自分を愛するようにしか人を愛せない
- 2019.10.25 Friday
- 00:04
「癒す」とは、幸せにすることである。私はこれまであなたに、自分自身を喜ばせる機会がどれくらいあったか、またその内のどれほど多くを自分で拒んできたか考えてみるようにと言ったことがある。これはあなたが、自分自身を癒すことを拒否してきたと告げているのと同じである。
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あなたに属している光は、喜びの光である。輝きは悲しみとは結びつかない。喜びは、それを分かち合いたいという統合された意欲を呼び起こし、一つのものとして応答しようとする心の自然な衝動を促す。
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自分が心底から喜びに満ちていないまま癒そうとする者たちは、同時に別の種類の応答を呼び起こすことになり、それによって、全一な心で応答する喜びを人々から奪ってしまう。
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全一な心で居るには、あなたは幸せでなければならない。もし恐れと愛が共存できず、完全に恐れながら生き続けることはできないのであれば、全一な状態として可能なのは、愛の状態だけである。愛と喜びとの間には何の相違もない。したがって唯一可能な全一な状態とは、完全に喜びに満ちた状態だけである。よって癒すこと、すなわち喜ばせるということは、統合し一つにすることと同じである。
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どこに居るどの兄弟の善意ある想念だろうと、その一つひとつにより、あなたは祝福されている。あなたも感謝の気持ちから、彼らに祝福を返したいと思うべきである。あなたが彼らを個人的に知っている必要はなく、彼らもまたあなたを個人的に知っている必要もない。その光はあまりに強力なので、一なる子の隅々にまで輝く。
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神の子どもは、自分を愛するようにしか、隣人を愛することはできない。それゆえにヒーラー(治癒者)の祈りは次のようになる。「私が自分自身を知る通りに、この兄弟を知ることができますように」。
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癒しとは一つの想念であり、それにより二つの心が自分たちの一体性を知覚して喜ぶようになる。この喜びが内なるあらゆる部分に呼びかけて共に喜ぶように促し、内なる神を迎え入れて彼らの間を進ませる。癒された心だけが永続的効果のある啓示を体験できる。なぜなら啓示とは、純粋な喜びの体験だからである。あなたがその喜びを体験することを選択しないとすれば、その在り方を自分のものにすることはできない。
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霊は「所有すること」と「在ること」との相違を知らない、ということを思い出しなさい。なぜなら高次の心は、霊が従う法則に従って考えるので、神の法則だけを尊ぶ。霊にとっては、得るということは無意味であり、与えることがすべてである。霊は一切を所有しているので、与えることによって一切を保ち、それによって神が創造した通りに創造する。
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この種の思考は、何らかの物を所有することに関してはまったく該当しないが、想念との関連においてならば、低次の心にもよく理解できる。物理的な所有物を分かち合うなら、あなたは確かにその所有物を分割することになる。けれども何らかの考えを分かち合うなら、それを減らすことにはならない。その全部を与えてしまっても、依然としてその全部があなたのものである。
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さらに、もしあなたがそれを与えた相手が、それを自分のものとして受け入れるなら、彼はあなたの心の中でそれを強化することになり、それによってそれを増大させる。もしあなたがこの世界は想念からなる世界だという概念を受け入れることができるなら、与えることと失うこととの間に自我が設けている誤った関連性を信じる信念体系が消え去る。
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私たちは、再び目覚めるためのプロセスを、いくつかの簡明な概念で始めることにしよう。「想念は与えられることで増大する」「それらは信じる者が多ければ多いほど強化される」「あらゆるものは、何らかの考えである」「そうであれば、与えることがどうして失うことに関連付けられるだろう」
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贖罪の原理と(神からの)分離は同時に始まった。自我が作り出された時、その心の中に神は喜びへの「呼びかけ」を置いた。この呼びかけは非常に強力なので、自我はいつでもそれを聞くだけで溶け去ってしまうほどである。これが、あなたが自分の中にある二つの声のうち、一つを聞くことを選ばなければならない理由である。
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一方はあなたが自分で作り出したもの(自我)であり、それは神からのものではない。しかしもう一方は、神からあなたに与えられたものであり、それに耳を傾けることだけを神はあなたに求めている。聖霊はまさに文字通りの意味で、あなたの中に存在している。聖霊の声はあなたが本来居た場所に戻るようにと、あなたに呼びかける声である。
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この世界にいたとしても、その声だけを聴き、他の声は聞かないということは可能である。それには努力と、学ぼうとする強い意欲とが必要である。それが、私が学んだ最後のレッスンであった。そして(私を含め)神の子たちはみな、子として対等であるのと同じく、学ぶ者としても対等である。
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あなたの(本質)は神の国そのものであるが、闇の信念を自分の中に入り込ませてしまったので、新しい光を必要としている。神の光である聖霊は輝きであり、あなたはその輝きによって闇という考えを放逐してもらわねばならない。その輝きの前では(神からの)解離は崩れ去り、神の国がそれ自体の中に現れ出る。
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分離以前には、あなたは導きを必要としてはいなかった。かつてあなたは、いずれ再び知る時と同じように知っていたが、今のあなたはそのようには知っていない。
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神は導くことはしない。神にできるのは、完璧な智識を共有することだけだからである。導きとは評価するものである。なぜならそれは正しい方法と間違った方法があり、その一方は選ぶべきものであり、他方は避けるべきものであることを示唆するからである。一方を選ぶことで、あなたはもう一方を放棄する。
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聖霊を選ぶことは神を選ぶことである。神は文字通りの意味であなたの中に存在するのではない。あなたは神の一部である。あなたが神から離れることを選んだ時(いわゆる分離という堕落の時)、神はもはや妨げなしにあなたと智識を共有できなくなったため、神を代弁して語る声をあなたに与えた。あなたが(自我という)別の声を作り出したので、こうして神との直接のコミュニケーションが断たれてしまった。
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マスター イエスのメッセージ
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