心という意識が持つ強力な創造力

  • 2019.10.27 Sunday
  • 00:07

 

 

   恐れるということは意図せずに起こるように思える。それはまるで自分には制御できない何かのようである。恐れがあるということは、あなたが肉体にまつわる想念を心のレベルにまで引き上げてしまったことを示す。あなたは自分の行なうことには責任があっても、自分の考えることには責任がないと信じているかもしれない。
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   真実を言えば、あなたは自分が考えることにこそ責任がある。なぜならあなたが選択権を行使できるのはこのレベルにおいてのみだからだ。あなたが行なうことは、あなたが考えることから生じる。あなたが恐れている時、それはいつでも、あなたが自分の心に誤った創造をさせて、私に導きを求めなかったという確かなしるしである。
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   あなたが恐れている時、あなたはすでに誤った選択をしている。それゆえに自分にその責任があると感じている。あなたは自分の行動ではなく心を変えなければならない。そしてそれはまさに意欲の問題である。あなたは心のレベル以外では導きを必要としない。訂正は変更が可能なレベルのみに属する。変更は症状のレベルでは何の意味もない。そこでは効力を持たない。
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   恐れの訂正こそ、まさしくあなたの責任である。恐れからの解放を求める時、あなたはそれが自分の責任ではないとほのめかしている。そうする代りに、その怖れをもたらした状況について助けを求めるべきである。これらの状況には常に、(神との全一の本来の心から)分離していたいという気持ちが伴っている。そのレベルでなら、あなたは確かに何とかすることができる。
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   あなたは心の彷徨(ほうこう・さまようこと)にあまりにも寛容であり、自分の心が誤った創造をするのを消極的に容認している。具体的な結果は重要ではないが、根源的な誤りは重要である。訂正は常に同じである。何かをすることを選ぶ前に、あなたの選択が私の選択と調和するものであるかどうかを私に尋ねなさい。調和しているという確信があれば、恐れはなくなるだろう。
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   恐れとは常に、あなたが望むことと行なうことが葛藤する時に生じる緊張のしるしである。この状況は二つの形で生じる。第一は、矛盾した複数の事柄を同時あるいは順に行なうという選択ができる場合である。これは矛盾した行動を生み出す。これはあなたにとって耐え難いことでだ。なぜなら心の中の別のことをしたいという部分が激怒するからである。
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   第二は、自分がそうすべきだと思い行動するが、完全にそうしたいと思わずに行なうという場合である。これは一貫性ある行動を生み出すが、必然的に多大の緊張をもたらす。どちらの場合にも心と行動が調和しておらず、その結果、あなたは心底やりたいと思っていないことを行なうという状況がもたらされる。これは強要されているという感覚を掻き立て、その感覚がたいていは激しい怒りを生み出す。
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   そしてその後には(あなた自身の)投影が続く可能性が高い。恐れがある時は常に、その理由はあなたがまだ、心を決めていないからである。あなたの心のみが、恐れを生み出すことができる。恐れが生み出されるのは、心が自ら望んでいるものについて葛藤している時であり、その時、望むことと行なうことの不一致により、必ず緊張が生じる。これは統一されたゴールを受け入れることによってのみ、訂正できる。
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   この誤りを取り消すための最初のステップは、葛藤とは恐れの表現の一つだとまずは知ることである。自分がどういうわけか愛さないことを選んだに違いない、そうでなければ恐れが生じることはあり得なかった、と自分に言いなさい。

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心(意識)の力
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   誰もが恐れを経験する。だが、ほんのわずかな正しい思考さえあれば、なぜ恐れが生じるのかを理解することができる。心が持つ本当の力の真価を味わい知る者はわずかしかおらず、それを完全に自覚し続けている者は一人もいない。しかしあなたが恐れを免れたければ、いくつか理解すべきことがあり、しかもそれらは充分に理解されなければならない。
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   心は非常に強力であり、その創造的活力を決して失うことはない。決して眠ることもない。どの瞬間にも心は創造している。想念と信念が組み合わさり、文字通り山をも動かせるほどの力が、一気に湧き上がるということを認識するのは難しい。自分自身にこのような力があると信じることは、一見、傲慢に思える。しかしこのことが、あなたがそれを信じない本当の理由なのではない。
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   あなたは自分の想念には真の影響力がない、と信じるほうを好んでいる。というのも、実はあなたが自分の想念を恐れているからである。そう信じることで罪悪感の自覚は弱まるかもしれないが、それは心を無力なものとして知覚するという代償を払った上でのことだ。
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   自分の考えることが何の結果ももたらさないと信じるなら、あなたはそれを恐れなくなるかもしれないが、それに敬意を払うことはほとんどあり得ない。無為な想念というものはない。すべての思考は何らかのレベルで形を生み出す。
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マスター イエスのメッセージ

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