自身の「内なる神”アイ・アム”」を敬う
- 2019.08.08 Thursday
- 00:03
・・・いつも不調や病気を患っている体に対し、内なる存在は何ができるだろうか? そうした場合は注意のほとんどが体に向けられ、内なる「アイ・アム」に意識が向けられる時間はほんのわずかであることが多い。だが、ひとたび決心するなら意識を変えるのは容易いことだ! つまり「アイ・アム」のエネルギーを用いた体の治療により、より強固な肉体、完璧な体になることができる。
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今日、私がここまで熱心に深い思いで語る理由は、あなた方のほぼ全員に変化や向上が見られるからだ。意識的に自分の体に注意を向けるのが早ければ早いほど、その成果も早く現れる。
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突き出た腹が気になるのなら(腹が平らでないものはどれも異常と見なしていい)、手の平を上にした状態で左手を腹部の下へ持っていき、右手は回す形で腹をさすりながら、左手から右側へと移動させる。腹の脂肪を吸い取っている感覚を深く感じればいい。右手によるエネルギーの充満は、すぐに体の細胞に作用し、脂肪を減少させ、正常な状態にさせる。
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この教えは空想などの無駄話ではなく、非常に重要だと言っておく。熱意を伴う感情で応用すれば、もちろん一切の疑念を挟まずにだが、それ相応の結果が出るはずだ。当然、その時の意識は次のようなものでなければならない。「右手を介して流れるエネルギーは全能の存在のものであり、不要な細胞を吸って焼き尽くし、体を本来の完璧な状態にする」。
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エネルギーは腹部の脂肪を取るだけでなく体内にまで及ぶので、腸の浄化もして活動を促し、多大な恩恵をもたらす。日頃から内臓の働きが鈍い者は、通常の状態に回復するというわけだ。女性たちにはローラーや腹筋運動の必要はなくなる。もっとも、腹を引き締めたいためにローラーを使用するのは、何も女性ばかりではないかもしれない。
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自分の中に偉大な神の存在を宿しているにも関わらず、不幸にもそれを認識しない者たちは、自分が創造する以上に外界の物事に力を与え、自分の内にも外にも何らかの結果を及ぼしている。
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薬品にしても健康器具にしても、媒介となる物に自分が力なり性質なりを与えないなら、望ましい効果は期待できない。そう考えれば「アイ・アム」による治癒は、たとえそれが骨であれ筋肉であれ、一つひとつの細胞に作用するので好ましい。
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一般的に人間の顕在意識は、内なる存在の力が肉体を思いどおりに扱えることに疑いを抱きがちである。だが「アイ・アム」がある種の細胞を操れるのなら、どの細胞もコントロールできるのは当然のことだ。だから表面的外的自己に内なる存在の完全な力を受け入れさせるならば、あとは他のあらゆる物事にその力を拡大して応用していけばよい。
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だが人間の長年の習性により、顕在意識がさまざまな薬品や治療薬に大きな力を与えて来た事実は否定のしようがない。しかし肉体に影響を及ぼしたり治療するのは結局、自分が力や権限を与えたものだけだとは思わないだろうか?
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私は別に、「アイ・アム」の知識がない者たちが、治療薬の服用をやめるべきだと言いたいのではない。彼らが「自分の人生において自分自身が力を与えたものでない限り、外界にはその人に影響を及ぼせる物事はない」という現実を強く認識してほしいだけなのだ。そうすれば彼ら自身が囚われ続けてきた限界から、多少なりとも解放される方向に向かえるだろう。
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ついでに言っておくと、外部の物事に力を与える行為の90パーセントは無意識に為されている。これに関しては、あなた方学習者でさえが自覚していない場合が多い。いずれにしても内なる神「アイ・アム」に対し、自分が望んだことの実現のためにすべての力を委ねることで、外界でのいかなる治療薬よりも早く、それも確実に効果が見えてくるはずだ。
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当然、こうした考えを受け入れ難く、受け入れるのに時間を必要とする人がいる一方で、すぐに取り入れていく者もいるだろう。だが努力してみる価値はある。
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内なる「アイ・アム」は永遠にすべての事象を熟知しており、過去・現在・未来の出来事を理解していることを忘れないように。学習者がこの偉大な存在を意識し思いを巡らせ、「アイ・アム」が愛・叡智、力であることを知る。自分が達成したい物事に注意を向ける時、存在「アイ・アム」こそが開け放たれた扉であり、全能の実現であり、失敗がないと解る。
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自分の間違いを正したり、修正する場合にも、内なるマスターのエネルギーを注いでゆるしの法則に訴える。そうすることで無益な反応を回避することができる。あなた方も気づいたと思うが、自分が外界での活動やストレスにずい分と不必要な力を与えていること。それも「アイ・アム」にしてみれば、まったく関心のない物事にだ。
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内なる存在には、外的表面的自己の過ちなど興味がない。だからその者があらゆる不和の活動に背を向け、自分の内なる「大いなるアイ・アム・プレゼンス」に全権限を与えることで、誤った状況を解消する方向に切り替えてしまうなら、たとえ自分の過ちを前にしても(自分を責めたり、落ち込んだりと)過剰に反応することはなくなる。
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一個人が他人を厳しく非難・批判し、裁く態度を取り続ける。この際その人物は他人を傷つけるだけでなく、相手の中に見ている過ちの要素を、知らず知らずの内に自分自身の体験に入り込むことをゆるしている。このことが真に理解できるならば、自分を守るためにもこうした批判がましく好ましくない態度を永久に慎むことだろう。
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別の形でこれを説明しよう。意識的に何かに強い関心を向けると、その時その人は自身の体験に対象としている者の性質を取り入れようとしている。特に他者の中にある物事で強い感情を伴って自身に見えてくるものは、結果としてそれを自分の中へ持ち込む形となる。このことは、他者に送るべき唯一のものは、好ましい感情の神の愛の存在、すなわち純粋な愛と寛容さだけであるという事実を証明している。
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しばしば学習者が自問している。それはなぜ感受性が強くなるに従い、日常体験で多くの状況に直面せざるを得なくなるのかということだ。これは彼らが、見せかけのものは現実ではないと教わったにもかかわらず、ある物事に遭遇した際、意識がそれに注目するのをゆるしてしまうからだ。
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そうすると対象物を招き入れるというよりも、むしろ無理やり自分の世界に引き込むこととなり、その後はそれから逃れるべく、あるいは自分の世界からそれを一掃すべく戦わざるを得なくなる。そんな事態に陥らない対策としては、見せかけの物事への関心を即座に引っ込め、自戒の心で「私はこのことからは永久に、永久に解放された身である。それが何であろうと私には関係ない」と認めることだ。
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当然ながら、これはすべて自己のコントロール不足、あるいは自己コントロールする意志の不足によって起きる。このケースの学習者のタイプには二種類ある。一つは努力する意志は十分あるが、つい好ましくない物事に意識を集中してしまうタイプ。もう一つは、本人の強情な性格を克服するために、必要な努力をすることに抵抗している場合だ。
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とはいえマスターと呼ばれる人間は、いかなる時もどの学習者に対しても、非難する思考を抱き続けてはならない。なぜならそれをすれば、まったく同じ非難が自分自身に跳ね返って来るだけだからだ。学習者がこのことを正しく理解するならば、自己防衛つまり自分を守るためにもそうした行為を慎むはずだ。
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他者の中の不和を目にしながら見て見ぬふりをする場合、これは口で批判するよりも、その力が蓄積されていくという点で最悪の行動だ。自分の目を引くほどの不和が相手の中に見受けられる場合は、その者の内なる「アイ・アム」に告げてやることしかない。「彼(彼女)の中にいる”アイ・アム”よ、私は人間的なものとは無縁だ」と。
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対象が人間であっても無生物であっても構わないが、自分が不完全さに注目してしまう時は、その性質を自分の体験に取り込もうとしていると思って間違いない。このことは繰り返し言い聞かせるほど重要な点である。
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最大の関心事は、絶えず自分の内にいます神を敬い、意識を集中することに尽きる。それによって自分の意識を上昇させ、大勢の人々を支援できる高みにまで自分自身を持っていくこと。現在それを実践できる人間はごくわずかでしかない。
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まず初めに自身の内なる神「アイ・アム・プレゼンス」を受け入れて敬うことなく、いかなる奉仕も永遠の恩恵とはなり得ない。今後、光に仕えたいと願う者、本心から善行を働きたいと願う者は、このことを明確に理解しておくべきだろう。
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「お金があれば、もっと善行を行なえるのに」と学習者は口にするが、本来はまったく逆である。つまり「アイ・アム」に深く入ることを望むなら、必然的に必要なお金は手に入るはずだからだ。
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誰に対しても、「その人の中にも行動する内なる神”アイ・ム”がいる」という姿勢を崩さないようにするとよい。
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ある物事を中途半端に語るよりは、口にしない方がはるかに得策な場合がある。外界での経験はどれも単なる訓練に過ぎない。今この仕事に関わるある者たちにとって、現在行われている訓練はまさに人生体験の最後の修練と言える。そのためにあなた方の何人かは、やや疲弊しているだろう。アセンディッド・マスターの軍団は、大きな喜びを感じながら、あなた方に愛と感謝の念を送り続け、もちろんあなた方もそれに対して際限なく応じている。
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「アイ・アム」は存在するすべてであり、目に見える形で、あるいは目には見えない形であらゆる場所に存在する。学習者が「アイ・アム」を使い続ける限り、一人ひとりに最も必要な意識がその都度適した形でやって来る。決して物事に囚われず、緊張しないよう注意すること。
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穏やかな態度で次元上昇への道を歩むこと。心穏やかに寛容な姿勢で受け入れることが、よけいな緊張を取り除いてくれる。これ以上に強力な生き方はない。
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マスター サンジェルマンのメッセージ
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「偉大」とは何を持って偉大となす、「服従」とは何故其れを求める。
マスターは大勢地上に存在する、だが「己を偉大」などとは意識しない
また、地上の学び舎の方々に如何なる服従も求めない。服従では
「学びにはならない」意識の進化では無く奴隷星の奴隷が
「奴隷としてのモラル」を守るに過ぎない。アトランティスの末裔よ
何者にも服従を強いるな、其れはおまえ達の破滅を招くと知れ、
地球は奴隷星ではなくなる、支配と服従の世界はマスターと学習者の間
にあっても不要な物だ、導くことと服従を強いることは同義ではない、
私たちマスターは導き、見守るが役目あなれば隷属、従属、服従は
その学びを遅らせるに過ぎない。