「神の国」とは何か
- 2019.10.17 Thursday
- 00:01
「神の国はあなた方の中にある」という言葉が、真に何を意味するかを理解することは難しい。その理由は、これは自我(という表面意識)には理解不能なことだからである。自我は外にある何かが中にあると解釈するが、これでは何の意味もなさない。「中に」という言葉は不要である。
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「神の国」とは「あなた」のことである。あなた以外の何を創造主は創造しただろう。そして、あなた以外の何が「神の国」だろう。これが救いのメッセージのすべてであり、それはその全体において、その各部分の総和を超越したメッセージである。
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あなたもまた、あなたの霊が創造した王国(という自分の世界)を持っている。自我の幻想を理由として、あなたの霊が創造するのをやめたことはない。あなたが孤児でないのと同じように、あなたのこれらの被造物たちも孤児ではない。
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あなたの自我とあなたの霊は、決して共に創造するものとはならないが、あなたの霊とあなたの創造主は常に共に創造する。だからあなたの被造物たちは、あなた自身と同じく安全だという確信を持ちなさい。
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(内なる)神の国は完全に統一され、完全に守られているがゆえに、自我はそれに決して勝つことができない。
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これが祈りの形で書かれているのは、誘惑の瞬間に役立つからだ。これは独立宣言である。これを充分に理解するなら、大いに助けになることがわかるだろう。
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あなたに私の助けが必要な理由は、あなたが自分自身の(内なる)導き手を拒否したからであり、よって導きを必要としているからである。私の役割は、真実を偽りから引き離し、それにより真理が自我の築き上げた防壁を突破し、あなたの心の中で輝くことができるようにすることである。私たちの団結した強さに、自我は打ち克つことはできない。
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肉体の欲望の起源は物理的なものではない。自我は肉体を自らの家と見なし、肉体を通して自らを満足させようとする。しかしそれが可能だという考えは、心による決断であり、心(という意識)は何が本当に可能なのかについて完全に混乱を来たしている。
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霊は自我を攻撃しない。ただ、そのようなものをまったく想像できないだけである。自我(という表面意識)も同様に霊に気づいていないが、何か自分よりも偉大なものに自分が拒絶されていると知覚はしている。それゆえに、自我の言う「自尊心」は妄想的なものとならざるを得ない。
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霊は救われる必要がない
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神の被造物(神の子)たちが神話を創造することはない。ただしその試みが神話作りに向けられることはあり得る。しかし、それはただ一つの条件下でのみ可能だ。すなわち、それが作り出すものはもはや創造的ではないという条件である。神話とは完全に知覚によるものであり、形態においては実に曖昧で、その特徴として「善」対「悪」を本質とするので、最も情け深い神話でさえ、恐ろしい含蓄を含まないものはない。
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神話と魔術は親密に結びついている。というのも、神話とはたいてい自我の起源に関するものであり、魔術は自我が自分のものと見做している力に関連しているからだ。神話体系は一般に、「天地創造」について何らかの記述を含み、これをそれ特有の魔術の形態に結び付けている。
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いわゆる「生存のための戦い」とは、自我による自己保存のための苦闘に過ぎず、自我の始まりについての自我による解釈に他ならない。この始まりは通常、物理的な生誕と結びつけられる。なぜならそれ以前の時点で、自我が存在していたと主張することは難しいからだ。
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より「宗教的な」自我志向の者は、魂はそれ以前にも存在し、自我としての人生という短期的な逸脱に陥った後も、存在し続けると信じるかもしれない。なかにはこの逸脱のせいで魂は罰せられるとさえ信じる者もいる。
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けれども、救済は霊には当てはまらない。霊は危険にさらされてはおらず、本来救助される必要はないのである。
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救いとは「正しい心の状態」以上のものではない。「正しい心の状態」とは聖霊の「一なる心の状態」ではないが、「一なる心の状態」が回復される前に達成されなければならないものだ。正しい心の状態は自動的にその次の段階に行き着く。なぜなら正しい知覚は一様に攻撃性のないものであり、したがって誤った心の状態は跡形もなく消え去るからである。
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自我は裁きなしには生き残れず、裁きがなくなれば退けられる。その後は心が進み得る方向はただ一つである。その方向は常に自動的に定まる。なぜなら心は、自らが信奉する思考体系から指示を受けざるを得ないからである。
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知覚を訂正することは単なる一時的な方策に過ぎないという点は、何度強調してもし過ぎることはない。それが必要である唯一の理由は、誤った知覚は智識に対する障壁である一方、正確な知覚は智識に至るための飛び石となるからである。そもそも正しい知覚の価値は、それがいずれ必ず、すべての知覚が不要だという理解に達するという点にある。これが誤った知覚が行なう障壁をすっかり取り除く。
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この世に生きているように思える間に、どうしてそのようなことが可能なのかと、あなたは尋ねるかもしれない。それはもっともな質問である。しかし、あなたはよく注意してそれを理解しなければならない。この世に生きている「あなた」とは誰だろうか。
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霊は不滅であり、不滅性とは恒常的な状態である。それは過去において常に真実であり、これからも常に真実であるのと同様に、今も真実である。なぜならそれ(霊)はまったく変化というものを含まないからである。それは連続体ではなく、反対のものと比較されることで理解されるものでもない。(真の)智識は決して比較を伴わない。それが心が把握できる他のすべてのものと智識との主要な相違点である。
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マスター イエスのメッセージ
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