと思えるでしょうか? 人間は他人を罰し、惨酷な仕打ちをします。その論理でいくと、人間と似た性質の神はあなたに対しても同じように、惨酷な仕打ちや罰を与えるということになります。ですがこれはすべて、「人間の勝手な思い込み」です。
.
そこから抜け出るためには、こうした誤ったイメージに新たなウソを付け加えることではなく、今までとても考えられなかったこと、とても口に出しては言えなかったことを体験することです。つまり、自分の人生はこのままで完全なあるべき姿であり、自分に相応(ふさ)しい目覚めへの道を歩くために、このような人生を自分が選んだのだということを、毎瞬毎瞬、自分に言い聞かせることで、真理が少しずつ意識に浸透し、あなたを変え始めて行きます。
.
すべては完璧なのだと認めると、あなたの中の「存在」は、「すべてが完璧だとしたら、すべては私が”大いなる光”を見るという目的のために完璧に用意されたものなのだ」とあなたに言います。そう言うことで、これは本当のことなのだとまだ信じられない自分の中の部分、そして自分が神を体験するには何かを変えなければならないと信じている部分を、あなたは再教育することができます。
.
すべての瞬間が完璧だとしたら、その瞬間とは「今」です。今が完璧だと信じられないなら、その瞬間は決してやっては来ません。自分が信じていないものを、どうやって自分に信じ込ませることができるでしょうか? 完全なる悟りへの最大の障害は、自分はまだ悟ってはいないという考えです。そういう人は「私にはまだそれだけの価値がない。まだ汚れている」とか「神は怖い存在だ」と心の中で自分に言ってきたのです。
.
大いなる光は存在します。それもこれ以上のものはないと思えるような、素晴らしく溢れる愛と力と喜びに満ち満ちています。あらゆる瞬間にその光を求め続ければ、外界に何の変化が起きなくとも、あなたはそれを感じるようになります。神はえこひいきをしないので、他の人を差し置いてあなたの覚醒を選んだりはしません。
.
神があなたとともに存在している時には、必ず奇跡が起こり、すべての紛争の解決が可能になります。それも関係者全員が満足する解決が得られます。自分は神とは別の存在だと思っていながら神を見つけようとすると、周りの人との間に問題が起こって来ます。つまり、神から隔てられた意識では、自分や他人にとって何が一番いいのかを知ることはできません。
.
自分が背負うさまざまな義理や責任について、悩んでいる人々に言います。悩む必要はありません。神がいかに素晴らしくあなたの責任を処理してくださるか、あなたには想像もつかないでしょう。あなたのするべきことは悩むことではありません。あなたのするべきことは、自分に可能な最高の意識を持って目の前にあることをし、そのことを通して”大いなる光”を求めることです。
.
最も深い意味では、現在起きていることは何も間違ってはいません。あなたの人生は完璧であり、それはあなたが選んだものです。この言葉の真実性を、来る日も来る日も実感するようになったら、あなたは自分の本質を理解するようになります。あなたの人生は完璧であり、それはあなたが選んだものです。
.
望むものをすべて手に入れたら幸せになれる、というおとぎ話など信じないでください。自分の欲しいものをすべて手に入れるなどできないのですから、神と人間を別のものと見なす世界で、永遠に幸せになれることなどありません。あなたの中の”大いなる完全性”は、あなたが今この瞬間に起きていることに注意を払うことを期待しつつ、非常な苦労をしてあなたを現在の位置まで連れて来ました。ですからあなたが今いるべき場所はここです。
.
あなた方一人ひとりの内にはある力が存在しており、それはあなたが求めれば真実を現わしてくれます。それを何度も繰り返し求めてください。雑念に煩(わずら)わされず、とにかく自分が求めている感覚へと向かい、雑念の彼方の方へ、奥へ奥へと降りていってください。
.
言葉や考えやイメージというものは生まれては消えていきます。意識を研ぎ澄まし、エゴのガラクタを掻き分け、完全なる静けさそのものという地点にまで、静かに降りていってください。そこでただじっと安らぎ、自分が神の一部であることを悟ってください。
.
. ★ ☆ ★ ☆
.
あなたが世界一周旅行に出かけたと仮定しましょう。旅行を終えて家に帰ると、家族や友人たちに体験談を語りたいでしょう。その時に、自分が海辺で裸足で踏んだきれいな小石の色とか、自分の目に映った鮮やかな木の葉の形とか、そんなどうでもいいことについては話さないと思います。
.
あなたが話すのは、自分の心に強い印象を与えた事柄であり、自分からの贈り物としてぜひ家族や友人に話したいと思うエピソードでしょう。思い出の中には失敗談もあれば、感動的な素晴らしい話もあるでしょうし、そのどれもが印象深いものであったはずです。
.
あなたがこの肉体を持った今回の人生を終える時も、ちょうどそれと同じです。あちら側であなたを迎えてくれる存在たちがおり、「あなたの人生の中で、私たちにぜひ見せたいと思うものは何ですか?」と尋ねるでしょう。
.
思い出話とは、愛する者たちのところへ戻って来た旅人からの贈り物なのです。あなたが生きたあらゆることの中で、心に浮かんでくる思い出話は、自分がとても愛したものや人々のことでしょう。
.
審査官がズラリと並んだ部屋に座らされて、自分のこれまでの人生の説明を求められる、などということは起きません。それを忘れないでください。ほとんどの人にとって、出迎えてくれる存在はおそらく一人でしょう。というのは肉体を離れたばかりの魂にとって”大いなる光の存在”はあまりに強力なので、一人の存在と対面するのがやっとだからです。
.
そしてその存在はあなたに、今終えたばかりの旅の話をしてほしいと言います。この人生の最初から最後までを通して、光り輝くもの、贈り物となるのは、あなたが誰かや何かを愛した時のことでしょう。それは必ずしも完璧に愛したということではなく、ただ自分の力いっぱいで愛したということです。このことを心から深く理解してください。あなたを裁くために言っているのではありません。ただ導こうとしているのです。
.
自分自身を愛し、今いる地球世界での体験を愛するようにと、あなたを促しているのです。肉体を離れて死んだ後では、「さあ、話してください」という言葉ほど重要な意味を持つ言葉はありません。そして自分が愛した時の思い出を語るうちに、人生の旅路のすべてが美しくて意味あるものであったことに人は気づきます。
.
そして、あらゆる障害やうまくいかなかったこと、ああでなければ、こうであれば良かったのにと思っていることなど、そうしたことのすべてが色褪せていきます。そして人生での愛する行為を通して、自分も”大いなる全体”への愛に貢献した、ということを理解するようになります。
.
いかなる愛の行為も行わずに死んだというような人はいません。”愛”は決して死にません。肉体の死後も、愛はあなたの本質的「存在」のなかに残り、あなたはそれを贈り物として差し出すのです。そしてそれは、感謝の気持ちを込めて受け取られます。
.
.
バーソロミューのメッセージ
- -
- comments(0)
- -